長女の鎧、しっかり者 | 莉琴
わたしには2歳年下の妹がいる。
似ていないところが多く、「しっかり者の姉」と「マイペースな妹」という周囲からの見られ方が幼稚園の頃には出来上がっていた。
最も古い記憶はわたしが5歳、妹が3歳だった夏の夜のことだ。
公園で盆踊り大会が開催されていて、両親は係の仕事で離れたところにいた。
すると突然、見知らぬ大人の男が妹を抱き抱えて連れ去ろうとした。何が起こったのかわからないまま抱えられ離れていく妹を見て、わたしは大声で泣き叫んだ。
只事ではない様子に周囲の大人たちが気付くと、男は妹から手を離して逃げて行った。たった数秒のことで事なきを得たが、わたしは怖くてずっと泣き続けていた。
小学生の頃、よく両親から頼まれごとのような言われ方をされた。(「『ちびまる子ちゃん』姉妹のようだ」と親戚から言われたため、以後文中では妹を”まる子ちゃん”と呼ぶ)
「まる子ちゃんが◯◯できてないみたいなのよ。莉琴さんから教えてあげて」
「まる子が△△やってるから、莉琴から何とか言ってやれ」
姉妹それぞれの性格上、親からすれば自然な会話だったのだろう。その度にわたしはそれとなく妹が解決できるように話をしたり、教えたりしていた。
それは大人になっても変わらなかった。
子どもの頃のように明らかな依頼ではないが、
「まる子ちゃんは◯◯してるんだって」から始まる。その振りから〈姉は妹とは違って◯◯はしていないだろう〉という無言の期待を感じ取る。
「◯◯?わたしはしたことないよ」
模範回答を返す。
「そうでしょう?まる子ちゃんはしてるんだって。(やめるように)教えてあげてよ」と続く。
最近になって、この受け答えをやめた。
特にきっかけはないけれど、期待通りの姿の姉、正されるべき存在の妹という使い古された型にハマりたくなくなった。
わたしは姉だが、妹のお手本ではない。それぞれ違う人なんだから、妹は妹にぴったり合ったスタイルでいればいい。誰かが誰かに判断されて、正されたりしなくていい。
盆踊りの記憶のせいだろうか。
わたし自身も姉妹の関係性の中では常にしっかり者でいなくてはいけないと強く思い込んでいた。両親からの”かくあるべき”という期待にも応えようと長女の鎧を着込んでいたのだろう。
先日、20年来の友人との食事の帰り道で、
「ほら、わたしってしっかり者だから」
と言ったら、「え?しっかり者だなんて思ったことないよ?」と返された。
「え?!」わたしも驚き返す。
たしかに「明日二人で京都へ日帰り旅行に行こう」と決めたときも買い方がわからない新幹線の切符を一緒に買ってもらったり、毎回レストランの予約してもらったりと頼ってばかりだ。
「”19時に待ち合わせ”って言うと、遅れたらいけないって焦ると思うから”19時とかそこらへん”に来たらいいから」と、どこまでも甘やかしてくれる。
余計なものを身に纏わず、甘えたりしっかりしたり続いたり途切れたり、そのときどきで好きなようにいたらいいのだろう。