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太陽の熱に溶けたとき|ひかり

溶けるような暑さというか、本当に溶けた今年の夏だった。
誕生日ケーキの蝋燭のごとく、照りつける太陽の下に立つ私は汗をかきながら、心も体も夏に溶けていた。

春から始めた仕事は一日中外で作業する仕事だ。
外と言っても職場は標高の高い山の上にあり、作業中は屋根がある所や、木陰があったりするから、環境としては優しい方ではあるかもしれないが、それなりに暑い。
何かを体に塗る感覚が苦手で、日焼け止めなんかも塗らず、この夏用に購入した腕カバーも邪魔くさくなって途中で脱ぎ捨ててしまったから、一夏を越えた私は潔いほどの日焼けを携えて秋を迎えた。

とはいえ、この暑さを嘆いているわけではなく、ある出来事がきっかけで私は敢えて太陽の熱を思う存分に受けることに決めて立っていた。

それは、今年の梅干し作りの時のこと。
「梅はお日さまと風の力で梅干しになっていく、その相互の関係の中で私が必要なさじ加減を見極めることが大切」と梅干し作りを教えていただいている先生が伝えてくださった。
立秋までの土用の期間、干している梅を見ていると、お日さまと風に当たった梅たちはじりじりパワーを吸収し、ふくふくと変化した。
内に秘める美しさが滲み出るように変化した姿があまりにも豊かで、私もこの力を全身で受けてみたいと思ったのだった。

そうして意識的に太陽の熱に翻弄されていた私は、目の前のことしか考えられないような熱にほだされた日々だったが、暑さにブーストをかけられていることも実感していて、タスクを弾むようにこなしていた。
それに、日焼けとか関係なくなったら、太陽に向かって思い切り胸を開くことができて、縮こまっていた体が開いていくのも気持ちよかった。
夏の間中、受け取るものは濃厚で、太陽の熱で体から水分が出ていくのと同時にそのギフトは濃縮されていった。
でも実は、まだそれが何だったのかはわかっていない。瞬間に受け取っていたものは、お腹の底から嬉しいとか、楽しいとか、わけもなく笑い出したくなるような感情に弾んでいた。
暑さが落ち着いて、秋の涼しい風に体がゆるんできた今、アウトプットされてくるのではないかと感じている。

私は2024年の夏に溶けて滲んでいた。
そうできたのは、このリレーエッセイを通して仲間から言葉を受け取り、日々自分が感じていることを言葉にして、つぶさに観察できていたからではないかと思う。
新しい始まりと共に、忘れられない特別な夏となった。
次はどんな季節を過ごして、言葉を繋げ合うのだろうか、とても楽しみだ。

目を留めてくださり、ありがとうございます。 いただいたお気持ちから、自分たちを顧みることができ、とても励みになります! また、皆さまに還元できますよう日々に向き合ってまいります。