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お日さまとともに | Kii
エッセイのテーマ「暮らしを綴る」に際し今一度、「暮らし」の意味を調べてみることにした。
【暮らし】
1 暮らすこと。一日一日を過ごしていくこと。
2 日々の生活。生計。
【暮】
1 日が西に隠れて暗くなる。夕方になる。ゆうぐれ。
2 一つの時期が終わりになる。終わりの時期。
昔、文明によって電気のエネルギーが家庭に普及するまで、一日の活動とは太陽が巡っている間のことできっと、日々の生活を表すのに「暮」と言う字が使われたんだろう。日没後の暗闇では、人の手で薪を焚いたり蝋燭などに火を灯してもできることはほんの僅かで、何もしようがないことが自然だったはず。
それが、電気によって昼夜活動ができることになり、はっきりしたはじまりとおわりの境目が薄まって、暮らせる時間は広がっていった。そんな現代はとても便利でありがたいけれど、お日さまの動きを意識することは、根源的で大切なことだと思う。
私の暮らす町では、お日さまは山脈から登る。日の出は、その日が生まれて産声が響きわたるようにパワフルで、眺めているといつもお腹のあたりがムズムズして力を蓄えられていくようだ。
日の入りは、海に光を落としながら対岸の淡路島に沈んでいく。淡路島とひとくくりにしても、地球の公転で位置が一年を通じて北に南に移ろい、先日夏至を迎えたばかりの今はもっとも北のあたりへ沈んでいる。
夕日が空や雲を彩る色は天候や季節により異なって、焚き火に照らされたように眩い日があれば、空全体がたっぷりしたベールに包まれたような日もある。日が海に光線を落とし波で瞬く時間は、いつ眺めても神々しい。
時折、旅先で、いつもと違う日の出・日の入りに出合えるのは新鮮だ。山へ向かう日の入りは、オレンジに輝く空を背景に、まるごと黒い影となった山とのコントラストが、夜との境界を現しているようでハッとする。山が高いほど日の入りは早く、日の出も逆然りで、思わずその谷あいでの生活を想像してしまう。
山だったり、海だったり、住宅だったり、ビル群であったり。どこにいたとしても、はるか昔から今日の日まで変わらず、日の出と日の入りは力強くてうつくしい。
「暮らし」の言葉が伝えてくれる、一日のはじまりとおわりにそのようなひとときを経ていること、その間に生活があるということを感じれば、不思議とありがたい気持ちが湧いてくる。
そうして日が私たちの天地を巡る中、一日が長くなったり短くなったり、繰り返される大らかなリズムの中にいることは、ゆりかごのような安心をもたらしてくれているんだなぁ。そんな風に感じながら暮らしていたいと願っている。
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