H.A.Bookstore蔵前店舗、閉店のオシラセ
H.A.Bookstoreの蔵前にあるリアル店舗は閉店いたしました。移転の予定はありません。今後はwebショップをちょこちょこ更新していきます。なお、出版・取次のしごとは今まで通り継続いたします。また、購入特典『H.A.Bノ冊子』も継続して刊行いたします(最新号9月下旬予定)。
以上です。店舗の最終営業日は2020年9月12日(土)ですでに終わっています。終わると同時に上げたかったのですが、テキストの準備がぜんぜん間に合わなかったので百書店フェア終了と同時の9月14日(月)0:00ごろにUPしています。
長らく来ていただいていた方や、頻繁に通ってくださった方などにも、まったく挨拶しないまま閉めてしまいすみません。ひとえに店主が、情の薄いやつであると、落胆や批判していただいてかまいません。事前に閉店を告知することにより、「せっかくだから行こう」であったり、「せっかくだから多めに買っておこう」であったり、あるいはそれに伴う「お店閉じるんですね」というような会話に耐えきれないというか、なにか適切な形ではないだろう、という思いがあり、告知なく閉めることにしました。
大きな理由としては、多忙、多忙、多忙というのがありまして、基本的に月〜金で普通に会社員的に働いて、最盛期は木〜日に店を開けて、可能な限り他の時間で、取次と出版のしごともしていましたので、なんというか、アホなのではないかという状況で。もともと遊びたいとか、人に会いたいとか、そういう欲望が極めて薄い性分で、とくになにも不自由は感じていなかったのですが、“くらし”というものを見つめたときに、これは“充分”ではないのではないか、と。
要望要望問い合わせ催促……。延々とこれらに対応するだけで毎日深夜になる日々に、なにか他のことを考える余裕は失われていましたし、収入面においても、本屋をやっていることで物販+αで直接的に黒字になった月は5年9ヶ月の運営の中で数ヶ月しかありませんでした。もちろん、取次の倉庫であったり、出版の事務所であったりという機能とかけ合わせれば、必ずしも物販だけで黒字になる必要はなかったわけですが、ではなにか取次や出版のしごとを主体的に動かしましたか? と言われると全く無かったわけですし、預金も減っていく一方でした。
突然ですが、取次のしごとの9割は荷造りと経理です。珍しいですねとか、(一人でやるなんて)すごいですねとか、取次についてはよく言われてきましたが、そんなもの答えは簡単で、大変で地味で儲からないから誰もやっていないだけ、一人なのは儲からないからでしかない、のです。そんな中でもそうした「物を触って動かす」という実務について、素直さを持って喜び、誇りを持って尊ぶことが、もっとも重要なしごとです。
3~5月ごろに、新型コロナウイルスの影響で、多くの店舗が休止を余儀なくされたとき、本来であれば適切に物流を維持し、そして支払いサイトを伸ばすなど、危機のときほど小売店のために重要な支援を行うのが、取次の価値だと認識しています。いました。しかしながら当時、余力的にまったくそういったことを考慮する時間がありませんでしたし、溜まりに溜まった経理実務は、いまどこにどのくらい支払いサイトを伸ばしてもいいのか、弊店の余力はどのくらいあるのか、ということをすぐに計算することを不可能にしていました。そもそも運営がかつかつすぎて、そうした余裕もなかった(少なくとも余裕があればどんぶり勘定でも実施できた)のでした。必要なときに必要なことを考え、実施することができなければ、なんのためのしごとなのか、と無力感に苛まれたことを強く覚えています。
時間、収支両面で、これは“充分なくらし”とは言えないのではないか。充分なしごと、というのもその“くらし”の中には含まれるはずです。
(本は継続して出していきますし、取次も倉庫規模は小さくなりますが継続いたします。というか取次を継続するためにも、家賃と倉庫スペースを勘案していまの物件は解約したほうがよさそう、という経営的判断もいち要因としてあります。)
加えて、4月頃から、ひじょうに心身の調子が悪く、とくに対人面において、ひどいときは人の目を一切見れないような状態になっていました。特に初対面とか不特定多数の状況がだめで、4~5月くらいの店番はそれはもうひどい有様であったことが思い出されます。いい大人なのでだいぶごまかしも効くのですが、とかくもう、なるべく人には会いたくないぞ、というテンションが、波がありつつ現在も継続しています。
このような「推敲された文章」、であればある程度問題ないのですが、即時的な感情の発露や、それを伴う対面でのコミュニケーションにはどうにも不安を感じています。
具体的には今後もTwitterなどSNSは告知botみたいになる予定ですし、少なくとも「H.A.B」のしごと及びその内容を軸にした(つまりぼくの活動をメインで話すこと)、トークイベントや取材、配信関係のご依頼は4月中旬の時点から全てお断りしています。
これから出版のしごとの方で新刊も出ていきますし、PRは必要ですから、サブや司会的なポジションで登場することはあると思うのですが、前提としては今後はどんどん「引きこもっていきたい」と考えています。
