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日記hibi/ 2020/4/23〜4/29

2020年4月23日(水)
両国>蔵前>浅草橋>蔵前>両国
 いつものように遅寝遅起き。出荷が溜まっているので店に行く予定で、233は頭におできが出来てしまって、それで皮膚科に行くので、それに付き添うように原付きではなく徒歩と電車で蔵前まで行くことにする。空いている電車。気持ちのいい快晴で、外にはそこそこの人がいるのだけれど、電車だけは異空間のように閑散としている。外にいる人はみんな近所を散歩、という感じなのだろうか。

 二枚のマスクが届いている。店に。世帯、とはなんなのだろう。住所登録はしていないはずだが。事業所として納税はしているのでそれなのだろうか。二枚だが。クソが。ないよりはあったほうがいい、と誰もが思えるところがなおムカつく。こちらは効率や効果の話をしているのに、「でもあったほうがいいですよね?」という指摘にうなずくしかない構造がムカつくのだ。

 出荷出荷出荷、一五個口。HABとほかの仕事の分をあわせた数。通販。いまだに、ほんとに、物流のことや、ほかの本屋さんのサイトがどんどん立ち上がっているのを見て、何度でもぼくのサイトを閉めようと思ったが、まだ閉められない。新規登録と一日二回つぶやくようにしている宣伝のbot以外は、なにも通販について触れないまま、ありがたいことに受注は増えている。促進せず、といってもいま始めたり促進している人のことはぜんぜん嫌だと思わないのだけれど、ぼくはといえばいまはずっと、底辺で、この一年間H.A.Bノツウハンをよく見ていてくださった方のためだけに発送を行いたい、という感じ。物流の方々含め、関わる人達をなるべく多く広く幸せにしたいが、他人を幸せにできるということ自体が幻想で、それはただの独りよがりであるので、ツウハンサイトは開けていても閉めていてもどんよりする空気が漂っている。

 荷造りして、郵便局。15:00までの作業がマスト。その足で、シモジマまで備品の買い出し。お弁当の容器が目立つところにどん、と陳列されている。いつもは季節商品とか、催事が展開されている一階のフロアだ。いまお弁当容器は別の意味で季節商品だし、催事なのでなにも間違っていない、とは言えた。

 再び店に荷物を置いて、原付きで来ればよかった、置いて、いづちゃんから233のおむつがあれば買って、という依頼があったのでドラッグストアへ。すでに大きな子なのでLサイズなのだが、パンツタイプしかない。テープタイプがほしい。蔵前、両国はドラッグストア不毛の地なので三軒回ったところで諦める。

 今日はハイスタを聞いていて、パンクは好きなのにハイスタは当時あんまり好きじゃなくて、そもそも音楽をよく聞き始めたのは大学生の頃なので、ハイスタはもう解散していたのだけれど、それもあって他のバンドばかり聞いていたのに、いま聞くとなぜか懐かしい感じになり、簡単に思い出が捏造されていく。曲も別に悪くなくね? となっていて認識も簡単に更新される。

 こんな時間になにか送ると気を使わせてしまうかなと思い、メール本文だけ書いて送らず保存する作業。前後左右を囲まれて、本を読む時間を作る踏ん切りがつかない。読んでいる場合なの? いつでもどこでも読んでいる場合のはずなのだけれど。大量のポテトサラダと人参のマリネを作れたところが、今日のハイライト。

 残り一〇ページ強になっていた『いまを生きる』をようやく読み終わる。ようやく、とはなにか。

2020年4月23日(木)
両国>代々木八幡>下北沢>両国
 事務所。契約書類とはんこを集める作業。辛い。不毛。苦しい。移動が、というわけではなく、こういうしごとで日々が多忙にすぎていくことがということのような気がする。家にこもっていたりすること自体は恐ろしくなにもストレスがない。移動中に本を読まずにしごとをしていて、それはもう病気かもしれない。

 新しい方の事務所、それは下北の二階で、そこに電話とFAXをつなげ、ポストのキーを開け、散逸している書類を揃えていく。それぞれやった人がどこにどう置いて管理しているのか、わからなくなっているものと整えていく作業。人が作ったエクセルの計算式を解読して直していくようなもので、これも辛く不毛。

