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最近、思ったこと

少しずつではあるけれど、時間があるときに本を読むようにしている。
最近読んだ本で、面白かった本があったので感想やら、思想やらをここに記しておきたい。

職場で小学生の教科書に載っていた物語の話になったときに、ヘルマンヘッセ著の少年の日の思い出の話になった。主人公の「ぼく」が犯した過去の過ちの話。私の中で一番覚えているのは「ぼく」の家の隣に住む「エーミール」が「ぼく」が犯した過ちに対して放ったセリフだ。
「そうかそうか、つまり君はそんなやつだったんだな」
小学生だった私はこのセリフがそこまで過酷なものと認識していなかった。むしろ怒鳴らず、冷静に「ぼく」に対処している姿にかっこよさを覚えた。
だが、「ぼく」はそう思わなかったらしい。それもそのはずだ。私は傍観者でしかないけれど、「ぼく」は当事者なのだ。しかも「エーミール」が大切にしているものを壊した上で投げられたセリフなのだから。いっそのこと、感情的になって殴ってきたり、怒鳴られたりした方がよっぽどプライドが傷つかずに素直に謝罪ができたはずだ。
「エーミール」の感情的ではない態度と、冷静な言葉に「ぼく」は犯した過ちを素直に受け入れることなんてできやしない。そして、そんな自分にすらも苛立ちが募るだろう。

と、まあ、こういった感じで久しぶりに少年の日を読んだのだ。
小学生の頃には感じなかったことが、今になると感じられる。そしてどれほどまでに人間は愚かなのかを感じざる得ない。しかし、それが時に人間の愛おしいさなのかもしれないと同時に思う。
総じて、ヘルマンヘッセの小説は少しだけどんよりしているし、湿度が高めの話が多い。メンタル状況が状況なら、鬱になりかねないくらいのじめ〜っとした陰湿な感じがするのに、描写表現や人間の燻っている感情の表現が上手だから読む手が止まらないのも事実だ。

名作と呼ばれるものは全てにおいて、人々の記憶に深く刻まれる。どれだけ長い時間が流れたとしても、その記憶や感動や感情は時を超えて継がれていくものなのだろうと、感じる。

ヘルマンヘッセの話から脱線するが、私はよく美術館に足を運ぶことがある。この間も小牧にあるメナード美術館に行った。というのも、久しぶりにフィンセントに会いに行きたくなったからだ。
フィンセント・ファン・ゴッホ。19世紀の偉大なる画家。後期印象派として世界に多くのファンを持っている巨匠だ。

少しだけ、私とフィンセントとの出会いを書かせて欲しい。
2021年。コロナが蔓延してから1年が経過した年。まだあの時は暑い時期でもマスクをつけなければならないくらいだった。
私は仕事終わりに、よく行く本屋さんに向かっていた。仕事が早く終わってすぐ帰るのも勿体無いと感じていたところだったため、本屋さんで新刊の本や雑誌を見ようと思っていた。
その時、ふと新刊コーナーを見ると、強烈な表紙の本が置いてあった。
それが、フィンセントの有名な「ひまわり」が印刷されていた、原田マハ先生の小説「リボルバー」だった。
色とりどりの鮮やかな黄色で描かれたひまわりに黒字で「リボルバー」と書いてあった表紙は、どの本よりも光っていた。私はその本の引力に引っ張られるように近づいて手に取った。当時から美術作品を鑑賞することが好きだったので、その絵がゴッホの「ひまわり」であることは分かっていた。だが、それ以上の知識はなく、印象派でひまわりや糸杉で有名なゴッホの本なのだろうと思った。
格段、当時はゴッホに思い入れなどなかったし、原田マハ先生の小説もそこまで読んだことがなかったので、内容がどういうものなのか分からなかったけれど、表紙の「ひまわり」に一目惚れし、私はその子を迎えた。
そこから、その本を読み終わるまで時間はかからなかった。いかんせん、原田マハ先生が書くフィンセントは面白いのだ。そして、なんと言ってもあんなに無知だったゴッホに私は夢中になってしまったのだ。まるで恋焦がれるように、ひたすらにフィンセントのことが好きになってしまったのだった。
もう、会うこともできない。話すことだって、絵を描いている姿も見れない、故人に私は思いを馳せた。そこからは取り憑かれたかのように原田マハ先生の書くゴッホの小説を買い、また、ゴッホの生い立ちや文献資料、論文を読み漁った。お金はないし、フィンセントが踏んでいた土地を見ることは、まだ叶いそうにないが、インターネットを駆使して、彼が住んでいた場所や彼の作品がある国を探して地図で見ては思いを馳せた。
彼が食べたであろうご飯や、飲んだであろう水やお酒。彼が口にしたタバコ、その全てを考え、妄想までした。
そんな私に一筋の光が差した。それが2022年に開催された「ゴッホ展〜響あう魂 へレーネとフィンセント」だ。
フィンセントが私に会いにきてくれたのか。と高揚する胸を抑えきれなかったのを今でも思い出せる。そして、フィンセントが生前から憧れていた東の国、日本に絵を通してフィンセントは降り立つのだ。こんなにも素晴らしいことがあるだろうか。(もちろん、この展覧会よりも前から、ゴッホの作品は日本に降り立っているが)
写真で見るよりも豪快なタッチ、油絵の具をふんだんに使用したタブロー、けれど、繊細な色彩感覚、素描の細かさ。まるでフィンセントと直に対話しているようで、展示室に一歩踏み入れた瞬間から出るまで胸がいっぱいになり涙が溢れて止まらなかった。
彼が生きていた時間は確かにあって、彼が死んでからもタブローという形で彼は生き続けているのだと知った。その素晴らしさたるや、ない。
ゴッホ展は大盛況で幕を閉じてしまったわけだけれど、もっと間近で、そしてもっと自由に彼の絵が見たいと考えた時に、私はフィンセントの作品を所蔵している日本の美術館を調べた。
その中で巡り会ったのが、メナード美術館だ。

そのメナード美術館に久しぶりに時間ができたので迎い、フィンセントに会いに行った。フィンセントの作品の前にも数々の素晴らしい芸術作品を目の当たりにした。そしてフィンセントの作品の目の前に立った時、思った。
「命を削って作品を作り、魂を宿す作品だからこそ、人々を魅了するのだろう」と。
それは、どんな作品だって同じだ。世界遺産でも、国宝でも、重文でも、それは賞賛されているものでなくてもだ。
常、私たちが使用している身近なものでも、作家が命を吹き込めば、その作品はたちまち息吹をし、生きるのだ。それが芸術であるのだと。

文化や芸術というのは極めて日常の必需品ではないのかもしれない。なくても生活はできる。だが、それがなければ人は生きていけないのではないだろうか。知性があり、感情が豊かである生き物の人間だからこそ生まれたものが、文化や芸術であるのならば、それを失ってしまったら人間ではなくなってしまうのではないだろうか。

人が人として生きていくために、そしてより豊かな心や知識や知性を保つためにも必要不可欠な存在であり、それは人々が生きてきた証にもなるのだろうと感じる。

ヘルマンヘッセ然り、フィンセント然り、彼らの作品が今もなおあるからこそ、文化は発達し発展し、そして、彼らが生きていた証になるのだ。
そんな、素晴らしいものを、私は大事にしていきたい。

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