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恐怖症に対する多角的解釈とその治療法について

世に数多溢れる
『恐怖症』と言う
見えざる病。
 
この病の罹患者は 
年々増加傾向にある。

その大元は言わずと
知れた世情不安にある。

政府による無策が
国民の不安感を煽る。

嘗ての大規模反戦デモも
その大元は戦争に対する
不安感からである。
 
戦争に行けば
必ず殺される。

漠然とした不安を
払拭する為にデモに参加。
 
そういう理由で
参加する人は
少なくない。  

恐怖症として先ず頭に浮かぶ物。

高所恐怖症、閉所恐怖症、暗所恐怖症等。
これらは空間的な恐怖症の代表例である。

恐怖症は他にも多数存在する。

醜形恐怖症、対人恐怖症、パニック症候群等
これらは内なる己に対する恐怖症の代表例。

然れどこれら恐怖症の中には
複合的な意味を持つ物もある。

だが残念ながら今の
西洋医学ではそれらの
研究は殆ど成されておらず
神経麻痺薬を投与され
神経麻痺による
緊張緩和のオペラント
関連付けにより
症状緩和が現状であり
完治には程遠い。

我々はその不安の元を
断つ事で其処から派生する
様々な恐怖症の完治に至らせている。

例えば閉所恐怖症には
広ければ良いのか?と言うと
実は広くても恐怖症を
発症するcaseがある。

逆を言えば狭くても
発症しないcaseもある。

その違いは空間認知による。

人は空間を目だけで
認識してはいない。

距離感は人により
様々である。

同じ距離でも
長いと感じる人もいれば
短いと感じる人もいる。

それは距離に対する
日常生活に於ける
認知度の違いから来る物。

空間認知も
同じ事が言える。  

目で見る広さ、
音の伝わる速度、
肌で感じる圧迫感等である。

広すぎる事は逆に
空間認知度を低下させ
それが不安に繋がる。

これも又、閉所恐怖症の一部。

同様の事は高所と
閉所にも適応される。

高過ぎる事や狭すぎる事だけが
恐怖の対象ではない。
 
高さや暗さが解らない事も
不安材料となる。

内なる自己に対する
恐怖症も同じである。  

その人の回りにいる人達が
関係している。

人が変われば五感が
変わり心も変わる。

これが醜形恐怖症や
パニック障害、
対人恐怖症にも適応。

美しすぎる事が
加齢による様態変化に
耐えられず醜形恐怖症と
なる人もいる。

余りにも何もない事に対して
頭が混乱してパニック障害を
起こす人もいる。

人と関わらない事が
対人恐怖症の元となる
caseもある。
 
この様にmental sickは
その見方によって
様々な要因がある事が
お解り戴けたであろう。

西洋医学による
薬物療法だけでは
これらの対応は不可能。

神経を麻痺させるだけでは
これ等の病の回復は望めない。

全てをケース・バイ・ケース
として扱わなければ完治には
至らぬのである。
 
我々は薬物に頼らず
言葉でこれ等の
様々なcaseに対応し
完治に至らしめる。

私は今後も汎ゆる
疾患に対して
薬物療法ではなく
会話療法のみで
完治させる事を続けていく所存。 

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がーさん
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