 光明、というか、光明にしたい! という気持ちで頼まれていた本を持って斜向かいのfuzkueに向かう。中に入れていただいて、それで、あらいいですね、いいですね、いい、という話をして、今度はこちらに来ていただいて、あらいいですね、いい、という話をする。ちょっとづづ、造作が違う。それでfuzkueの二階で、遊ちゃんさんに初めてお会いして、どぎまぎして、なんだか嬉しく、この感じはなんだろう? と思うとそれは『『百年の孤独』を代わりに読む』を読んだ後にはじめて『百年の孤独』を読んで、「ウルスラ! ここにウルスラが、元気な姿で! あぁ、すごいなぁ、嬉しいなぁ」と思った気持ちに似ているかもしれない。や、流石に違うだろうか。ぼくはウルスラが大好きなのだが。帰り際にメニューを購入させていただく。

 そこからは戻って、延々と書類を整えて、通販の配送をし、また書類を整えて、としていただけですでに二三時で、なにかの感覚がおかしいのではという気がしてくる。事務所に来ない間も通販の出荷をこなすために多めに在庫を、両肩にトートバッグを下げて、233のおむつを薬局で買ったのでそれも持って、電車にのって家に帰る。

2020年4月24日(金)
 両国>神保町>両国
 遅くに起きる。233は一周目の離乳食。メールを返している途中でお昼になり、料理を作らなければやっていられない気持ちで、しかし何も出来ずただ冷やし中華を茹でる。
 客注を仕入れに八木書店に。売り先もないのにまた買う。郵便局でレターパックを買いたかったがもう開いていない。じわじわと一五時終わりが響いてきている。本屋に行きたかったが、三省堂が閉まっている。漫画を買いたかったのだけれど。東京堂は開いている。ふいにラスイチの「新潮」を手に取るが、戻す。どうせ読まない気がしたし、三省堂が閉まっているいま、もうすぐ次号が出るとはいえ、東京堂で「新潮」が品切れているのはまずかろう、という謎の配慮。本屋と飲食店が閉まっているすずらん通りは、終末を想像させる。そういえば、グランデは開いていたのだろうか。チェックせずに帰ってきてしまった。漫画ならそちらだっただろうに。

 帰ると、いづちゃんが茄子を買って、煮浸しに仕立ててくれる。そう! 前からそれが作りたかった。嬉しい。魚を焼く。ぼくが出ている間、いづちゃんはオンラインで参加できるフリーのクイズ大会、に参加したらしい。伝え方が不穏すぎて「詐欺ではwwwwww」となる。なんか会計の講座っぽいものらしい。いずれにせよ怪しげ。

 そのあとはひたすらしごと。暗い、撤退戦の様相、暗い、気持ちが落ちていく。メールした全員に多忙を心配される。実際に忙しい。Twitterの影響だろうか。そこでは暗い発言はしないようにする。SNSはめんどくささがいつも先に立つ。

 北川がホームランを打ったみたいだ。

 鬱々とした気持ちで、深夜にコンビニに行くと、大きな音で音楽がかかっていて、インド系だろうか、いつも店番をしている二人組のうち、一人は外でタバコを吸っていた。一応、ユニフォームは脱いでいる。もう一人に会計してもらう。深夜、店で好きな音楽を大きめの音量でかけるのはすごく楽しい。引き続きとても楽しんでほしい。ぼくもすこしだけ楽しい気持ちになってビールを飲んだ。

