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御厨古墳群【磐田市新貝】

ヤマハスタジアムに行くときに使う、御厨駅。何度も行ったことはあるけれど、スタジアム方面の北口しか使ったことはなかった。ところがこのへんには、やたらと古墳があるっていうんです。


データ

〒438-0025 静岡県磐田市新貝2067 ほか
アクセス:JR東海道線御厨駅から徒歩圏内

さすがは遠州の中心だったエリア

御厨駅の南口に降り立つと、名所旧跡の案内板があります。そこに、周辺の古墳についても解説されているので、まずはじっくり読んでみる。

小堀遠州の作庭かー、医王寺も気になるなぁ
ヤマハスタジアムの反対側が古墳だらけだったとはなぁ

なんと磐田市には、500基を越える古墳があるそうです。そりゃあ近畿地方のようなメジャーな古墳ではないけれど、この地域を支配していた豪族のものなんでしょう。Wikiにもこんなことが書いてあって。

御厨古墳群は、古墳時代前期-中期の営造と推定される。古墳群の様相からは、松林山古墳→高根山古墳→目隠山古墳・御厨堂山古墳という中央とのつながりが強い一族と、経塚古墳→秋葉山古墳→稲荷山古墳→新貝17号墳という別の一族の2つの並行する首長墓系譜が想定される。また、特に松林山古墳は静岡県では代表的な前期古墳であり、その他の古墳もこの地域の有力古墳であることから、遠江地方の古墳時代を考察するうえで重要視される古墳群になる。

まず目指したのは兎山

御厨駅の南口は、まだまだ再開発が終わっていなくて工事中なところが多いですね。訪問時(2025年1月)も、南口から東側に行くには迂回するしかなくて、道路も一部通れない箇所があったり。

そんなわけで、手始めに神明中学校の脇を通って兎山を目指しました。

ここはちょっとした公園にもなってるのですが、奥の雑木林を入ったところが古墳のようです。

こんもりしてるから、多分これ

正直、こんなものです。ちょっとした盛り土です。でもいいんです。古墳なんだから。古墳、それはロマンなのです。

見渡せば、すぐ下にある野球場から子供達の歓声が聞こえてくる。このギャップがまたよい。

古墳から降りる階段横に、すごい滑り台!

線路でぶった切られてる松林山古墳

続いて松林山古墳を目指して歩く。公園を抜けて、線路沿いの坂道をテクテクと。みると、鉄道ファンの方が大きなレンズをつけたカメラを構えてる。このへんは東海道線と東海道新幹線が並行して走ってるからかな。

ゆるやかな上り坂

公園を出てから5分程度で、松林山古墳の取り付きを発見。

右側の階段っぽい道を登る
登り切ったところに石柱と仏像が

なんというか、けっこうな出土品があったと聞くがわりとそっけない。まあでもこんなもんですよ、古墳なんて。ちょっとした丘です。でもいいんです。古墳なんだから。古墳、それはロマンなのです(2回目)。

前方後円墳の、こんもりとした前方に立つ

松林山古墳は前方後円墳、つまり前のほうは方形(四角形)で、後ろが円の形をしている、仁徳天皇陵でもお馴染みなヤツなんだけど……上の写真ではまさにその「前方」部分に立って「後円」方面を撮影してるのですが……。

冒頭の駅前にあった解説版より

あらやだ、先っちょが線路でチョン切れちゃってるじゃないですかー。こりゃ東海道線を引くときにやっちまったんだな。

ここにも鉄道写真を撮ってるおじいちゃんがいて、怪訝そうにこちらを見ていたので「古墳を見に来たんですよ〜」と話しかけてみた。「いま立ってるこのへんは、昔は茶畑だったんだよ」と教えてくれたが、確かに上の写真でもそうなってるね。

「線路の向こうに見えるのも古墳だよ」

え、ええハイ。Googleマップにもそう書いてありますね。この日はラグビー観戦に来たんで、キックオフまでの時間とか昼飯のことを考えると、これで十分な気もしたのだが……。

