映画「スオミの話をしよう」の感想
※ネタバレあり
主なストーリー
スオミという女性が失踪し、スオミの夫と離婚した4人の元・夫たちで、スオミを捜し出すという物語なのですが、スオミという女性は5人の男と離婚・再婚を繰り返し、5人の男が望む女性を演じていて、多重人格のように人格が5人の男に対し、全く別人に変わるというものでした。
基本は、笑いの映画です。
悲しみを笑いで描く二面性の映画
この映画は、終始、笑いで描かれており、悲惨さの描写は一切、出てきません。しかし、スオミの生い立ちが、若干、描かれており、スオミの母親は3人の男と離婚再婚を繰り返し、スオミは、義理の父親にひたすら上手に合わせる子供時代を過ごしていて、母親は自分勝手で娘の気持ちなど一切、考えない、いわゆる毒親というものでした。
生い立ちがわずかしか描かれていないし、悲惨な場面も一切、描かれていないので、非常にわかりにくいのですが、私には、スオミが大人になっても男性に対して、本来の自分ではなく、男性の好みに合わせる女にしかなれなかった深い悲しみが読み取れました。
スオミの中学時代が少し描かれているのですが、スオミは、勉強はあまりできなかったものの、作文だけは廊下に貼りだされるほど、教師から評価されるものを書いていました。しかし、その作文の内容は、真実ではなく、スオミの作り話。如何に教師に好かれる作文を書くか?という点だけを子ども時代に考えていたかが読み取れます。
エンディングの「ヘルシンキ」の踊る曲の意味
物語の最後に、スオミは、自分の生まれ故郷のフィンランドの首都「ヘルシンキ」への憧れを抱いた曲を歌って踊るシーンで映画は幕を閉じます。
この部分が何を言いたかったのか、そのメッセ―ジがわかりにくかったかと思います。
スオミは、5人目の夫とも離婚し、男性依存から抜け出し、一人で本当の自分の幸せを探す旅に出ることを決意するのですが、この時点でスオミには、まだ本当の幸せが何かわからず、自分の幸せを見つけられていない状態です。
ヘルシンキへの憧れを歌って踊ったシーンは、スオミの心境そのものを描いています。「ヘルシンキへ行けば、きっと、本当の幸せが待っている!」という幻想を抱いているのです。
虐待など育ちが悪い人は、幸せが何かがわからない人生になります。そして、幸せは、自分の外側に在るのではないか?と外側へ幸せを探し求める旅をしてしまうのです。でも、それでは幸せは見つからないのです。
ジブリの「千と千尋の神隠し」のエンディング曲である「いつも何度でも」という曲では、最後の歌詞にこうあります。
生きる希望や輝くものを自分の中に見つけられた時。虐待サバイバーは初めて幸せを見つけることができるのです。希望は外側ではなく、自分の中に在ったということ。そのことに気が付くことが、虐待サバイバーの「回復」なのだと思います。「十牛図」という、中国の宋の時代の禅の入門書がありますが、あれも、自分の中の牛を発見すること、なのです。
ひたすら笑いの映画ですが、その中に主人公の深い悲しみが読み取れるかどうかは、人によって分かれる映画だと思いました。
https://www.youtube.com/watch?v=HnixYctruHg