
物語を構成する水路について|雑記
院試から1ヶ月以上がたち、脳神経を占めていた臨戦体制はほぼ和らいだ。
※2023年4月、社会人から心理学科3年に編入して大学生となり、今年9月に院試が決着し、第一志望の臨床心理学系大学院に進学が決まった社会人の雑記です。
波打つ体調をちょっとずつ御しながら、やっとコントロール可能な状態に近づいてきたと思う。院試に対して鋭く、一点突破を図ると決めた時に反動も覚悟したけれど、こんなに激しく揺らしておいたのだなと振り返る。
フィールドへの一歩
もともとの趣味である同人活動と、心理学で読みたい本を読むこと、統計学を学ぶこと。
今の自分軸はこの辺で回っている。そして自分の軸と社会の軸との間にささやかな「フィールドエントリー」を進めている。住んでいる街の子育て支援の場を訪問するお約束をしたり、社協の活動を調べたり。
11月には、自分が所属するLINE相談支援の母体施設にも訪問する。今まで、文面による支援が主だったので、LINEを経由した支援の可能性を深めるのと相互に、地元で行われている肉感のある支援現場にも関わりを持っていきたい。要支援の人を直接に支援できるのは、その人の地元の、専門・非専門の両方を含めた人と人との関わりである。できるだけ、いろいろな場に自分の手で触れておきたいと思う。
物語と論述は違う水路を持つ
早いうちに大学院が決まったら、4月までに1冊本をかこうと決めていた。
思いがけず早く決まったので「よっしゃ描くぞ」と印刷所まで予約したはいいけれど、脳内の構造が変わっていて、実はうまく進められずにいる。
物語を構成する水路は、お話のタネや軸といった素材同士を有機的につなぐ作用を強く持っている。だから私はお話を作る時には、たくさんの素材を集め、水路にばら撒いておく。そしてそれらがどうつながるかを、あるき回ったり手に取ったりして試行錯誤する。
そうしていると、平地だった水路脇の地面に凹凸が生まれて、だんだん水路の水に歪みが出始める。その歪みもまた試行錯誤する。作り手である私は、どういう地形の中を進むのか注視しながらさらに手足を動かして、タネと軸と水路と地面はどうやって流れていくのか考える。途切れず、いきいきとした地平ができることを目指す。
そうしていると一つ、まち?地域?国?みたいなのができるので、それを物語として描写する。
こういう物語の水路は、私にとって馴染みが深い。
しかし、先の院試では、お題に対して咄嗟に論理展開を構成し、それを肉筆で記述するという瞬発的な論述力が要求された。
それに合わせて自分の脳内は、鉄砲水を流すことのできる水量を貯め、適切な経由地(論点)を定めて、水流を滞りなく経由地に巡らせながら最後まで流し切る、という特殊な水路を突貫工事する羽目となった。しかも突貫工事の水路がちゃんと作動するかいっぱい確認した。
そのために、悠長に構成するのが特徴である物語の水路がどういうふうに流れるものだったか、すっかり忘れてしまった。さらには、8月下旬から鉄砲水的な発出が常態化していたので、水量に自信がなくなっていた。すなわち、論述的な水路を保ったまま物語的な水路を取り戻す自信がなかった。
困って、自力ではどうにもならなかったので、物語を作る仲間に何人か会った。
合格祝いと称しつつ、上記の困りごとをせきららにあかし、どうしようと頼った。
その場で何かが解決したわけではなかったし、友人たちは真に聡明な方々なので安易に解決を示したりはしなかった。
けれど、一緒に街を歩き、折々に見つけたタネや軸をポツポツと話していく中で、創作者の水路を間借りして「水路とはいかなるものであったか」を疑似体験させていただいた。不思議な体験だった。院試で役立った「思考トレース」は、こういう時にも自動的に動くようになっていて、創作者たちの思考をトレースしていくにつれてだんだん「物語とはかくなるものであった」という体感がよみがえってきた。取り戻したというより、湧き上がってきただけかもしれない。
そうして今はちゃんと物語を構成することができている。ような気がする。
立体として建ってくるのはもう少し先かもしれないのだけれど、しっかり手を動かして素材をつなぐ段階を重ねている。いつ仕上がるかわかんないけれど、本を作る目的は果たせそう。