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祝福の花束を | saki

酷暑、厳暑と言われた今年の夏だが"暑さ寒さも彼岸まで"。そう先人たちは教えてくれている。日日を重ね季節や自然、天体や宇宙の巡りを感じてきたからこその本質、的を得た言葉だと、しみじみ感じる。

"自然豊かなところで健やか、おおらかに暮らすこと"が、わたしの夢だと思っていた。
ところが予測も想像も全く刃が立たない、むしろ遥かに超えてしまっていることが起き続け、ひと味もふた味も違う夏越しとなった。今もなお現在進行形だ。

そのきっかけのひとつに夏至より仲間をはじめ、さまざまな方々に触れていただいている暮らしを綴ったこの『HAKKOU』という場が開かれたこと。

これまでも日常のなにげないことをSNSや個人のnoteで表現していた。ただ、大きく違う点は「リレーエッセイ」だということ。
リレーといえば運動会のバトンを渡すように前の人から受けとったイメージやキーワードを元に書いていくのだが、前の人から受けとり繋ぐことで「巡り」が生まれ、暮らしを記すことで目に見えないものを現し「手元から離れ」、仲間や人々と共に「わかち合う喜び」がある。

心にふれたことを現すことで「自分を知る」「生きる実感や手応え」が深部にまで沁み渡り、感性や感覚はどこまでも伸びやかに澄み渡り、喜びがたぷたぷと、こぼれそうなほど満ちていく…。
わたしにとって『HAKKOU』は果てのない無限循環ループ機関となっている。

暮らしを綴り分かち合えることは、ただ「わたしを生きる」ことで「おめでとう!」と、ありとあらゆるものから祝福の光のシャワーをたっぷり浴び、バトンという花束を受けとり、また花を束ねて贈る。そんな感覚なのだ。

それからというもの、"絶対にこの世界に踏み入れぬまい"と決めてかかっていた、お茶の沼にすっかりハマり、お茶に纏わる茶道具を創るまで至っている。

身体を動かすことが苦手で面倒だと思い込んでいたが、きづけば入門し初級編へと進み動作は暮らしに息づいている。

結構なブランクを経て花を摘み、花を束ねる職に就いている。

想い描いていた夢とはかけ離れて全くもって思いがけないことばかりだが、想像や空想で空回りするでもなく、闇雲に当たって砕けるでもない。
知らず知らず心身、すべてのバランス、均衡、均整がはからずとも、はかっていただけている。

目を留めてくださり、ありがとうございます。 いただいたお気持ちから、自分たちを顧みることができ、とても励みになります! また、皆さまに還元できますよう日々に向き合ってまいります。