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私なりのやり方で(肩書に囚われない行き方を)

カウンセラーとして自分が出来ることを割とガチ目に模索し始めた途端、

神様が「課題だぞ〜ほれ」と言わんばかりに
新しい出会いが沢山あった。

と、同時に新たな学びを得ることが出来た。


・自己開示
・自分という人間は何者にもなれない
・グラデーションの世界を生きる
・らしく、たのしく、ほこらしく
・大丈夫


noteにいる、天竜川ナコンさんという方の記事が
私に最大の気づきをあたえてくれました。

人は最初から、自分以外の誰かになんて、「何者か」になんてなれやしません。

「自分」にしかなれないのです。
自分が自分でいることに
世界の許可なんて、
これっぽっちも必要ないからです。 

-天竜川ナコンさんの記事より引用-


私は、

自分という存在を認めて欲しくて
必要とされたくて
愛されたくて

ずっと自分以外の何者かになろうとしていた

親に愛されてる自分
他人から好かれる自分

だから、いつも周りの空気を読んでいい子やいい人になろうとしたし、自分の意見や感情を蔑ろにして周りに合わせたり。


ついさっきも、体調が優れず布団に横になっている私に母親に、

「体調が悪いって、1時間くらい寝てたでしょう?ご飯の用意も手伝えない?」

と言われた。

ちょっと無理をすれば動けたかもしれない。

でも、弱っている時に「良い娘」を演じれば
心身を消耗する事は確実。

文句を言われたけど、出来ないと断った。


私にとって家族の前で「病んでない自分」でいる事が何よりのストレスなのだ。


家を出る決心が固まった。


愛されたくて
必要とされたくて


必死になっている原因の根本が家族にあるから。


「いい嫁」「いいオンナ」を演じた事もあったな。
結果的にいい家庭を築くどころか壊してしまったし。


それだって、「オンナ」であろうとする事をやめた途端、自分の事を「オンナ」として見てくれる人が現れたり。

人間不信に陥った自分から脱却しつつあるのも
「求められる」事を諦め始めたからだと思う。


周りに必要とされればされるほど、自分という原型が失われていく。


散々仕事でそうなったにも関わらず同じ事を今の職場でも繰り返そうとした時に、プツンと何かが切れて、自分が出来ることしかしない、やりたくない事はやらない。


を始めた途端、気持ちが楽になった。
仕事も、周りがサポートしてくれて少しずつだけどいい方向に向かってる(と思っている)


それを、「周りに迷惑をかけるから」と言う価値観が邪魔をしてくるけど、頑なに自分の気持ちを優先する。


自分を消耗させる事から逃げていい。


カウンセラーとして活動する事もそう。


有償無償、起業するしない


など、悩んで苦しくなるなるならやらない。


キラキラ起業○○みたいな者にも憧れたけど、
私には向いてない


何度もそのことに気づいてたけど、それでも承認欲求に勝てずにもがき苦しむのも終わりにしよう。


ありのままの自分でいる方が自分も楽だし
周りもそんな自分に合った人しか寄ってこなくなるから


これでいい
大丈夫


人に掛けたい言葉は自分に掛けたい言葉


Let it be.

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有坂夏輝(なっちゃん)
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