理想のカップル
僕はこの2DKのアパートで、彼女と暮らしている。
彼女は、いつも昼近くまで寝て、起きてからも、テレビを見て1人でツッコミを入れたり、スマホで映画を見て泣いたり、動きは少ないが騒がしい。
彼女は、時々僕を呼ぶ。
「お腹減ったなあ。何か食べるものない?」
「冷蔵庫には、ビールしかないよ」
「え〜。なんで〜」
「あなたが買って来なかったから」
「ひどい」
何がひどいんだろう。
「ま、とりあえずビール飲みますかあ!」
僕はビール取り出し、彼女に差し出す。
「ねえ、なんか食べ物買ってきてよ」
「何が良いの?」
「んー。なんでも」
これまで、「なんでも良いから」と頼み事をされて、なんでも良かった試しがない。
前に、「肉が食べたい」と言われたから、近所の肉屋で最高級の霜降り和牛を買って帰ったら、「なんでこんな高いもの買ってくるのよ!」と怒られたことがあった。
なぜ怒っているのか聞くと、余計に怒られたので、理由は未だに分からない。その日から僕は「なんでも良い」という言葉は信じないようにしている。
「なんでも良い、というのは?もっと具体的に言って貰わないと困ります」
「んー。ビールに合うおつまみと、適当にお惣菜コーナーで見繕ってきてよ」
話の通じない人だ。全然具体的ではない。もう一度同じ質問をしようかと思ったが、顔が赤くなり、ぐでんとしている彼女を見て、聞いても無駄なことを悟った。酔っ払いは当てにならないので、調べてみることにした。
スマホは優秀だ。「ビールに合うおつまみ」と話しかけると、自動的に写真や文章が出てくる。
ふむふむ。僕も腹が減ってきた。とりあえず、スーパーに行くことにする。
スマホに教えて貰った通り、唐揚げとチーズと枝豆を買って帰ってきた。無難なチョイスだ。
家に帰ると、彼女はぐーぐーといびきをかいて、ソファで寝ていた。
僕も、残っていたビールを頂くこととする。
ぷはぁ。
炭酸が、喉の奥を心地よく刺激して、僕に潤いをくれる。
買ってきたおつまみに、手をつける。スマホのおすすめだけあって、どれもビールに合う。思いの外、ビールもツマミも進み、全部平らげてしまった。
ふぅ。満腹。
僕は床に寝転がり、目を閉じた。アルコールが入っていたからか、すぐにうとうとした。
「ねえ。…ねえ!」
なんだなんだ。せっかく気持ちよく寝てたのに。
「ねえ。全部食べちゃった訳?」
「ん?」
僕はまだ眠い。
「つまみ!買ってきてって言ったじゃん」
「ああ?うん。買ってきた」
僕はテーブルの上に散らばったつまみの残骸たちに目をやる。
「ちがうよ!全部食べちゃったの?って聞いてんの!」
彼女の甲高い声が、僕は苦手だ。どうして、こういう声を出すんだろう。この声を聞くと、身体がぎゅっと硬くなって、反応が遅れる。
「…えっと。食べたよ。だって、君寝てたじゃん」
「いやいやいや、ありえないでしょ。てか、あんた、いつもそうだよね!」
彼女は、僕を責めるとき「いつもそう!」といつも言う。
「私が食べたいって言ってるんだから、普通残しとくでしょ?普通」
この、何をもって「普通」と言ってるのかよく分からない「普通」という言葉も、毎日のように耳にする。
買ってきてと言って寝てしまった人と、買ってきてと言われて任務を果たした人と、どちらにツマミを食べる権利があるのだろうか。僕は、後者だと思う。だって、自分の足で買いに行った訳だし、睡魔に負けなかったし、ツマミが食べたかったし。
「あなたって、思いやりがないのよね。冷たい人」
どうやら、権利云々の話ではなさそうだ。
僕は、「思いやり」とか「冷たい」とかいう言葉がよく分からない。辞書で調べたことはあるけれど、僕の中には、確かにそういった類の感情は持ち合わせてなさそうだった。彼女は間違ってはいないのだろう。
「もう、いい。気分悪い」
彼女は部屋を出て行った。彼女はこういうとき、近所のファミレスで、友人達に愚痴を聞いてもらっている。
しかし、皆「そんなの、どこも同じよぉ。うちの旦那だって、言わないと何もしてくれないんだから!」と、それぞれ同じような愚痴を吐き出して、お開きとなる。
そして、2時間後には、何食わぬ顔で戻ってくる。これが、お決まりのパターンだ。
ここに書いたのは、僕と彼女のたった数時間の出来事だけど、まあ、大体こんな感じの毎日を過ごしていると思って頂いて構わない。
ここだけ切り取ると、なぜ僕は彼女と一緒に暮らしてるんだ?何が楽しいんだ?と思う人もいるかもしれない。
僕は、別に彼女のこと、彼女との暮らしが嫌いではない。かと言って、別に好きでもない。
あ。自己紹介が遅れたけれど、僕は、彼女が購入した水型ロボットである。
水型ロボットとは、形を持たないロボットのことである。形を持たないからこそ、僕はどんな形にもなれる。変幻自在のロボットだ。
水型ロボットは、スマホなんかより、ずっと高性能に作られていて、普通の人間とかなり近いコミュニケーションを可能としているのも売りの1つだ。
彼女は、僕を購入し、同棲中の彼氏という設定を希望したので、僕は彼女の望んだ通り、一緒に暮らしている。
しかし、ここに書いたように、僕は彼女を怒らせてばかりだ。莫大な数の夫婦やカップルの会話を元にしたデータで作られている優秀なロボットだというのに。
もっとデータを増やす必要があるが、彼女の友人の夫や彼氏達のように、水型ロボットが混じっていることも少なくない。この選別はかなり難しい。