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生命体の本質とは他者を殺して食べること
上記の写真は、何らかの原因で浜に漂着し自然死したネズミイルカと、以下は、民家に出てきて人の安全のために致し方がなく駆除されたヒグマの遺体である。
そして、以下のネズミイルカが海岸に漂着しているものを発見した私が、頭骨などサンプル採取した後、北海道大学・水産学部に研究用の遺体として提供の連絡をした後は、一部、新鮮だったため焼肉にして食べた。
ヒグマはハンターさんと一緒に解剖し、肉を少し分けてもらって、こちらも焼き肉にして食べた。
こうした遺体が苦手だという方がいることは充分理解しているし、多くの方が解剖など苦手意識を持つと思う。
しかし、「食べてはいけない!!残酷!!」という批判を少なからず受けてきた私は、生命体の本質とは他者を殺して食べることではないのか?という疑問をいつも反対する方に投げかけたいと思っている。ちなみに、このネズミイルカは、発見時、すでに死亡していたものであり、私が殺したものではない。死んだ生き物はどうやっても生き返らせることはできない。
食べていい動物と、食べてはいけない動物の違いとはなんだろうか?絶滅危惧種は食べては駄目で、野生動物ではなく人間に飼育されている家畜家禽なら食べていい動物なのだろうか?クジラなど知能のある動物やイヌなど人間と心の通う動物は食べてはいけないのだろうか?
私は食べていい動物と食べてはいけない動物の違いなど根本的には、ないのだろうと思う。人間がある基準でそれを勝手に決めているだけである。
ある基準とは、国や文化、考え方や宗教、その人自身の嗜好などで、食べていい動物と食べてはいけない動物とが、人によって変わるのである。絶滅危惧種だからだとか、人間からみて愛着が持てる可愛い動物だからだとか、人間の都合で線引きされたりしている。
食べていい動物と食べてはいけない動物とは、動物側が決めているのではなく、人間側が決めている。
いずれにせよ、動物質でなくても、植物であっても、生命体の本質とは他者を殺して食べることである。生命は、「他者を殺して食べる」という宿命からは生きている限り逃れられることはない。食べてよい、悪いの線引きは、個々人の人間側の価値観が決めているという認識は、多くの人(特に自分の価値観だけで他者の食べる生き物に批判をする人)に持っていてもらいたいな、と思うのである。
※ムササビは、台湾のカオジロムササビ。台湾の烏来にある屋台にて撮影。現地の人たちは食べているようだ。
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