コロナ差別を受け、自分の行動と感情の変化
旅好きのはぎたす、24歳。
差別を受けて、自分がどう動き、どう感じ、そこから何を得たのか。
そしてこれからどう生きていくべきなのか…。
感じたことを忘れないよう、ここに残します。
コロナによるアジア人差別
私は人生で初めて、差別のようないじめを各国でうけた。
私が1人で道を歩いてるだけで「コロナコロナ!」と言われたり、叫ばれたり、笑いながら指を指されたり、わざわざ目の前で咳をされたり、あからさまに口元を隠されたりした。日本人だからという理由で、ホステルでの宿泊を拒否されたこともあった。
1番精神的に辛かったのは、チュニジアのジェルバ島のバス停で複数の男が、私を指差し「コロナ!」と何回も叫んだことで、私の周りにいた約50人以上が一斉にサーっと引いて、私と距離を取った。
ここまであからさまに人に避けられたことは人生で一度もなく、驚きと悲しみと怒りが混じるよくわからない感情があった。
それから、バスに乗るも、新しくバスに乗ってくる人は「わー!コロナだ!」と言い笑いながら口元を隠したり、私のことを写真撮る人もいた。私の隣に座った人はいたが、別の人が私のことを指差し「コロナ」と言ったことで、席を変えた。
満員のバスなのに私の周りに人はいなかった。
差別の中感じた理不尽さ
彼らは、咳もくしゃみも話もしない私を避け、口元を覆う。そのくせ、彼らは手を覆わずにどこでも構わず咳やくしゃみをする。
衛生的にまず自分たちが見直すべきではないかと心の底から思った。
むしろ、コロナがこの国で流行って、懲らしめられればいいのにとさえ思った。
差別をしない人の優しさ-1
先ほどのバスでの話。私の隣に誰一人座ろうとしないが、ある女の子が隣に座ってきた。そして、韓国語で何か話しかけてきた。日本人であることを告げ、しばらく話した。
コロナ差別の話をしたところ、「それはあなたにとってとても悪いことだね。でも私は日本や韓国や中国の文化やアニメや歴史、なにより人が好きだから話しかけたよ。いい旅を。」って言われて、泣いた。
何人に避けられても、一人の優しさに救われるもんなんだなと実感した。
差別をしない人の優しさ-2
チュニジア初日に出会ったボランティアで来ていた外国人たち。モロッコ人、トルコ人、オランダ人、エジプト人たちだ。
彼らは、私を家に招いて数日家に泊めてくれた。そのときに、コロナの件について話した。すると、「shit!! そいつらまじ愚かすぎる」と言ってくれた。
みんながみんな、私のことをコロナと思ってないんだなと安心すると同時に心の拠り所があることに泣きそうになった。
コロナと言ってきた人への自分の対応
最初のうちは悲しくて疑われたくなくて「ノーコロナ!」と言っていたが、次第に疲れてきた。鬱陶しさも感じた。
それからは3組ほど、コロナと言ってきた集団のすぐ目の前に行って、「who said.」とめちゃめちゃ怒った顔で言い寄った。彼らはみんなで言っていたのに仲間うちで指をさしあった。しょーもない。「Say sorry.」と言ったら、とても小さい声で彼らは謝った。でもこんなことを毎回してる訳にいかない。
面倒くささと、言われる度に旅を楽しむ気力が自然と失せていった。
差別を受けてからの自分の行動
優しさを受けるものの、やはり、異国の地に1人でいて毎日毎日コロナコロナ言われると、気が病んでくる。菌扱いされることがこんなに辛いことなのかと心から思った。
そこから、人と関わることが億劫になり、普段なら沢山の現地人と関わるはずの旅だが、常に一人で行動した。
そうなるとやることも限られてくる。
1人で観光地を巡る。楽しむ気力がなく巡っても楽しいはずがない。
それでも数はこなすように足は前に進めていた。景色を見て素晴らしいと思える感情はまだ残っていた。数をこなしながら景色を見る。
でも私が旅に求めてるものは人との関わり。
これがないから次第に旅に対するつまらなさや飽きを感じていた。暇だなーとさえも思っていた。
“差別”を理由に逃げてたことを知ったきっかけ
突然やってきた最終日、レバノンのビブロスという街のあるお土産屋さんに入った。
そこで店員さんにどこからきたのか聞かれた。日本からきたことを告げるとWelcomeと言われた。
私が決めたお土産はタオルに刺繍でアラビア語の名前を入れてもらうものだった。その刺繍が出来上がるのをその店で待ってた。
その待ち時間に、コロナの話になった。きっかけは彼女に、Welcomeと言われたときに、中国はダメだけど日本はいいと言われたことだった。彼女に今まで体験した話をした。すると、
「みんなあなたを中国人だと思ってるんだよ、だからコロナって言うんだよ」
「そんなにコロナって言われてなんで日本に帰らないの?」と聞かれた。
