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アウトプットはたのしい

書きなぐっているので、支離滅裂かもしれないけど許してほしい。


アウトプットは楽しい。
アウトプット以外にも楽しいことはあるだろうけど、アウトプットは楽しい。
手段はなんでもいい。文字を書くでも、音楽を作るでも。

アウトプットの楽しさを端的に表すと、「自分の持つイメージやアイデア、感情や想いを具象化(≒可視化、具現化)する」というところだと思う。

はじめは、ただアウトプットする方法を学び覚えて行くのが楽しい。
少し経つと、学び覚えたものが形になってくるのが楽しい。
そうしてまたしばらくすると、先ほどの括弧書きが出来るようになってくる。

いわばこれの繰り返し。たのしい。

ただ一つ気をつけるとするなら、義務にしないこと。
やりたいことがやらなければいけないことになったとき、楽しさはどうしても半減する。これは身を以て痛感した。
そこだけ気をつけていけば、やはりたのしいのだ。

少しだけ昔話。飛ばしてもいい。

僕は、たぶん色んなものに憧れてきた気がする。

幼稚園時代はきっとヒーローにも憧れたし、ポケモンごっこなどもした。
ただ、自分がサトシ役をやるのは忍びないので精々シゲル役とかミュウツー役だった。

小中高と本の虫だった自分は、小〜中くらいのころに「小説家になれたらいいな」と思ったこともあった。実際に文も書いてみたし、百均で買ったFDに保存していつでもかけるようにしてた。たぶん実家の何処かにある。

中学2年からは楽器にも夢中になった。
音楽は嫌いではなかったし、小学生くらいからは歌うのも好きになっていたが、学習発表会で一つ上の先輩たちがBUMP OF CHICKENの「天体観測」とORANGE RANGEの「ラヴ・パレード」を演奏したのを観たときは衝撃だった。すぐにギターを買って、誰も周りで楽器をやってないのに黙々と弾き語りを練習した。なつかしい。

そんな風に感銘を受けたものに影響されやすい僕は、その後なんだかんだあって今も音楽を続けている。

ついでに、仕事を始めてからは元々興味があった動画や画像、写真やデザインといった領域も仕事の中で独学で少しずつ覚えて、バンド活動に還元できていたりする。


昔話を振り返ったところで思うに、
アウトプットできるかどうかについては、
つまるところ、結局は興味関心と熱量の問題なのかな、と思う。

アウトプットの仕方はいくつもある。
絵、音楽、文字、踊り、写真、映像
ほかにも陶芸とか彫刻とか、料理とか、挙げればもしかするとキリがないかもしれない。表現なんて人それぞれだから。
上記は過去学生までの授業なども含めて全て触れたことはあるけれど、ほとんどはどこかしら楽しさがあったと思う。踊りだけはあまり肌に合わなかったけど。

やりたいことがない、という人はこの社会に少なからずいると思う。
自分の後輩や知り合いにも何人か思い当たるけど、彼らはじつは何かしら僕より才能や技術を持っていて、でも、謎の謙遜と共に煙に巻く。もったいないなぁ、とその度思うのだけど、それが言い訳を作ってでもやりたくないのであれば仕方がないのかもしれない。別にその人が悪いわけじゃない。
(でも、その才能はほしい)

結局のところ、自分の考え一つで物の価値は変わるし、明日の天気もわからないし、人はいずれ死ぬ。いろんなことで一喜一憂する。

そんなワケの分からない日々の一端で、どうしてこんな更にワケの分からない文章を書いているかというと、もちろん思考の整理も目的の一つではあるけれど、やはり、


アウトプットはたのしい、ということ。




思ったことを文字にします。 普段:作詞作曲編曲とか 仕事:Web動画PとかDとか色々 pool Gt./Vo. 他、バンドの制作周り 92年。時々、支離滅裂です。