005話 施設

 入院生活も早2カ月が過ぎ

「そろそろ、退院を考えてみますか?」

 現実に引き戻す言葉を主治医に告げられた。

 裕司の心は、激しく動揺した。

 折角、サオリとかなり良好な関係を、手紙と扉越しの微かな囁き声などで築けているのに。これからもっと楽しもうと企んでいる最中なのにだ。

・・・幸せな2人を引き裂く悪魔かっ?

 主治医に対して、心の中で悪態を吐いた。

 これから先の生活が、真っ暗で何も見えなくなってしまった。

 今回の任意入院が、あまりにも天国に感じていたからだ。

 3食昼寝付きで、鬱になる前に大好きな人を想った手紙を綴り、交換する。

 扉窓越しに手を振り合い、笑顔を見せ合い、聞き取り難いが微かな声を感じる事が出来る。

・・・これ程の幸せ、今迄の人生で初めてだ。

 この時の裕司は、恋に依存していた。

・・・退院とは何だ? 現実と言う地獄に落ちる事なのか? そんなの望まない。意味が分からん。僕を不安に陥れたいのか? また、すぐ再入院する羽目になるくらいなら、このままソォ〜ッとしておいてくれょ。

 入院中、逆に、精神異常な感情が構築されている様だった。

 しかし、そんな裕司の我儘なんて聞き入れてくれる程、世の中は甘くない。

 裕司は、薬物やアルコールやギャンブル等の『依存症回復施設』へ戻った。
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 入院前、その施設で、高橋 裕司は『ハーシ』と言うアノニマス(匿名)で、13カ月くらい生活をしていた。

 これくらいの期間、施設に居る者は、ある程度の自由を聞いてもらえる。そこでハーシは、離婚した元嫁と話がしたくて

「元嫁と話がしたぃです」

 スタッフのタクさんに、そう申し出た。タクさんはスマホで元嫁に電話をし、代わってもらう。

「もしもしっ? 裕司」

「はい」

「時間がないから手短に話すけどぉ」

「……はい」

「依存症の回復には、まだまだ時間が掛かるょ」

「はい」

「子供達とアユミには、凄く申し訳ない事をしたと思っているんだぁ」

「………、はーー」

 電話越しに、元嫁の長い溜息が聞こえた。

「……これからも施設で回復して行きたいと考えているっ」

「うん。当分、戻って来ないで!」

・・・と、お、ぶ、ん? 戻って来ないでっ?

 電話越しに元嫁からの声は、裕司のか弱い心に衝撃を与えてくれた。

 ゆっくりと、涙が頬を伝っていった。

 正直、その電話の時の裕司には、東北の家に戻って元嫁や3人の子供達との生活をやり直せる自信が全く無いから「早く戻って来て?」みたいな事を言われたら「まだ、回復には時間が…」なんて返答を頭の中で準備はしていたのに、予想外で真逆な言葉を浴びせられ、文字通り頭が真っ白になった。

 タクさんの見ている前で零した涙達は、鼻水と一緒になってしょっぱかった。

 施設生活で嫌気が差しても、今まで何とかやって来られたのは

・・・後、何日かしたら戻れるっ。

 そんな思いも、心の奥底では有ったのかもしれない。仲間の前では強がって「帰る気なんてサラッサラ無いも〜ん」と全否定していたくせに。

 だから、その考えが砕けちってしまった事で、ストレスが爆発したと言うか、自分の信じてた心がブレてしまったのだろう。

 こんな感情に陥った時こそ

・・・仲間に自分の話を聞いてもらえば良かったのにっ。

 その超簡単そうな事が出来なかった。

・・・あれ程、仲間達とコミュニケーションを取れる勇気を、自分にとっては多めに身に付けて来たつもりなのに……。

 今回のような出来事で『ど〜でもいい』という感情が盛り盛り出て来てしまうと、仲間に助けてもらう事すら、どうでも良く思ってしまうという事に気付けて、いい勉強になった。