これが最後の旅になるかもしれないから、それが理由で旅を止めることはできないし、前に進まなきゃいけない。
それに、もし私が中国人だとしても、私に対してコロナって言うのは愚かだし、よくないと思う
そう答えた。そのあとに先ほどの理不尽に感じた話をした。長々と。
そしたら一言
「その旅、本当に楽しいの?」
と聞かれた。
その単純な質問がわたしの心に刺さった。
私は途中から愚痴ばかりこぼしていた。
今回の旅はいつもと違う。コロナって言う人たちは民度が低くて、そいつらのせいで不愉快な思いをして楽しめない。現地の人に話しかけてこれ以上不愉快な思いしたくない。ほんと理不尽なやつ多すぎ。
…こうやって人や環境や時期を言い訳に逃げていた。自分から楽しもうとする努力を途中からしていなかった。
足は前に進めていても、心はしばらく止まったままだった。
その時、そんな自分の心の貧しさに気づいた。
どんな状況であれ、ポジティブで、常に笑顔でいるべきだった。思い返したら、わたしに向かってコロナというのはごく一部の人間で、他の人たちはあたたかく迎え入れてくれていた。
小さな嫌なことにしか目を向けられず、自分から縮こまっていた。
店を出て街を歩きながらこんなことを考えている間も、「Welcome to Lebanon! 」「hello :-)」と言ってくれた地元の人達。
「How's your day? Are you having fun? 」と私を気にかけてメッセージを送ってくれた旅中に出会った仲間。
あぁ、この1ヶ月の旅の半分くらいもったいないことをしていたな、もう最終日か。
やるせなさ、自分の小ささに涙が止まらなくなった。
どんな状況でも自分を見失わずいつも通りに旅をする
あと数時間どう過ごそう。
今から新しい人と出会うというより、最後はみんなの笑顔が見たい。
一旦泣いてからは、心の中のわだかまりが消えて、息をするのが軽くなったようで空気が澄んでるように感じた。旅を始めてから1ヶ月経ったけど、初心に帰った気がして自然と前向きに笑顔になれた。
その日、ホステルに帰るまで、ずっと笑顔でいた。
バスに乗った時に、バスの運転手は窓をほんの少ししか開けずタバコを吸って車内が臭かった。普段は嫌だけどおっけい。笑顔。
乗ってきたおばちゃんが、臭そうにして自分の席の窓を開けた。冷たい風がめちゃめちゃ直撃した。コンタクトも乾く。でもおっけい。笑顔。
バスの運転手は英語が通じなくて、目的地を伝えるのに苦労した。バスの運転手も怒鳴り始めてる。でもおっけい。笑顔。
どれも大したことない。全てが旅の要素になる。いままでカリカリしすぎてた。
バスを降りる時は満面の笑顔で「シュクラン(ありがとう)」と言った。バスの運転手は嬉しそうに、「アフワン(どういたしまして)」と言い、私はバスを出たが、運転手は私を呼び戻し、私に名前を聞いてきた。それに答えると「good!good! welcome!」と満面の笑顔で握手してきた。
素晴らしい。
ホステルまでに、私が訪れたパスタ屋があった。店主に笑顔で手を振ると、覚えてくれてたようで、笑顔で手を振って今日も食べてく?と言ってくれた。
素晴らしい。
笑顔の余韻が残ってて隣のフルーツ屋の店員にも挨拶をした(笑)
もちろんみんな笑顔で返してくれる。
差別もない、いつもの旅のように、気持ちは軽く、常に笑顔で、もう少しこのマインドで旅を続けたいな、そう思った帰路だった。
差別を受けたこの旅を終えて
差別されたことで見失ってしまったものは、自分自身。
差別されたり、否定されたりすると、自分の価値がなくなったように感じてしまうかもしれない。
いつもの自分が発揮できずに、卑屈な気持ちになってしまうかもしれない。
でもそれって本当にもったいないことで、生きてる時間は有限で、もちろん旅も有限で。
だからこそ、どんだけ自分につらいことがあっても、いつもの自分を見失わずに、ポジティブに笑顔で生きていきたいと思った。
自分が人を変えることはとても難しい。だけど、自分なら自分を変えることができる。
自分がほんの少しだけ考え方や行動を変えるだけで見える世界が大きく変わってくるし、自分にとってそれが転機になることがある。
差別をされたことがきっかけで、そんな当たり前のことを身をもって感じた。
1人旅で孤独を感じることはあったけど、それでも自由を求めて、足を前に進めて、心のままに、自分で自分の明日を作っていきたい。世界を飛び回り続けたいと思った旅でした。
あとがき~結局誰が悪いの?~
アジア人「(旅に出る)」
現地人「コロナ!やーい!コロナコロナ!」
アジア人「うざ、だまれ!おろかもの!」
現地人「はー?」
アジア人「パーーーンチ」
もしこうなってしまって、これが大きくなって、民族間の争いが起きた時の、元凶・発端はどこなの?
誰が悪くて、どこを改善したらいいの?