ええい「毒皿」よ!と、線路を挟んで反対側にある秋葉山古墳へと歩くことに。

遠回りして秋葉山古墳へ

道を、間違えました。

地図をよく見れば、来た道を線路沿いに戻ってしばらく行けば線路をくぐって反対側に抜けられたのに、わざわざ御厨駅まで戻って、さらには秋葉山古墳をぐるっと左側から巻いてしまい、相当な遠回りをしてようやう入口に辿り着いた。

前方が秋葉山古墳、左から巻いて遠回りになったが正解は線路沿い
ここが入口

秋葉山古墳の入口は、連城寺さんの西側にある墓地へと続く坂で、最短ルートなら松林山古墳からなら10分とかからなかったはず(25分ほどかかった)。

ちなみに、松林山古墳から線路をまたぐ橋をかける計画があるはずなんだけど、まだ工事も始まっていない。これが開通すれば「ハシゴ」しやすくなるんだけど。

連城寺さんの墓地のいちばん東側に、奥へと続く小道あってここが古墳へと続いているようです。

わかりにくいけど、この道です
すぐに標識を発見
すぐそばに稲荷山古墳の標識もひっそりと立っていた

兎山も松林山もそうだったように、こちらも古墳とはいえ特に目立った何かがあるわけではない。ただの手入れのされていない雑木林のようにしか見えない。それを言っちゃあオシメエよ、というヤツだが、意外と楽しいというか、大昔の偉い人が何を考えてたのかとか、どうしてここに葬られることになったのかとか、その経緯なんかを想像したりして、しばし時間を忘れる。

今回は1人でぐるぐる回っているのだが、こりゃ1人で来て正解だった。よほど似たような物好きならいざ知らず、普通の感覚だったらただの退屈な散歩になっちゃうかもなあ。

こっちが秋葉山古墳で
これが稲荷山古墳の後円(稲荷山古墳も前方後円墳らしい)

まとめと補足

この日のルートで、歩いた時間は1時間ちょっとでした。道を間違えなければ1時間弱だったかな。

むかし、大阪の羽曳野市に住む友人宅にお邪魔したとき、あのへんの立派な古墳群を見てココロが踊った。ちゃんとお堀があって、教科書に載ってるような美しい前方後円墳で。

そういったエリートな古墳と比べてしまうと確かに地味なんだけど、これはこれで立派な古墳。はるか昔から、ここ一帯で人々が生活を営んで来たという証左でもある。やっぱりロマンだよ古墳は。


それはそうと連城寺の墓地の奥には、平清盛とその嫡男、平重盛の供養塔があった。

なんで?と思ったのだが平重盛は遠江守だったことがあって、この連城時も重盛が建立したんだって。お寺のHPによると、清盛が好き勝手やりすぎたのを案じて、重盛は全国各地に寺を建てて功徳を積もうとしたらしい。供養塔のほかに、連城時には清盛重盛の位牌もあるという。

盛者必衰。なるほど、これもまたロマンだなあ。

重盛の戒名に「城連大居士」とある
ひっそりと佇む供養塔


おまけ〜堂山古墳3号4号


御厨駅から歩くこと15分、住宅街の中に普通に存在しているのが堂山古墳の3号と4号。どちらも方墳です。

1号と2号は?って思うよね。じつは堂山古墳群は1号から7号まであるのですが、1号墳は明治時代に土取り、つまり崩しちゃった際にいろいろと出土してその存在が発覚したという経緯があるんだけど、墳丘長110mという、かなり巨大な前方後円墳だったようです。ただ、いまは住宅が立ち並んでおります(お住まいの方には申し訳ないけど、なんかもったいない……)。

2号墳と、6号と7号も家が建てられてる模様で存在を確認できず。5号は、東昌寺にそれっぽいものが確認できるようです。

3号墳、階段が付けられている
上に登ってみたらちょうど電車がきた
こちらは4号墳

撮影してたら近所の方から挨拶された。にこやかに「こんにちは!」と返したが、近隣の方からすれば古墳だなんていっても、もはや日常風景なんだろう。


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