もともと……、というか、これは本屋を数年間続けていく中で、ファンコミュニティやサロン的な役割について、距離を取るようになって来ました。それは、別にぼくがやらなくても誰かが(誰もが)やっていることだし、パイの奪い合いもしたくないし、なにより、ぼくがやりたくない、と思っているからです。本屋、というか、商店である以上は、その店を懇意に思ってくださるお客さん、言い換えればファンがいないと成り立ちませんし、当店にも少なからずそういう方がいらっしゃったおかげでここまでやってこれたという事実があります。しかしながら、それを過度に広げたくないというか、自然発生的なもの以上にはしたくないですし、その自然発生したものですら、なるべく距離をおき、風通しを良くしたい。ファンダムを認識しながら、なるべくファンダムから距離をおき、なんなら縮小させるように動く。「思い」に「依存」しない。「期待」を「背負わない」。そのほうが、ぼくの心は極めて安定する、ということがすでにわかっています。
SNSでの発信や、イベントの出演を断るのは、そのような理由からで、とてもエゴイスティックなものです。とはいえぼくは求めているのは、ただただ、機能、職能としてただしく活用されていく、便利だから、ありがたいから伸びていく、ということです。それは一つの思想として正しいものだと感じていますし、そうしたことが、僕にとっての“充分なくらし”につながるのだと感じています。
エゴイスティックのついでに。やはり本屋の運営も、エゴの塊でしかないと思っています。街のために、業界のために、そうした意識が、ぼくも最初のころはありましたし、そういう店があるのはもちろん正しいですし、良いことです。しかし、すくなくともこの店は、ぼくがやりたいからやっているだけの店である、という意識を強く持つようにしてきました。そもそも、あんまり「〜のために」という動機を信用していないところがあり、たとえば「子どものために」という理由付けだって、「子どものためにと理由をつけて自分を納得させる」ということだろうという、穿った見方をしています。そうじゃなくて「子どもともっと遊びたいんで」とか言ってほしい。
店の維持や、生活、社会的な貢献、動機づけは様々のなかで、売上を伸ばし、維持ために努力している人たち(それはコミュニティ的運用をしている人たちも含みます)はすごいし、大変なしごとだと素直に尊敬もしています。それでも、そこまでして続けることはぼく自身が絶対に嫌だったわけで、なおかつ現在の店の形態(立地や賃貸条件)は、副業を前提に選んだものであり、たとえば何らかの形で他のしごとを調整して、本屋+αで独立したとしてもこの物件を契約したままで成り立たせることはかなり難しい、ということも早晩わかってはいました。
なのでというか、だからというか、極めて個人的な理由でこの店は閉められます。「エゴだよそれは!」と言われたい。エゴなのですよ、これは。
*余談ですがぼくはいつも、「〜のために」であったり、なにか大きな怒りや理不尽を感じたときに、脳内で「エゴだよそれは!」と古谷徹に叫んでいいただくことで、一度感情から距離を取り、冷静になるようにしています。本当です。
さて、ということで、一度“充分なくらし”のバランスを取るために、いまの店は閉店いたします。しかしながら、店を閉めることで金銭的な負担感は軽くなるでしょうが、しごとの物量的にはあまり変わりませんので、まだまだ“充分なくらし”への課題は山積みです。
“充分なくらし”とは、しごとであったり、家事であったり、育児であったり、読書であったり、もちろん収入であったり、そのすべてが、ありえるべき時間的バランスで整い、なおかつ他者に対しても、自己に対しても可能な限り優しい心持ちであれるくらしのことです。
あり得る可能性としては、心身、時間的なバランスが取れるように調整した上で、別の物件で、ほぼ毎日開く店として再開することですが、いま全然貯金ないのでだいぶ先になるだろうと思いますし、どうなるかもわかりません。いま現在は、とにかく、しごとしたくない、しごとしたくない、まったくはたらきたくない。という心持ちでおり、収入とのバランスしだいとなりますが、どんどん引きこもっていきますし、店も、ぼく個人も、あまり顧みられなくなるように、意図的に、そうしていくという方向性でやっていきます。
(とはいえ、出版のしごとで、本はどんどん出ていく予定ですし、取次の新刊も控えています。そういう事業体=H.A.Bとしては認知されてしかるべきだが、個人としてはあまり前に出ない、みたいな感じでしょうか。)
蔵前にはたいへんお世話になりました。普段から行きたい店がめちゃあるし、実際家が近いのでずっと通うとは思いますが、一区切りです。
繰り返しになりますが、あのクソ長く不安な暗さの階段を登って店までお越し下さり、ありがとうございました。
H.A.Bookstore 店主敬白
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