今日は昔のアメブロ記事を少し編集して転載。
去年の4月頃に書いたもので、アカウントはもうないのだけど、テキストで残しておいたもの。
文中に出てくる
『透明な身体』と『ECHO』は気功の技術。
当時、すごく使っていたけれど、今でも使っている。
技術の伝授というのは、アプリをインストールするようなもので。
アプリを作った人たちはすごい。
先人の知恵。
それがあるから、楽に移動することができる。
しなくていいことは、わざわざする必要はなくて、そこに努力して遠回りするくらいなら、したい努力をして、早回りしたほうがいい。
気功の技術というのは乗り物のようなもの。
徒歩だと時間もかかるし大変だけど、飛行機で行ってしまえば断然早いし楽だ。
『楽をしたらいけない』
『苦労はするべき』という、
洗脳のようなものはいらない。
そして、今もまた、このブログ記事のようなことを繰り返している最中で。
果たして成長しているのか、成長したからこその新たな浄化なのか。
どちらにしても、
『出る杭は打たれる。であれば、打たれないくらいに突き抜ける』
しかない。
ある会話の中で、ふと、この話を思い出したので、noteに書いたのだけど。
このとき、シンガポール行こうか…なんて考えていたのは、今思えばそれは『オラクル(神託)』だったのかもしれない。
この約半年後、わたしは急に思い立って、タイに行っている。
そして…
「呪いの解呪はわたしにおまかせっ」
といえるほどにはなっていないけれど。
最近そういう話ばかり、そういえばしているかもしれない、と思ったりもする。
さて、これは『オラクル(神託)』になり得るのだろうか、なんて。
それにしても文章が。
以前のアメブロの文章を改めて読んでみると、恥ずかしいものがあるのは、
やっぱり少しは成長できているのだろうか。
アメブロの記事は、いわゆる『かまってちゃん』的な、変な承認欲求というか。
書く必要がないことを書いていることが多い。
今もここは大して変わらないかも…と思うと、やっぱり恥ずかしい。