 が……、それは後の祭りだ。

 ハーシは、ある仲間から

「あの黄色い果物の皮を乾燥させたモノを、燃やして吸うとキマるぞー!」

 こんな情報を聞いてしまうと、即、試してみて「キマんねぇじゃねぇ〜かっ?」と心の中で叫んだり……。

「ハンバーグに入れる調味料を、一気に吸い込むと……!」

 周りの仲間達の、そんな下らない会話にだけ耳を傾けたりしていて、要らん情報だと分かっていながらも、衝動を抑えきれず、また実行して

「いい加減にしろぉ! キマらんじゃね〜かっ」と逆ギレしか出来ない。

 決して、これらを教えてくれた仲間達が悪い訳じゃない事くらい分かる。その行為をやろうとしている自分がどうかしているのは、百も承知だ。

 けれど、そうでもしていないと自分の胸の奥の寂しさを埋められない気分になっていた。

 コソコソとそれらの悪さを、陰に隠れて独りで行なう姿は、以前の大麻を使用していた時と何ら変わりが無い。

・・・スリップ(再使用)と一緒だっ。

 弱い自分が露わになると、そのままだと苦しいから解決する方法として

・・・『手っ取り早く気分を変える術』を知ってしまったから、それに頼ってしまうんだっ。

 この段階で終われれば、まだギリ許せると思えるが、更に処方薬の乱用をしてしまった。

 自分の精神安定剤を「眠気が嫌」という言い訳だけで、飲まずに捨てもせずに取っておいた分が有り、それらをまとめてガバッと飲んだ。

 死に至る量でも無かった事が幸いしたけれど、あの時のハーシは『死』をも視野に入れていた。

 そんな苦いトラウマ感が残る施設に戻るという現実に、正直、臆病になっているし不安感も拭えない。

 だから、今回の施設への戻りが

・・・ただの外泊で、本当に助かったぁ。

 心の底から、そう思った。
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 ハーシの気持ちなんて露知らず、ノー天気に施設の仲間達が明るく接して来る。

「元気かよ、……いつ退院?」

 言葉に何の捻りも無く、どうでもいい言葉に聞こえて、反吐が出そうになるが、愛想笑いをしてあげる優しさだけは持ち合わせている。

「ハーシが居ないと、つまんないんだよ!」

「早く戻って来てくれよ」

 なぜか仲間達の悪気の無い言葉を、ネガティブに捉えてしまい

・・・じゃあ、そんなつまらない施設に僕を呼んでるって事ぉ?

 そんな言葉を、口には出さないけど、仲間達を蔑む思いで見てしまう。それでも、病院の患者達とは違って、施設の仲間は喋りも普通に出来る人が多いから、退屈はしないで済む。

 同じ様に依存症と言う病を抱えている仲間の中に居る事は、ある意味、安心が出来る。

・・・傷の舐め合いだけど。

 これが依存症の回復には効果的だという事も学んだし、実感もしている。

 けれど、裕司はそれ以前に『双極性感情障害 』の病を何とかしたいと思い続けている。

 この病の所為で自殺未遂願望が有り、どうでもいい感を強めている気もする。

 この感覚は、自分を大事に想えなくなる事が大問題なのだ。

 だから、どんなに禁じられている薬物に対しても、何の恐怖心も無く、寧ろ好奇心に心踊らされて誘惑に負けてしまうのだ。

 今回の外泊中、非常にショッキングな出来事を耳にした。

 ある独りの仲間が、自殺に成功していたと言うのだ。

 その仲間は、ハーシの在籍している施設とは違う施設に入所しており、週に一度だけ同じ会場の自助会に参加していた。

 その自助会でハーシが司会者をやったりする為か、挨拶や一言二言のお喋りをし合う仲になっていた。

 よく観ると男前な好青年で

・・・少し暗めな性格が、ゆっくり変わってきたかなぁ?

 そう思えていた矢先だ。

 噂によると「屋上の人目に付かない所を選んで、ロープで首を括っていたんだってー……」

 その行為に至る心境は

・・・僕の飛び降りや刃物で切る行為と、次元が違う気がするっ。

 ハーシには『吊る』と言う選択肢は毛頭無い。

・・・だって苦しそうだし、途中で引き返せないじゃん?

 それでも、死の確率が高そうなソレを選んだという事は

・・・ど〜しても死にたかったのかっ?

・・・そ〜んなに生き難かったんなら、もぅ少しSOS感を出してくれていれば……。

・・・いや、あれで精一杯に出していたのかぁ?

 だとしたら、それを感じ取れなかったハーシの無力さにげんなりだ。

・・・例えば、その仲間の気持ちを僕が訊き出していたら、僕はど〜していたのかなぁ?

 でも、ハーシ自身も処方薬を馬鹿飲みした後、亡くなってた可能性もゼロではない。

 そうすると、今のハーシの様な『仲間を失った悲しみ』をハーシの事を大切に想ってくれる人達に、ハーシが与えてしまっていたかもしれない。

 そう想像すると

・・・本当に死ななくて良かった。本当、心配を掛けてごめんなさい。本当に身勝手な事をしでかして申し訳なぃ。

 謝罪の念でイッパイになる。

 だがしかし

・・・こう想える感情っていうのは『理性』の働いている正常な時だけなんだぁ。

 裕司の心には躁状態と鬱状態が存在していて、それらどちらの状態の時も、この大事な理性が働かなくなるっぽい(裕司の体験談)。

 ので、一般的に見たら衝動的な行動に思われてしまう様な事も、実は理性が働かなくなっているからなのだ。

 ちゃんと考えたり我慢したりが出来ず、思い立ったら即実行してしまう症状・病なのです。

「だから、許して?」とまで言えないけれど 

・・・こちら(気違い)側としても、ど〜しよ〜もない! という事をご理解頂きたぃ。

 故に、自殺をする側も自殺をされた側も、どちらも『病の所為』って思えれば

・・・双方共に苦しまないのかもっ?

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