6. 小学生時代の放送委員

皆さまこんにちわ。本日はお日柄もよくうんぬんかんぬん。

今日は小学生時代に入っていた放送委員について書いていこうと思います。

幼少期時代が長すぎへんかって? いいじゃない。 自己表現の練習を今日もさせて頂きます。 どうかご愛顧ください。


ということで、小学生の時何年生かは覚えていませんが、放送委員会に入っていました。

当時の放送委員のお仕事は、全校朝礼の移動や、昼休憩の料理紹介、夕方の下校時の「気をつけて帰ってね」をアナウンスするものでした。

今まで書いてきた通り、自己表現の苦手だった僕は自分を変えたいと思ったのか、好きな子が入ったからか、はたまたジャンケンで負けただけなのか放送委員に無事入ることになりました。


自分の声をマイクを通して全校に流すということに恐怖オブ恐怖を抱きまくっていて、最初は特にバディの子と何度も何度も読み合わせを繰り返していました。

給食の献立の原稿をもらう時にも、給食のおばちゃんからいつも「頑張ってね」と勇気をもらっていたのを覚えています。

読んでいる最中は無我夢中でしたが、読み終わってみると自分の言葉で全校生徒に何かを伝えることができたと達成感に包まれていました。


自分の言葉で何かを伝えることの楽しさを意識しだしたのもこの頃からかなあと今になってみて思います。


普段周りの人に、家族に、大事な人に、自分の気持ちを伝えてますか?


書いていて僕も考えていることを共有するのってとても大事だなって感じました。

些細なことでも話し合うのってきっと楽しいから、今後も自分の気持ちを伝えるようにしようと思います。


それではまたどこかで。

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