109. 私は今までに一度も失敗をしたことがない。電球が光らないという発見を、今まで2万回にわたって行ってきたのだ〜トーマス・エジソン〜
みなさんこんにちは。
今回は、発明王として有名なトーマス・エジソンの格言について紹介していきます。
トーマス・エジソンは三大発明として、蓄音機、白熱電球、動画撮影機を発明しました。
その成功の裏には、何度もの挑戦があったようです。
トーマス・エジソンとは
1847年オハイオ州マイランに7人兄弟の末っ子として生まれました。
少年時代のトーマスさんは、なんでも知りたがる子どもで、有名な話としては、
1+1 = 2
と教えられて、納得することができず、
1つのコップに1つのコップの水を足すと、1つのコップになる。
など、なんでそうなるのかを理解しないと納得できない性格だったようです。
その結果、小学校は3ヶ月で中退し、元教師の母親がトーマスさんの勉強相手になりました。
母は教えるというよりは、出てきた疑問を一緒に考え、百科事典などを参考になぜそうなるのかを一緒に答えを出すという方法でした。
その甲斐もあって、トーマスは元々の好奇心もあり、自分の頭で考える習慣が身に付きました。
12歳になったトーマスは鉄道でアルバイトを始めました。
りんごやピーナッツ、新聞を車内で売る仕事でした。
15歳の時、両親を助けるために、さらに利益を上げようと思いました。
南北戦争が激化したという報道を伝える媒体が当時新聞しかなく、借金を申し入れてまで、新聞を1000部仕入れました。
当時の汽車では新聞は30部しか売れないものでしたが、定価5セントの新聞を25セントであっという間に売り切った。
100ドル(現在の1万ドル)を手に入れたトーマスは、新聞は儲かるということに気づき、新聞を発行する側に回ります。
発行部数は上り調子だったのですが、ある企業を批判した記事を書いた時に仕返しを受け、新聞は廃刊になりました。
電報通信技術が表れ、新聞販売での大成功を収めたトーマスは、電報技術の習得に明け暮れました。
この電報技術をビジネスに転用するべく力を注いでいましたが、1876年アレクサンダー・グラハム・ベルが電話を発明したことで更に研究にヒートアップしたと言います。
電話に熱中したことで、音に興味を持ち、蓄音機の発明に成功しました。
音の次にもっと明るい照明器具ができないかと考え、1879年に1万回を超える失敗の後に、京都今清水八幡宮から入手した竹の繊維を用いて白熱電球の発明に成功しました。
この音と光の技術を合わせたのが映写機だと言います。
その後は、電池、録音機、扇風機、謄写版、トースタ、ミシン、ラジオなど、84歳の生涯を閉じるまでに、1093件の特許を生み出したそうです。
私は今までに一度も失敗をしたことがない。電球が光らないという発見を、今まで2万回にわたって行ってきたのだ
トーマスさんは何にでも興味を持ち、なんでそうなるのかの本質を知ることを大事にしていました。
その結果、色んな研究に繋がり、発明王としても名を馳せました。
それだけでなく、なんと言っても何度失敗しても何度もやり方を変えて挑戦し続けました。
うまくいかなかったことを失敗と思うのではなく、うまくいかないという発見をしてきたのだと捉え、なんで上手くいかなかったのかを考え再度改善していくことで、数々の発明に結びつけてきました。
そのトライアンドエラーを最速で続けていくことが、発展につながっていくんでしょうね。
最後に
今回は、トーマス・エジソンさんの格言についてご紹介してきました。
うまくいかなかったことを、失敗としてではなく、なぜ上手くいかなかったのかだけを見つめ、次にどう活かしていこうかを考えていくことが成功の秘訣なんでしょうね。
僕も上手くいかなかったことを、なぜ上手くいかなかったのかの原因のみに目を向けて、次にどう改善していくかを考え、すぐ実践するようにします。
これまで偉人がしてきたように、改善のスピードとそれを実行する速さに着目して、より良い人生にしていこうと思います。
それではまたどこかで。