2020年4月25日(土)
 両国>蔵前>両国
 昨日告知して、今日は店を開ける。単純に告知ができていなかっただけなのだが、来て欲しい、というものでもないから、それでいいのだろうと思う。常連さんが来てくださる。別に、ぼくはいつもそうなのだけれど、そんなに親しく会話をしない。でも嬉しい。嬉しいと思っている。入店された方が全員何かを買って出て行ったのは初めてなのではないだろうか。気を遣われているのか、求められているのか。両方だろうけれども。
 溜めていたツウハンの荷物を作っていると、柿内さんから『プルーストを読む生活』の二巻が届く。大きい。想像の倍くらい大きなダンボールに、二巻が三十冊、一巻が一八冊入っている。おそらく一〇〇サイズ。もしかしたら一二〇サイズかも。うきうきして、友田さんの解説から読む。うわぁこれ、解説だぁ、というもので、それはなんだか当たり前なのだけれど、とても嬉しく面白いものだった。ツウハンにあげたところ、なんだかとても反応があって、それはほとんどが過去に一巻をH.A.Bで買ってくださったかたで、リピーターで、こんな素敵なことはあるのだなぁと思いながら通知を見ていた。そうですよね、ぼくも二巻がとても楽しみだったのですよ、と。

 その注文を作っていたらあと三個のところで一八時になってしまい、それは時短営業になったゆうゆう窓口が閉まる時間を意味していて、この大量の荷物は全部はポストに入らないだろうなということが察せられたうえ、233のお風呂の時間も迫っていたので、急いで帰ると、ぎりぎり、233が脱衣所で、風呂の準備待ちで小さな椅子に座って待っているところに間に合った。そのまま隣に座って、いづちゃんに呼ばれるまで二人で話をしていた。呼ばれたので脱がせ、入れ、受け取り、飲ませ、そして寝かせるところからまたお任せして、鶏肉を照り焼きにするため、まずコリアンダーをか大量に振りかける作業に精を出した。

2020年4月26日(日)
 メールを返していたら夜が深まり、そして遅く起きる。絶対的な睡眠時間だけは確保している、感。
 昨日出しそびれた発送を行うため店に赴きたくさん出す。お一人、近所の出版社の方がいらっしゃり、少しお話。書店も多くが閉まっていて物流も困る、Amazonの補充はe託ですら全くない、など。

 帰ると、233もいづちゃんもひどく疲れている。昼寝をしていないらしい。いづちゃんはともかく、233は寝ればいいだけなのだが、お昼寝が苦手なのだ。露骨に、顔に疲労の色を浮かべやつれている233を見て、なぜ? と思うが、体を休ませることにだって練習や経験がいる、という事実を深く感じさせる。いまの当たり前も過去に学んだことでしかない。いづちゃんから、ぼくのいない間にあった、233がずり這いで“下がる”動画を見せていただく。うつ伏せから前に進みたいから、なるべく手を前に出してつく。でも手が短いからほとんど前に出ない。そのまま両手に力をいれて上半身を持ち上げる。だが、垂直に上げる力がないから、斜め四五度くらいで腕が伸びる。この時若干体が下がる。そこから腕の力で前に進めればいいが、それはないので動けない。そのうちに腕が疲れてぺちゃんと倒れる。また顔を上げ、前に進むために手を伸ばす。この繰り返し。かなり尊い。これは尊い。そのうち、233は出来なかったことも思い出せなくなる。出来ることを求めていく。ぼくはそれがそのうち出来るようになることを知っているから、出来ないいまが尊く感じられるのだろうか。おそらくそうだろう。それだってなにも間違っていない。間違っていないが、出来なかったことだって、出来ないままでもこんなにも尊いということは、忘れないでいようと思う。忘れたくないことを忘れない程度には、ぼくは出来ることが増えている。

 晩ご飯にカレーを作る。233の離乳食に合わせて使い方を覚えたブレンダー、というかジューサーを駆使してほうれん草をペーストにして、初めてのザグカレー。適切なレシピがわからず、とりあえずいつもの定番カレーにほうれん草を混ぜることにする。スパイスとペーストの玉ねぎと鶏肉を混ぜて、先に油にスパイスの香りをつけて、別で細かく切った玉ねぎをイン。そのあと混ぜたもの全部を入れて炒める。適度に炒めてトマト缶イン。生クリームも入れたかったが、なかったので水。普段はこのまま煮詰めるが、後半に例のほうれん草をイン。煮れば煮るだけほうれん草の色も香りも逃げていく気がして、早めに仕上げる。ガラムマサラと、面倒なので仕上げには市販のカレー粉も入れちゃう。が、何度調整しても、玉ねぎとトマトとほうれん草が混ざり合わない。それぞれの個性を主張している感じ。「だめだよ、これじゃあ。一つになってない。カレーは、みんながワンチームにならなくっちゃぁ」と芝居がかった口調で言ったら、「ワンチーム」がなぜかいづちゃんのツボに入ったみたいで、ずっとくすくす笑っていた。「ワンチーム」「ワンチーム」。
 ほうれん草を入れる時は、玉ねぎとトマト、どちらかに統一する方がいいのではないかな? というのが今日の学び。

