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ひとり上手 | K i i
中島みゆきの歌に「ひとり上手」と言う歌がある。初めて聴いたのは中学生の頃だっただろうか。「あなた」とお別れしなくてはならない女性の悲しみを、ひとり上手にはなりたくないと表現していて、当時、子どもからの見上げた目線ではありながら、その世界観をしっかり切なく感じたのと同時に、歌詞のネガティブな意味合いと相反した「ひとり上手」の言葉が放つ、どこか成熟した印象に憧れを感じていた。
その後大人になってこの歌詞のように、「あなた」がいなければ成立しない青い世界を私も経験したけれど、私の場合、閉ざされた無二の関係性に大いに救われ培われつつも芯まで満たすことはできず、バランスを取るためにはひとりで過ごす、私のための完璧な時間が必要だった。
完璧と言っても大それたものでなく、私が行きたい所に行き、食べたいものを食べ、したいことをする。私に没頭してただしっくりとした時間を過ごすこと。その時間を隅々行き渡らせるために、誰かとの境界に気をとられることなく、身も心も解かして注ぎこみたい。旅をすることも、仲が良い友人ともほとんどなくひとりばかりで、家族との旅行すら単独行動が多かった。
孤高で在りたい訳ではない。でもある種、執拗なほどひとりの時間を求めてしまうのは、育った環境の中で趣味や嗜好に共感しあえる人と出会えなかったからなのか、生まれ持っての気質や、潜在的にある失意なんだろうか。
でも、そんな私も長い年月の中で、満たすことへの探求からいつの間にか移り変わり、日常圏に既にある手札で事足りるようになってきた。ここへと至れているのはきっとこれまで満たせてきたことでの、幸いの境地なんだろう。
最近になって心境に変化があった。明確な発端はわからないまま、誰かと交わりたい、共感し合いたいと思う気持ちが湧きあがり、このリレーエッセイにも大きな意義を感じている。率直に、自分にそんな望みが現れたことは驚きだ。
長年ひとりにこだわって拗らせてきた私が、包んできた殻は我ながら相当固い。そんな私だけれど、誰かとともに何かをすることを、これからは上手になっていきたい。
「友だちってどうすればなれると思う?」息子にふと尋ねてみた。しばらくして「色々と話してみることかな」と返ってきた。銀杏を割ると瑞々しい実が現れるように、彼の言う、まず話してみることから変わっていけたらいいなと、今はそう願っている。
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