「シュノーケリング」 けっち
Photo by Jcob Nasyr on Unsplash
何年か前に妻が仕事で沖縄へ取材旅行に行ったことがあります。妻ははじめてシュノーケリングを体験したらしく、そのときカメラマンに撮ってもらった写真があって、以来その写真を少し拡大して額にいれてうちの壁に飾っています。沖縄の離島でおこなったシュノーケリングはとてもきれいだったそうで、うらやましいかぎりです。
実は僕もモルディブという島国でシュノーケリングをしたことがあります。いきなりモルディブ、と持ち出すとなんだかすごく自慢めいていますし、たしかに自慢にちがいありません。妻が潜った沖縄の海も宝石そのものにちがいありませんが、モルディブの海もエメラルドグリーンそのもので、海の水が澄んでいて裸眼で魚が泳ぎまわっているのがみえたものです。
モルディブでシュノーケリングをした、というよりもっと正確にいうならば僕はダイビングのC級ライセンスの免許をとるために2週間滞在し、PADI公認のライセンスも持っているのでした。というわけで、シュノーケリングはダイビングの一環でもあって、シュノーケリングよりもっと深い海底まで潜りもしました。
でもそれは、いまこうして自慢げに書いておきながら、どこか他人の物語について語っているような少し寂しい気持ちにもなっています。僕はダイビングのライセンスをとっておきながら、海にもぐったのはあの20歳だった春の2週間のときだけです。それ以来、よく考えたら海に行っていない。20歳というと、20年前になります。20年前の春の日の2週間だけ、僕は世界一綺麗だといっても言い過ぎではない最高の環境のなかで海を堪能し、朝から晩まで海のなかにいて、そしてその2週間以降、一度も海に入っていない。
いまではそのライセンス免許もどこにいったかわかりません。はたして20年前に1度だけ潜ったダイバーが今も免許を持っていると言っていいのかもわからない。なぜ僕はあのモルディブ以降1度も海に入っていないのか? それについては自分なりにある答えがでています。ですが、それをここに書くと少し話が脱線し、何について書いているのかわからなくなりそうなのでやめておきます。
ただ、その後妻がはじめてのシュノーケリングを取材で体験してきて、それがすごく楽しかったといっていて、僕もうらやましくなりました。だから今度、コロナがおちついてまた旅行も可能になったら、沖縄の離島にシュノーケリングしにいってみたいです。ダイビングの免許をとってダイバーとして潜るのとちがって、シュノーケリングはもっと手軽で、海と人間が触れ合う楽しみの基本パックみたいなところがあります。ダイビングのときの、酸素ボンベを信じてグッと圧を感じつつ海底にむかっておりていき、真上の太陽を眺めるときの次元をまたいでいるような不思議な体験ほど深みはなくても、シュノーケリングにははじめて自転車に乗ったときに風をかんじて喜んだような楽しさがあります。そんなわけで、シュノーケリングをやりたいな、と思っています。今日もありがとうございます。