必要なのは仕事も家事もできない環境なのかもしれない
昨日、通勤時間という一人時間がなくなって、自分の時間の確保が課題になった、つぶやいた。
一人になれる時間がないから、自分の時間がない。
そう書いていみた後の今日。
雨の降る中、一人で買い物にでかけた帰り道にふと思った。
私、今一人。一人になる時間ある。
家にいても、兄弟仲良く遊んでいるときは、一応私は一人だ。
子供が寄ってくると危ない気がするアイロンがけなんかもやる時間はある。
じゃあ、なにがだめなのか。
考えてたどり着いたのが、環境だった。
昨日のつぶやきで、オンとオフの切り替えが難しい、と書いたのだけど、その最たる理由は、「家に仕事ができるパソコンがあるから」なんだと思う。
在宅環境が整っていなかったときは、たとえ仕事が気になっていても、仕事できる環境が物理的になかったため、作業はできなかった。
家事については、出社しているときは、たとえ掃除できてない部屋が気になっても、畳まれていない洗濯物が気になっても、物理的に作業できなかった。
それが、今はどうだろう。
仕事が忙しければ、今までは保育園や夫に子供を預けなければならないという高いハードルがあってできなかった休日出勤もできてしまう。(実際何度かした)
掃除できていなかった部屋の掃除や洗濯物の片付けはしたほうがいい、という義務感にかられる。そうやって、今までやりたくてもできなかった(目をつぶってやり過ごしていた?)家事ができてしまう。
結果、通勤がなくなったことで、私が必要としている「自分の時間」が増えていない、どころか減っている?みたいだ。
仕事はともかく、家にいるのに、今まで通勤時間にやっていた、気になっている本を読んだり、noteを読んだりするという時間がつくれないのを解消するには、いったいどうすればよいのか。
私以外の家族が、家事をやってくれたら?その横で私はゆっくり本を読む?
そんなことが家族の心情的に許されるようになるには、どうすればよいのか。。
他者が関係することで課題のハードルがあがった気がしてならない。。
でも、まずは自分から。できることを考えなくては。
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