 注意したのに、いづちゃんは床で寝た。

2020年4月27日(月)
 ー
 データが消えて辛い。だめだもうなにもかもがだめ。

2020年4月28日(火)
 両国>新宿>代々木八幡>下北沢>両国
 昨日は酷い一日で、朝は233がなんだか勝手にうつ伏せになりながら髪を引っ張って起こしてくれたが眠い。あとは作業作業作業で、データが消失したりしていた。ひどく気持ちが落ち込んでいる。しごとの質の問題だろうか。
 事務所に行く日、の前にみずほ銀行に寄って、一月分遅延している税金の振り込みを、しかし銀行が入店規制でとても使いづらい、致し方ないと思っているのだけれど、それでもしようと向かうと、嘘か本当か九〇分待ちの張り紙が入り口にしてあった。嘘っぽい気がしたがそんなには時間がないので踵を返す。新宿のブックファーストで『コロナ時代の僕ら』。今日の読書会の本で、ゲラはいただいていたがどうにもデータだと読む気がせず、結局当日に本を買う。そんなに長いものではなさそうなので、勢いで読めるだろうと思っているが、もし読めたとしたら、今月二冊目の読了、となるのだろうか。新しくしたiPhoneのフィルムとカバーを買おうと思ったが閉まっている。特定の売り場だけは開いているらしく、入り口には、ウインドブレーカーに、プラフィルムで顔全体を覆うタイプのマスクをつけた店員さんが一人で立っていた。諦める。

 急いでいたのは出荷があるからで、事務所にある本をレターパックプラスに詰め込んで、これはポストに入らないので窓口に出さないといけない。集荷もできるがそれはそれで事務所にずっといなければならないのが面倒くさい。一四時半になんとか荷造りが終えられたそれは、郵便局に持ち込まれ、しかし、一〇人くらいだろうか。多くの人が並んでいた。ソーシャルなディスタンスを保っているため、列は郵便局の外まで続いており、ぼくもダンボールと六つのレターパックプラスを抱えて並ぶ。いつもより格段に混んでいる。発送需要の増加か、窓口が一五時になった影響なのか。そのどちらもだと思うが、ぼくの実生活には郵便局の時間変更がじわじわと、一番影響がある形でダメージが出てきている。

 月日の二階から、歩道が見える。犬の散歩と、ベビーカーが圧倒的に多い。どうしても外に出ないとやっていけない属性の人たち。犬と子ども。こどもはずっとベビーカーの周りを走りまわっている。それはとても好ましいものとして映る。『コロナ時代の僕ら』を読んでいて、外出許可の理由に買い物と並んで犬の散歩が出てきて、さもありなんと思う。

 読書会は一九時から。書類を片づいけているだけでこの時間。疲労。徒労。月日からそのままZOOMでつなぐ。あまりポジティブなことが言えない。終わってからもそのまま作業し、二三時にきりをつけて、出。ビールを買う。両脇にまた、通販で出荷する用の大量の本を抱えている。ビールは電車で飲む。新宿に着く間に飲み切ってしまう。帰りは『ホクサイと飯さえあれば』。

 そして再びチキンラーメン。


#READING  『いまを生きる』(N.H.クラインバウム、白石朗訳、新潮社)
#READING  『コロナ時代の僕ら』(パオロ・ジョルダーノ 著、飯田亮介 訳 早川書房)
#READING  『ホクサイと飯さえあれば9』(鈴木小波、講談社)

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