見出し画像

できなくなった「佩(ハク)」全国ツアー

三代目こと江本昌弘(DJ emo)です。

NO MUSIC NO LIFE

今から40年ほど前、小学校6年だった僕は、月曜日のザ・トップテン、水曜日の夜のヒットスタジオ、木曜日のザ・ベストテンなど、歌番組が大好きでした。

色々な歌手やアイドルがキラキラしたステージで歌う曲に心をときめかせる、いたって普通の少年です。

そんなある日、姉が聞いていたストレイキャッツのロックディスタウンに雷に打たれたような衝撃を受けたことを覚えています。(ブルースブラザーズ2000のキング牧師に洗礼を受けたキャブですね笑)

当時、姉の高校ではフィフティーズ(50年代音楽)がブームで、感化されやすい僕はその日から一気に音楽大好きのロカビリー少年になってしまいます。

後にレゲエ、ルンバ、ジャズ、そして現在のバレアリックと数々のジャンルを渡り歩いてきました。

音楽が好きで好きで、聴くだけでは飽き足らず、クラブ、ビアガーデン、結婚式、運動会、お祭り、商店街、展示会、フランス料理店から納涼船など、様々場所でのDJプレイも手掛けてきました。

人生の大半を大好きな音楽と過ごしてきたから、その場、その空間、その一瞬を音楽の力で輝かせたいと思っています。

画像1

音楽は趣味で仕事は手袋

それまでの僕は、「手袋は仕事、音楽は趣味」と、全く違う別のものと思っていました。

そして、僕にとって仕事は「楽しくないもの」でした。


僕にとって手袋は、当たり前にあるもの。

裁断機とミシンの音が響く手袋工房に置かれたゆりかごで育てられ、物心つくと自然に手袋づくりの手伝いをしていました。

そこにいる誰もが手袋をつくることに疑問を持たず、いつも懸命に手袋を作っていて、そこに何の疑問も持たず手伝う僕がいました。

やがて高校へ進学し、大学へは進学したものの勉強する気力を無くして就職したのは家業の取引先で、やはり手袋に関わる仕事でした。(つまり親が僕の修行として用意してくれた仕事)

その東京の商社で何年か働かせてもらい、ある程度業界のことを覚えた頃、実家に戻ってやはり仕事は手袋づくり。

そんな僕にとっての仕事とは、一刻も早く終業時間が来て欲しいもの。仕事を終えて夜は音楽を楽しみ、また憂鬱な朝がくる。それが一生続くと思っていました。

しかし、取引先の倒産でその生活は一瞬にして終わりを告げました。

あれほど嫌だった手袋の仕事が無くなって良かったはずなのに、僕は何故か悩み苦しみました。これからどうなるのか。これからどうすればいいのか。全てが不安でいっぱいです。

そして、大好きだった音楽までも楽しめなくなりました。


僕は放心状態でしたが、長い苦悩の末、一つの決断に至ります。

それは、手袋の自社ブランドを作ることでした。

それから多くの人に助けられながら、江本手袋にとって初めてのオリジナルブランド「佩(ハク)」に取り組むことができて、僕の中の手袋は少しずつ変わり始めます。


佩(ハク)のブランド発表会

創業から約80年、江本手袋が作った初めての自社ブランド作品は、何の変哲もない当たり前の手袋。正直こんなんで良いのかな?とも思いましたが、丁寧にサンプルを作り、シンプルでも沢山のカラーバリエーションを楽しんでもらえるようにしました。

画像3

他のアイテムも出来上がり、まず最初にやったことは、ブランドの発表会です。手作りの案内チラシをご近所さまに一軒ずつポストしました。

画像2

発表会当日は、工房近くのカフェを借り切って佩(ハク)の商品と音響機材とお気に入りのレコードを持ち込んでBGMもバッチリ!

でも誰か来てくれるんだろうか・・・

ちなみに、僕の地元では「手袋を買う」ことはほとんどありません。なぜなら、手袋は買うものではなく、貰うものだから・・・

そんなことを考えながら、あまり期待せず待っていると、なんと顔見知りのご近所さんや外注の職人さんたちが続々と来てくれてビックリ!

画像5

ご近所の皆さんに商品を実際に触ってもらい、「めちゃくちゃいい」と気に入って買ってくれた時は、今まで仕事では味わったことのない喜びがあって、ちょっと涙が出るほど嬉しかったです。

それ以降、不思議と手袋に対して”仕事”という感覚は無くなっていきました。


佩(ハク)と音楽の関係

「イベントで音楽を流しながら手袋を売ろう」

何故かそんな話になり、どんなことが起こるのか全く分かりませんでしたが、その時に流れる曲はどんなイメージ?誰が選曲する?

もちろん佩に合う曲は自分で選びたい。そこにどんな曲を持って行くのか。僕は最高にワクワクします。

まず手始めに、それまで使っていたショボいスピーカーを捨て、必要な音響機器を揃えました。

最初のイベントは、地元とらまる公園で開催される「とらマルシェ」です。瀬戸内海にピッタリのSETOUCHI BALEARICをBGMに、カラフルな手袋に目をとめてくれた人に佩への想いを伝え、気に入って買ってもらえると、またあの喜びが込み上げてきます。

仕事と趣味。手袋と音楽。大好きな瀬戸内バレアリックという音楽とmade in Setouchi Hiketaの佩(ハク)、この2つが自分の中でストンと腑に落ちて、もっと多くの人に知ってもらいたい、共感してほしい思いが沸き上がります。

佩(ハク)のおかげで僕は、手袋が大好きだった自分を思い出すことができました。

そして、産まれたときからずっと一緒だった手袋を大切にできていなかったこと。自分に素直になって、ストレートに手袋を愛したら良かったことに気付けました。


そして、「佩全国ツアー」へ

本当なら今年、これまで佩を好きになってくれた人のところへ出向き、僕の大好きな音楽と共に佩の新作を届ける全国ツアーを実行するはずでした。

僕と同じように佩を愛してくれる人に会いたい。

その出会いが佩を育てることになると思ったからです。


人を大切にするブランドでありたい。

人らしく生きるブランドでありたい。


その先に、どんなドラマが待っているのか、本当にワクワクしていました。


残念ながら、あと一歩だったけど、新型コロナウイルスで今年の全国ツアーは中止にしました。

でも、いつか必ず行きますね。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?