余白と調和

ゆるゆると今日もnoteを書きます。


ぶっちゃけ大人数のzoomはみんな苦手だよね〜〜

わかるわかる。

思考がまとまる前に話が進む。

自分ががんばる前に別の誰かががんばる。

結局取り残される。

そんな事の繰り返し。


なので、そんな人が取り組むべきことを書きます。


表現という概念を愛すること。


表現とは、自分の感情や思想・意志などを形として残すことです。

写真、食、音楽、文章、絵、経営、、、、

なんでもいい。

自分の感情を形にすることを表現と呼びます。

もっと言うなら、それぞれが成長し、

進化する姿を仲間や顧客に共有すること。

綺麗に見せようとしないのが大事。

人間味がないものを人は愛せない。


苦しくても、感情を感情で終わらせないこと。

理解されるか分からなくても、

思想を思想として言葉にすること。

表現という形でアウトプットすると、

その挑戦が応援の循環を生みます。

自分の存在意義を、

表現で確かめれるような環境が構築される。

愛と個性に溢れた仲間を増やし続けるために、

苦しいかもしれないけど

表現することを止めないで欲しい。


孤独という概念をより深い次元で定義すること。

実は、孤独には三種類あって

孤立
孤独
孤絶

全て孤独という言葉でまとめられるけれど、

これは全く別もの。

「孤立」=孤独に思考することもできず、
内なる自己とおなじように対話を交わす
資格のある友もいない状態。

「孤絶」=他者との接触を失った状態。

「孤独」=人が内なる自己と沈黙の対話を交わす状態。
考え事をするときは孤独にならなければならない。



物質的には不自由を感じることが少ない。

どこまでも快適な生活を送っているのに、

それと反比例するかのように、

心のどこかに漠然とした虚しさを抱える人。

欲しかった物を手に入れても、

ほんのしばらく気が紛れるだけ。

この虚しさは永遠に消えない。


虚しさを紛らしてくれる道具は無限にあります。

「空白の時間」にさらされて虚しさを感じないように、

簡単に注意をそらせない道具は発明され続ける。

新聞がテレビになり、テレビがスマホになり。

映画やユーチューブ、その他膨大な量のエンタメが

空白の時間を埋めるニーズに答え生み出される。

ここに依存してしまうと、自分の人格が薄くなり、

自分の本心に気がつくことが極端に難しくなる。


本当はわかってるはずなんです。

自分の行動と、考えていることが

結びつかないあるある。

ほんとはこうしたいのに、

ほんとはもっと頑張りたいのに、

だけど体は動かないやつ。


知っておくといいのは、

人間は思考と心にそれぞれ別の

人格を飼っているということ。

こういう感じ。頭と心に2人格あって、思考に意識を持たなければ心(本能)に従ってしまう生き物です。


自分の中の二つの人格を認知できて、

思考放棄せずに静かに自分と向き合える状態。

これが孤独です。


これはすごく良い状態。

孤立や孤絶はともかく。

孤独は良いものなのです。笑


だから、自分は二つの人格(思考と心)

を持っているということを認識して生きる。

これだけで意思決定の純度が上がり、

自分を認めれるようになります。

すごくスピっている様で超ロジカル。


僕が論理も感性も鍛えれると

思っている由縁はここに紐つく。

論理の頭と、感性の心。

どっちも300% 300%にする。


改めて、今回の企画のコアターゲットは、

孤独な表現者です。

自分の中に2人格いて、言語化できていなくても

そのギャップに葛藤している人。


口で説明するにはあまりにもややこしく、

理解してもらうのが難しいので、

文章にしておきました。笑

鬼刺さりする人には鬼刺さりするし、

刺さらない人にはとことん

理解されない企画だと思います。

わかりやすくプロダクトに落とすのが

僕の仕事なので頑張ります笑


居場所について

今回の企画は、居場所作りが

すごく密接に関わっています。

僕の中で、居場所とは安全地帯のことで、

素でいられる場所のこと。

だから最初、概念として家を想像しました。

家の中の自分。家の外の自分。

大抵の場合は

家の中が素でいられる場所として認識されています。

だから、今回の企画では家を作りたかった。

家の中。居場所。

家族が集まり一つになるリビング。

概念としてはそんな感じ。


ただ、同時に家の限界も感じています。

小学5年生の頃、

引っ越すときに号泣したんですが、

家を出ることというか、本質的には

街を離れることが嫌で泣いていた。

友達と会えない、

公園で遊べない、

図書館に行けない、

家は極論どうでもいい、

ただ街を離れたくない一心だったなと。

家は素晴らしい概念ですが、

閉鎖的で限られた人数にしか届かない、

かつ社会とのつながりが希薄な媒体なので、

仮説検証的に、

家の集合体である街を創ることにしました。

それが今回の

孤独な表現者と心躍る街を創るという意味です。。。。

イベント名の説明だけで2000文字なの

あまりにも大変で草。


それと、大前提居場所は与えられるもではなく、

自ら生み出していくものだと思っているので、

その意識を全員に植え付けるのがゴール。

誰かが誰かの居場所になる意識を持てば、

イベントなんかなくてもいい。

理想は、今回の企画に刺さる人が存在しなくなること。笑

サービスが全ての課題解決をするのは

どんな企業でも不可能なのでありえないけど、

向かうべき先はそういうことです。


音楽ステージ(家であり街の具現化)

は全員で作り上げる居場所で、

音楽という媒体を通じて100人が一つになる体験を創り

全員の居場所として機能する家であり街になる。


そして、イベントの最後には

ステージ、全員の居場所を燃やすことで、

それぞれがそれぞれの居場所としての

自覚を持って生き始める、

そんな体験の導線を描こうとしています。


まだ抽象的な部分も多いんですが。

なんかやろうとしてることはそんな感じです。

着想元は本当に色々あるので

気なる人は聞いてやってください。

もっと詳しく話します。


運営意思決定ガイド

直感は信じる。

余白は大きく作る。

やるか悩むものはやらない。

やると決めたことを本気でやる。

表現という概念を愛する。




とりあえずそんな感じ!!

もうちょい解像度上げていきます

いいなと思ったら応援しよう!