17年間、一緒にいてくれた犬
私には、中学1年生の頃から飼っていて、北海道の大学へも連れて行っていた犬がいました。おそらく、自分のこれまでの人生の中で、親よりも、誰よりも1番長く、一緒に時間を過ごした犬でした。
私が、20代の頃から<虐待の後遺症>で七転八倒し、苦しんでいる姿も、一番近くで見ていたのは、この犬でした。独りぼっちの孤独で、不安で不安で、パニックになり、独りで震えていたときも、独りで泣いている時も、側にいてくれて、眠るときには、一緒に布団の中で寄り添ってくれていたような犬でした。
飼い主の欲目かもしれませんが、驚くほど頭の賢い犬でした。どういう賢さかというと、人間のように、人の喜び、哀しみ、孤独のような感情が理解できるような不思議な犬でした。私はこの犬がいたおかげで孤独で脅える夜も、温かさを感じながら眠ることができました。
中学1年で飼い始めてからしばらくして、私を虐待していた当時の義父がこの犬を私が寝ている夜間に、遠い山奥へ捨てたことがありました。翌朝、庭の犬小屋から居なくなって探し回っていた私に、義父はこう言いました。「可愛いから、誰かがさらっていったんだろ」と。でも、本当は義父が山奥へ捨てたことが後から判明しました。
遠い山奥へ捨てられたとは知らない中学生の私は、保健所にも連絡し、探せる所は探しました。でも見つかりませんでした。しかし1週間後の夜。玄関を「トントン」とノックする音が聴こえました。何の音だろう?と思い、そっと玄関を開けると、この犬が自力で自宅まで戻ってきたのです。
後に義父から聞いた話では、地元の大きな河川の橋を渡り、さらに山奥へ捨てたとのことで、この犬にとって捨てられた場所は1度も行ったことがない場所であり、山から自宅まで帰るには、大きな河川の大きな橋を渡らなければ戻ってこれないルートなのです。義父もこの犬が自力で戻ってきたことに驚いて、それ以降は捨てなくなりました。
この犬は、未熟児で生まれたため、中型犬なのにとても小型で、病弱でした。しかし、17歳になっても、若い犬だと誤解されるほど、年老いて見えないような元気な犬でした。
しかし、ずっと元気だったこの犬は、私が社会人になり、結婚した直後に、ある日突然、その役目を終えたかのように、死にました。もともと「てんかん」の病気をもっていたので、最期はその発作がひどくて亡くなったのですが、身体が激しく痙攣して苦しいはずなのに、私には今まで見せたことがないような本当に幸せないっぱい顔で心から嬉しそうな満面の笑顔を見せてくれました。「ありがとう。楽しかったよ」と言っているように私には見えました。
私をずっと支え続けてくれたこの犬の温もりは、今でも忘れられません。これからの人生のどこかで、また犬を飼いたいと思うことがありますが、この子に変わる犬は私の中で存在しません。
でも、今でも後悔していることもあります。それは、<虐待の後遺症>が急性期だった20代、寝込んでいる時期が長く、自分の病気の苦しさで精一杯で、私はこの子を十分に散歩させてあげたり、遊んであげれなかったことです。今なら、もっと遊んであげれるのにと後悔しています。
私の事情をよく知る大学の友人に、この犬が死んだことを報告したとき、友人から、こんな言葉を頂きました。
『きっと、いまも天国であなたのことを見守っていると思うよ』と。