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繰り返しているのがおもしろい

今日は昔のアメブロ記事を少し編集して転載。

去年の4月頃に書いたもので、アカウントはもうないのだけど、テキストで残しておいたもの。

昔、よくやっていた『多重人格脳内会議』

出てくる思考とか、情動とかを腑分けしていく作業。

これは、あのときのこの人。
これは、あのときのこれ。
みたいに。

そうやって見てみると、いつの間にかいなくなっていたりするものもあって。

ネガティブなもの、闇も、先に見てしまえばいいよというのは、これに近い?

そうしていくうちに、
これは手放したらダメなやつだ
みたいなものに気づく感じがしてくる。

(中略)

自分の『汚物』とも、気功技術ともめっちゃ向き合ったと思います、自分なりに。

それこそ、マジで気持ち悪い!!

うへぇあ〜〜〜みたいな(笑)
発狂しそうなくらい(笑)

自分の感覚とかを過信しすぎてたなー
傲慢だったなー
傲りだったなー

井の中の蛙やん、すごい人もっといっぱいいるしー
とかとかとか、いろんな汚物が出てくる出てくる(笑)

溜め込んでた劣等感とかも(笑)

今となっては笑い話で、笑い話にまでできればオッケーなんだとは思うけど。

でも、まだ『自分なり』。

ただ、ひたすらに透明な身体で、自分自身にECHOというか。

本当に気持ち悪くて、ひとりでコレやってるの、マジでキツイんだけど!!で。

でも、今の自分を変えたいなら、結局自分で自分を変えるしかない。

『汚物』や『闇』と向き合う覚悟。

そんな大げさなって思うかもしれないけど、多分ガチであればあるほど、大げさなんかではなくて。

変える覚悟と、変えたいっていう強い意図と、変えられるって信じることと。

今はひとりじゃないってことと。

透明な身体とECHOがめちゃめちゃ助けてくれた。

そこには、ヒーリングの先生がずっと一緒にいてくれてる感覚。


で、そうやって自分と向き合って、自分をひたすら分析していくと、

なんか他人も自分も同じなんじゃないかみたいな不思議な感覚。

自分にないものを欲したり、憧れたり。

それって、お互い様にあるものだったりする。

ただ、それをエネルギーにできるか、嫉妬や妬みにするかの違いってだけ。

前からそういう感覚はあったけど、やっぱりそうなのかも、みたいな。


そして、その人のその足跡をわたしは辿りたくなかったというか(笑)

でも、人はいつの間にか変わってたりするから。

自分が変われば。

やっぱり『出来事』でしかないなぁ…
そう思ったら、なんかアホらしくなって(笑)

あの人にこう言われたぁー
こんなことされてぇー
だからこんなことになっててぇー
ここが痛くてぇー

って、ギャーギャーピーピー騒いでる自分が滑稽で(笑)

アホくさすぎるな、と。

メンヘラかよ、と(笑)

これも、もはや笑い話。
思い出すと恥ずかしいけど(笑)

で、こういうことをやっていると、やっぱり気功とかヒーリングって『技術』だけではないというか、

そういう話ではなくなるというか。

生み出す側になれるというか?
そんな気がして。

だって、こんな汚物との向き合いとか、

「気持ち悪いー」
「吐きそうー」
とか、誰だってやりたくない(笑)

でも、気功技術で簡単にそれができるとしたら…?

そうだとしたら、わたしのこの経験って、めっちゃすごい資産なのでは?

名付けて『虹色マーライオン』とか(笑)

これはもう、シンガポール行って、マーライオンの臨場感取ってくるか(笑)
いや、でも勘違いかもしれないし…

でも、そうやって技術を生み出してきた人たちって、本当にすごくて、偉大というか、

言葉見つからないけど、本当に尊敬するというか。

全身蟲だらけとか呪いとかサイキックアタックとか、

それを経験して、その過去にしがみつくのではなく、未来どうしたいか。

いろんなことに想いを巡らせていたら、

本当に近い未来にわたしは
「呪いの解呪はわたしにおまかせっ」
なんて言ってるかもしれない。

これは、自分自身への防備録的なひとりごと。

ちょっと言語化してみたかった…

だけど、まだまだ『自分』に必死というか、しがみついてる感じがします。

もっと周りを見て、もっといろんな世界を見て知って、いろんなことを感じて、

その感じたことを言葉にしていきたいなぁと。


そして、次は

「尊敬するあの人ならどう書くだろう、どう伝えるだろう」

という視点で言語化していきたい!

2023年4月のアメブロ記事より


文中に出てくる
『透明な身体』と『ECHO』は気功の技術。

当時、すごく使っていたけれど、今でも使っている。


技術の伝授というのは、アプリをインストールするようなもので。

アプリを作った人たちはすごい。

先人の知恵。

それがあるから、楽に移動することができる。

しなくていいことは、わざわざする必要はなくて、そこに努力して遠回りするくらいなら、したい努力をして、早回りしたほうがいい。


気功の技術というのは乗り物のようなもの。

徒歩だと時間もかかるし大変だけど、飛行機で行ってしまえば断然早いし楽だ。

『楽をしたらいけない』
『苦労はするべき』という、
洗脳のようなものはいらない。


そして、今もまた、このブログ記事のようなことを繰り返している最中で。


果たして成長しているのか、成長したからこその新たな浄化なのか。


どちらにしても、
『出る杭は打たれる。であれば、打たれないくらいに突き抜ける』
しかない。


ある会話の中で、ふと、この話を思い出したので、noteに書いたのだけど。


このとき、シンガポール行こうか…なんて考えていたのは、今思えばそれは『オラクル(神託)』だったのかもしれない。

この約半年後、わたしは急に思い立って、タイに行っている。


そして…
「呪いの解呪はわたしにおまかせっ」
といえるほどにはなっていないけれど。

最近そういう話ばかり、そういえばしているかもしれない、と思ったりもする。


さて、これは『オラクル(神託)』になり得るのだろうか、なんて。


それにしても文章が。
以前のアメブロの文章を改めて読んでみると、恥ずかしいものがあるのは、

やっぱり少しは成長できているのだろうか。


アメブロの記事は、いわゆる『かまってちゃん』的な、変な承認欲求というか。

書く必要がないことを書いていることが多い。


今もここは大して変わらないかも…と思うと、やっぱり恥ずかしい。

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