「ガマ口財布」 けっち
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ガマ口財布というのは、僕にとってなかなか縁のない財布でした。偏見かもしれませんが、男でがま口財布ってつかうのでしょうか? なぜかおばあちゃんがつかっているという印象が勝手に僕のなかにあります。たしかに小銭がとりやすいし、その一方でお札は曲がってしまうので、どうしても小銭中心になるのが、ガマ口財布ですよね。
でもなぜかガマ口財布をひらくおばあちゃんの姿(それはすべて空想なのですが)は、僕のなかで一種の安心感を与えてくれます。それがなぜなのかはわかりませんが、たぶん、小銭しか入っていないその財布のなかから、しっかりと小銭を大事に使おうとするおばあちゃんの心のありかたにホッとするからかもしれません。
今自分もそうですが、買い物のほとんどはクレジットカードです。あるいはちょっと前まではほとんどが千円札以上のお札でした。小銭はほとんど持ち歩いていないし、小銭がたまるとすぐにATMに入金してしまいます。
その結果、自分にとって「お金」というものの実感がどこかで薄くなってしまっている。お金から重さがなくなっていってるんです。紙ですらなくなってきて、いまでは「データー」でしかない、それがお金になっている。
おばあちゃんのガマ口からでてくる100円の重み。330円といわれたら、きっちり3枚の百円と3枚の十円玉がでてくるとき、その330円はしっかりとお金の重さがあります。クレジットカードで1000円以下の支払いをするとき、その端数を意識すらしていないときがあるというのに、330円でも324円でも、数字ならほとんど変わらないような軽さなのに、小銭でガマ口からだすときは、24円なら一円4枚つかいます。一円の重みというのも、そのうち僕は忘れてしまうかもしれません。
ガマ口財布が象徴的なのは、あのバチっと音をたてて金具がしっかり閉まる音がするところ。チャックよりしっかりとお金が守られているような安心感がありますよね。おそらく僕が自分のガマ口財布を手に入れてつかうことは一生ないかもしれません。だからこそ、使わぬまま死ぬのがわかっているからこそ、ガマ口財布というものにたいする淡い憧れのようなもの、その「お金の重みを自覚している人がもっている財布」への敬意と相まって、ガマ口財布っていいな、と思いつづけるでしょう。今日もありがとうございます。