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留学先にマレーシアを選んだ理由

こんにちは、ハルカです。

今回は、大学留学を決めたきっかけから、マレーシアを留学先に選んだ理由までの過程を、簡単にまとめて残しておこうかなと思います。

本当にただの記録です。長いです。



1.  きっかけ

まず、私が海外留学に興味を持ったのが、中学3年生の時です。

「国際社会で活躍する女性」をモットーに作られたコースを持つ中学に入学し、プログラムの一環で、オーストラリアに2週間弱、クラスのみんなで短期留学に行きました。

初めてのホームステイ。

友達と一緒だったので、とにかく楽しかったのを覚えています。

ホストファミリーもすごく良くしてくれて、今でも時々連絡を取るほどです。

現地の学校にも1週間だけ通いました。

中学生高校生の時から、自分の学びたい教科をとる大学のような制度で、すごく衝撃的でした。

のーんびりとしたオーストラリアの空気感と、日本と違う学校制度。

これが留学を視野に入れ始めるきっかけかなと思います。


2. 高校3年生、進路決め

中学卒業後、内部進学で高校に進みました。

実は、私のいたコースは、附属大学の内定が最優先でもらえるコース。

でも、中学の時から、大学に行きたい学部がなかったんです。

もちろん、附属大学の内定のことは知った上で中学に入学しましたが、大学で学びたいことを踏まえて中学を選ぶなんて、小学生には難しい話だと思います。

大学のことは、中学3年生の時の担任の先生とも相談していて、転類や、他校の受験も視野に入れたほうがいいと言われていました。

しかし当時の私は、
附属大学に、学びたいと思う学部がない。
でも今のコースも学校も好きだから、転類も受験も嫌だ。

っていう困った生徒だったので、結局そのまま、転類もせず高校に上がりました。


高校2年の冬、内部進学のためのテストが行われました。

みんな願書を出して、必死で勉強している中、私はのほほんと毎日居眠り。

やっぱり附属大学にいくビジョンが見えなくて、願書は出しませんでした。

内部進学をけって、次に待っているのは、どの大学に行くかです。

就職という選択肢はなかったし、学びたい学問も決まってなければ、大学でしたいことは留学だけ。

いろいろパンフレットを取り寄せたり、説明会に行ったりしましたが、どの大学もいまいち、ここ!っていうことろはありませんでした。

探していくうちにだんだん面倒になってきて、「留学」がしたいなら、もういっそうのこと海外にでてしまえばいいじゃないか、ってある日思ってしまったんですよね。

でも、英語は好きだけど得意ではなかったし、高校の時に受けていたTOEICは、それはそれは悲惨なものでした。

今でも、よくあの英語力で海外大学に行こうと思ったなって思います(笑)

あまりにも海外大でついていける英語力ではなかったので、ギャップイヤーという名目で、浪人生活を送ることにしました。

※ギャップイヤーとは、
高校卒業後にすぐに大学に入学せず、1年間自分のやりたいことをする期間のこと。海外では一般的な制度で、イギリス王室のウィリアム王子も、1年間のギャップイヤーで、世界中を周り、南米で職業経験を行っていました。


3. 高校卒業後のギャップイヤー

高校卒業後、
ECC外語学院の「全日制英語専科」に1年間通いました。

それと同時に飲食店でアルバイトも始めました。

海外の大学は、英語力さえ基準に満たしていれば入れるので、皆さんの想像よりも、自由に、気楽に浪人生活を送っていましたね。

ただひとつ、若干の疎外感はありました。

仕方ないんですが、
同じクラスだった子達は9割方、附属大学に進学したので、入学式がどうとか、サークルのこと、授業のこと、わからない大学の話題が、日々ストーリーに上がってきます。

