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122. 挫折を経験したことがない人は、何も新しいことに挑戦したことがない人だ〜アルベルト・アインシュタイン〜

みなさんこんにちは。


今回は、「相対性理論」でも有名なアルベルト・アインシュタインさんの格言について紹介していきます。


アルベルト・アインシュタインとは

1879年、ドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンブルク州に生まれました。

生まれた翌年、父は弟から誘われミュンヘンに引っ越し、兄弟で直流電流に基づいた電気機器を製造する会社「Elektrotechnische Fabrik J. Einstein & Cie」を設立し、父は営業を、弟は技術を担当しました。

アインシュタインさんは5歳ごろまであまり言葉を発して人と会話をすることがなく、
5歳の時に父からもらった方位磁針をきっかけに自然界の仕組みに興味を持ちました。


アインシュタイン一家はユダヤ人ではありましたが、敬虔なユダヤ教徒ではなかったので、
5歳から3年間、ミュンヘンのカトリック系の公立学校へ通いました。

卒業後はルイトポルト・ギムナジウムに入学、7年間教育を受けましたが、
軍国主義の重苦しい校風に馴染めませんでした。


幼少期、言葉を発するのは時間がかかりましたが、
数学に関しては突出した才能があり、9歳の時にピタゴラスの定理の美しさに惚れ、
寝る間も惜しんで自力で定理を証明しました。

12歳の時に叔父からユークリッド幾何学の本を貰い独学し、
微積分学も独学で習得しました。

そして同じ時期に医学生のマックス・タルメイから天文学の存在を知り、
物理学にも関心を示しました。


1894年、父と叔父の会社の売上が芳しくなく、
新しい仕事の機会を求めてイタリアのミラノに引っ越しました。

ただ、父はギムナジウムだけは卒業する必要があると、
アインシュタインさんだけはミュンヘンに残ることになりました。

父は、電気工学の道に進むと思っていましたが、
軍国主義の校風と対立反発したアインシュタインさんは医者に欠かせた診断書を元に退校を申し出、
イタリアの家族の元へ行きます。

このイタリアにいた期間で、「磁界中でのエーテルの状態の調査について」という小論文を書いたといいます。


1895年、スイスの名門、チューリッヒ連邦工科大学を受験しましたが合格点が足りませんでした。

しかし、数学と物理の点数が最高ランクだったため、
中等教育の諸知識を習得することを条件に翌年の入学資格をもらいました。


ある晴れた日の昼休みに学校の裏の丘で寝転んで寝ていた時、
自分が光の速さで光を追いかける夢を見たといいます。

これが後の相対性理論の始まりだったそうです。

翌年、試験は最高ランクで通過し、入学を許可されました。

アインシュタインさんは講義にはあまり出席せず、
自分の興味ある分野だけに熱中し、物理実験は1、電気技術では6という成績でした。


1900年、数学・物理の教員資格試験に合格し大学を卒業しましたが、
大学の物理学部長と不仲のために助手になれませんでした。

保険外交員や代理教員のアルバイトで生計を立てながら、論文を書いていたといいます。


1902年、スイス特許庁に就職し、物理学に取り組む自由な時間ができ、
特許申請書類の発明理論や数式を知る機会になりました。

1903年、結婚して暮らしていたアパートの壁が直線ではなく歪曲していることが気になり、これが後に一般相対性理論を生み出します。

1905年の26歳の時、3つの論文を発表し「奇跡の年」と呼ばれます。

それが、「光量子仮説」「ブラウン運動」「特殊相対性理論」に関するものでした。

博士号を取得するために「特殊相対性理論」の論文を書きましたが、
大学側に受け入れられなかったため、急遽「分子の大きさの新しい決定法」という論文を書き、受理されました。

この論文が「ブラウン運動の理論」に発展しました。

バスに乗車していた時、時計台の針が止まっているように見えたことから着想した「特殊相対性理論」は最初は理解を得られませんでしたが、マックス・プランクの支持により物理学界に受け入れられました。


挫折を経験したことがない人は、何も新しいことに挑戦したことがない人だ

アインシュタインさんは、幼少期から、さまざまな挫折を伴ってそれを乗り越えてきました。

その挫折を自身の経験にすることで、次の発明の着想を得たり、
何気ない普段の気になることから着想を得ていました。

そして、それを形にした後も思うように周りの協力を得られるものばかりではありませんでした。


その中でのこの格言、
挫折を経験したことがない人は、新しいことに挑戦したことがない人。

まさにその通りだなと思いました。

みなさんもそうだと思いますが、僕も過去に挑戦して挫折したことがなん度もあります。

その挫折を挫折で終わらせるのか、挑戦した人の特権だと思って、
次の挑戦のバネに変えるのかはその人の考え方次第だと思います。

そして、挑戦する権利は、いつでも誰にでもあると思います。

挫折という名の、未来の楽しい酒の肴づくりだと思って挑戦し続けることが、
面白い人生の作り方なのかなって思います。

そして、楽しい仲間と楽しい未来を思い描きながら挑戦する日々は最高に楽しいので、
そんな新しいことの挑戦を楽しんでいこうと思います。


最後に

今回は、「相対性理論」でも有名なアルベルト・アインシュタインさんの格言について紹介してきました。

挫折は、挑戦した人だけへのプレゼントだとでもいうかのようなこの格言を見た時、
どんなに成功している人でも挫折は何度でも味わっているんだとホッとしました。

自分も人生を最高のものにしようと、日々努力をしていますが、
上手くいかなかったことなんて何度もあります。

そんな時にこの格言を見て、今、アインシュタインさんと同じ努力をしている、
と自分を励まして、さらに自分のバネにしていこうと思います。


それではまたどこかで。

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