普通ってなんだろう?
子育てをするまで、『普通』って言葉について深く考えたことがありませんでした。
私は、大学を卒業して
管理栄養士として働いていました。
当時の私は
大学に行くのが普通
大学を出たら就職するのが普通
資格を取ったならそれを活かして働くのが普通
なぜ、それを普通だと思ったかというと
周りを見渡した時、
ほとんどの友達がその選択をしていたからです。
周りと違う選択をすることは
『普通』ではなくなるようで怖かった。
とにかく『普通』でいれば間違っていない、大丈夫だと思っていました。
『普通』から外れなければ、波風をたてなくてすむ。
あんなに『普通』でいることにたくさんのメリットを感じ安心感を抱いていました。
子どもを出産して、『普通でいること=安心である』と信じていたことがどんどん崩壊していきました。
はじめての子育て
育児書やいろんなアドバイスを聞くようなりました。
ただ、わが子はその『普通という基準』に当てはまらないことが多かった。
1歳を過ぎた頃からはそれは顕著でした。
育児書やまわりの話を聞けば聞くほど苦しくなりました。
知識が増えれば増えるほど、苦しい。
今思うと全くわが子を見れていませんでした。
『普通』でいてくれれば私が安心できるから。
だから、とにかく『普通に』。
こどものためにと言いながら、自分がいいお母さんに見られたいだけだったのかもしれません。
この頃一番苦しかった…
成長とともに、偏食もひどくなり
周りの子が絵を描いたり、お手紙を書いたりするなか
全くできるようにならない。
私が焦れば焦るほど、娘から笑顔が消えていった。
『普通』でいれば安心。
ずっとそう信じてきたのに。
わたしのずっと信じてきた普通は、大多数の人がそうであること。
でも、みんなと同じようにしようとすればするほど、苦しくてたまらなかった。
次第に
普通って言葉が嫌いになっていった。
普通ってしんどい。
普通の子ってどんな子?
周りと比べて、
周りや年齢を基準に
自分たちが普通か普通じゃないか決めるのはもうやめたい。
本気でそう思いました。
そうしないと、私と子どもたちの心が壊れてしまう。
本当は普通の基準って、
人それぞれ違っていいんだと思います。
わが家では、なんでも食べるのが普通ではなくて
食べられてるものが限られている日常が普通だし
読み書きが苦手であることが普通。
これは、世間の普通と比べると
決して普通とは言えないけれども
世間の普通に合わせるんではなくて
私たちにとっての普通を大切にできること
子どもたちそれぞれの普通を尊重できること
普通って人の数だけあっていいんだ
と思うとスッーと心が軽くなりました。