染、色 考察

正門良規の女になってきました〜〜〜!!!!!
いやー、すごかった!どのくらいすごいかというと、力込めて拍手しすぎて手が痺れたくらい!!!

いろいろ考えたくなっちゃったので、考察を書き殴っておきます。
ネタバレ満載なので、これから観劇する人は見ないでね。
見た人はお酒飲みながら一緒に考察したいね。
ぜひコメントでもあなたの考察聞かせてください!!!!






正直はじめの1時間は「よくある青春群像劇やな」と思ってたし、滝川がポリダクトリーを乗っ取ろうとしたところあたりも予想できたなーとか思ってたんですけど。
深馬のモノローグのあたりから不穏な空気が流れてきて、そこからラストにかけては、うわーーー、そっかぁ………って感じでした(語彙力)

重いテーマを演じきった正門くん。最後の挨拶まで引き締まった表情だったけど、カーテンコールで頭を下げて、顔上げてスタオベを見た瞬間に花が開くようにふわっと笑ったのがめちゃくちゃかわいくて、正門くん!!!リア恋の塊!!!すき!!!ってなりました。

・深馬と真未
真未が深馬の「自由」の部分で、彼はいろんなものに抑圧された結果、真未を生み出したんだろうな、と思うと、つらい、でもわかる、って感じ。
深馬の「抑圧」は、周りからのプレッシャーとか、描きたいものを描けないとかそういうことだと思うけれども、一番は実家(特に父)であり、親の期待、敷かれたレール、自分には油絵しかないという重圧。父への怒りが源になって油絵を描いていたけれど、父がそういうこと(脳卒中だっけ?)になって、そのパワーがなくなって、書けなくなっちゃった、というようなことを滝川にゴニョゴニョしていたと思う。
だから、深馬は自由を渇望する。
でも一方で、美馬が杏奈に「電話したとき家にいたけど慌ててた」と言われ「ゴキブリが出た」「ゴキブリを捕まえた」と言う(真未を捕まえるシーン)、その時点で真未の存在(自由)は深馬にとって忌み嫌うものでもあったのかもしれないなと思ったりもする。

深馬と真未が白と黒の衣装だったのが、深馬の衣装がだんだん黒くなっていくけれど、最後に真未が真っ白になる、というのは、深馬の中での「真未」が占める割合を暗示しているのかなと思ったりはした。
真未の部屋の天井のシミがペイントされているのを見て、深馬は真未の存在を確信しようとするが、真未の部屋すらも深馬の妄想と捉えたほうが自然?

・深馬と杏奈
バカ騒ぎ(杏奈とのイチャイチャ)によって卒業制作?の油絵が落下し、その絵の具が腕に付いたところで深馬は狂ったように笑う。観劇していたときは、卒業制作が破損したことに対する自嘲や諦めの笑いだと思っていたけれど、そのあたりから真未が深馬の中から出てきたとすれば
(真未はスプレーで腕を塗ることを「汚してるというより洗ってる」と表現する→ここから油絵の「汚れ」をスプレーで洗っている、と解釈することもできる)
アトリエに酒を持ち込んだのは杏奈、油絵の目の前で深馬とイチャイチャしたのも杏奈、と思うと、もしかして深馬が狂ったきっかけは杏奈なのでは?という気さえしてくる

杏奈が北見に「深馬くんが変わったのはなぜ、北見くんならどういうときに変われる?」と問い詰める場面で、北見が「ずるいよ、杏奈ちゃん」と言うんだけど、その意図が掴めなかった。どういう意味かわかる人教えてほしい。

「わたしも変わりたい」と言う杏奈が、深馬が真未と欲に溺れる後ろで、変わっていく。
杏奈はなにをきっかけに、変わったのかな。でも女性ってそういうものなのかな。
面接官に「(深馬と)そういう関係ではない」と言い切ったのは、面接だからか、実は本当は付き合ってない(別れた)?のか?
というのも、ラストの、真未を探し、真未との行為を反芻して、真未はいない、と気づいた深馬が杏奈に「会いたい」と電話をするシーンで引っかかったのが、「杏奈と深馬は一緒に住んでいるのでは」ということで。
モノローグの部分で(あそこで淡々と喋る深馬が逆にこわい)杏奈の部屋に転がり込んだ、と話していたけど、一緒に住んでる人に「会いたい」ってわざわざ電話する??とか思ってしまった。

・深馬と北見と原田
北見が深馬に嫉妬と憧れを抱いている、ということはパンフレットでも明言されているのだけれど、北見が杏奈のこと好きすぎて(だから「杏奈ちゃんを大事にしてやれ」と何度も深馬に言う)深馬の才能だけじゃなく杏奈とのことにも嫉妬してるんだろうな、とは思う。
でも深馬も北見のことをめちゃくちゃ意識してるから、どっこいどっこいというか、お前ら青春やなーと思ってしまう。ただ、真未が北見を強烈に批判しているのをみると、深層では北見のことを馬鹿にもしていて、そこが深馬の嫌なとこだな、と思う。

で、原田ですよ。お前はなんだ。いちばん難しいよ。
原田はクラスで避けられていてシカトされていた(なんで?)
滝川が原田に声をかけ、深馬と北見と友達になった(これは滝川が深馬と北見と近づきたい故の策略だと思う)
「監督が演者を信じなくてどうするんだよ」というセリフから、深馬や北見を演者としてみる意識もある(陰キャと見せかけて、ふたりに対してどこか優越感のようなものもある)
最後の飲み会の場面で、深馬に「滝川に恩返しがしたくて撮ったって言ってただろ」と言われて、「誰にも言ってない」と心底驚いた様子をみせる(なぜそれを深馬が知っている?また、ポリダクトリーに滝川がなろうとした、ということ自体が深馬の妄想だったはずなのに、「撮った」とは?)

・滝川
パンフレットで岡田さんが「裏表のある人物」と仰っていたので、深馬に嫉妬していた、もしくは深馬を自分の踏み台にしようとしていたというのは間違いないだろうが、キュレーターを学内展に呼び寄せ、キュレーターと学生たちとでプロジェクトを遂行し、自分は画家になる夢を追ってフランスへ行ったのだとすれば、彼は劇中で描かれているよりも(深馬が思っているよりも?)真っ当な人間なのでは、と思わされる。
真未が見つけた「深馬の作品を的確に批評したクロッキー帳」は、実際に深馬が引き出しを漁って見つけたものだったのか、それとも、それすら深馬の妄想なのか。
妄想だとすれば、深馬の中にきちんと自分の作品を批評し、完成させようとする観点があって、それは深馬の「完成させることへの恐怖」と矛盾する。

真未の「わからない、ということに酔っているだけ」というセリフは痛烈にわたしを批判してくる。
難解な脚本に大いに拍手をして、こんな考察めいた、わかったようなわからないようなことを書く。
それこそが「わからない、ということに酔っている」ということではないかと思うと、そのとおりですとひれ伏したくなるのだけど。
その脚本を書き、そのセリフを真未に言わせるのはずるくないですか、シゲアキ先生。

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