それを見ること自体は、知らない世界を知れて楽しいんです。

でも、遊ぶ時や集まる時って、やっぱり大学の話が中心なんですよね。当たり前ですけど。

気にしないし、全然そういう話をしてくれていいのに、気を遣わせてしまう。

していいよって言っても気を遣わせる。

共通の趣味とかがある友達はいいけど、今まで「学校」が共通の話題だった場合、話のネタがなくなる。

バイト先が初め結構これで、しんどかったです。

学生ばっかりだったので、サークルとか、テストとか、そういう話題が多くて、私は誰とでも話せるおしゃべりさんタイプではないので、蚊帳の外で話を聞くことしかできない。

大学を決めるまでの英語力底上げ期間は、ほんとに話題なくて困ってました。

秋頃には、HIUC (ヒューマン国際大学機構) にも行きはじめました。

課題で週2回、700 wordsのレポートを書くって言うのがあって、結構大変でした。

大学で700 wordsだけでいいレポートなんて、ないんですけどね。
(1年間で書いたレポートで、最少は1200 wordsぐらいだったと思います)

この頃からTOEFLやIELTSを受けはじめて、年明けぐらいに、だいたい入学基準とされることが多いスコアを満たしました。


4. 大学決定

大学はなかなか決まらなかったです。 

母は、知り合いがマレーシアに留学してるのを知ってから、圧倒的マレーシア推しだったんですが(笑)、

訛りもあるし、せっかく留学するのにアジアって、、
って正直思ってました。

HIUCの提携校の大半がアメリカだったので、初めはアメリカのコミュニティーカレッジに行こうと思ってたんです。

高校3年生のとき、アメリカに短期留学に行きました。

その時にはもう留学するの決めてたので、近いうちにこの国に住むのかなぁ、なんて思ってたんですが、あんまりアメリカに魅力を感じなくて。

アメリカのコミカレを選ぼうと思ってた理由も、学部を入学時に決めなくてよくて、費用が4年制大学に比べると比較的安かったからなんですよね。(それでも十分高いです。)

アメリカにしようか、はたまたお隣のカナダにしようか。

本当に国すら決まらなくて、友達に、会うたびに行く予定の国が違うって言われるぐらいでした。

そんなことしているうちに、観光学やってみたいなって思うようになったんです。

当時は、CAになりたいなぁ、なんて思ってたので。

学部が決まってからは、大学決定まで早かったです。

イギリスやオーストラリアは、日本と同じで、入学時に学部を決めます。

私の場合、学部がまだ決まってなかったので、イギリスとオーストラリアは、初めは視野に入れてませんでした。

でも、学部が決まったことで、元々行きたかったオーストラリアの選択肢ができたんです。

ちょうどその時、

HIUCで一緒だった人で、たまたま、マレーシア留学を考えてる人がいて。

マレーシア留学してる知り合いも、オーストラリアに編入する予定っていう話を聞いて。

マレーシアで、大学3年間のうち2年過ごせば、留学費用を節約できる!

安くても、マレーシアの教育水準は欧米と引けをとらないし、編入すれば、最終学歴はオーストラリア!

しかも、日本企業の多くが東南アジアに進出してるなか、マレーシアとオーストラリア、2つの経験を持ってるのは、使いようによっては、かなり武器になるのでは!?

と、こんな安直な考えのもと、訛りを気にしていた自分はどこへやら、とんとん拍子に進んでいきました。

大学は今のところでほぼ決めてたんですが、一応、最終決定する前に見に行こう、ということで、航空券やらホテルやら準備しました。

そんな中、コロナウイルスが流行しはじめたんです。

出発の前日、マレーシアが入国拒否を発表しました。

そのまま大学は見れず、

行ったことのない国にある大学に入学しました。

そうなんです。

わたしマレーシア行ったことないんですよね。

行かずとも、日本から十分、マレーシアの洗礼は多々うけてますが(笑)

そんなこんなで、日本からマレーシア留学が始まりました。


5. マレーシアを経て欧米へ行く選択肢

大学を決める過程の記録で、何の情報を提供するんだ、って感じですが、マレーシアから他国への編入制度など、知らなかった方も多いんじゃないでしょうか。

オーストラリアだけじゃなくて、イギリスへの編入も多いです。(英国植民地時代の影響で、大学制度はイギリス系のため)

マレーシアは、欧米に比べて物価が低いので、滞在費だけでなく、学費も安い。

つまり、総じて留学費用が抑えられます。

学費の高さで悩んでいる人たちに、マレーシアからの編入制度を使う節約方法もあるよ、ってことも知ってもらえたらなと思います。

編入のことも、頑張ってまとめてみます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました😌

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