青春18切符 夏の旅|ひかり
数年前の夏、青春18切符を利用して愛知から鹿児島へ鈍行列車の旅をした。
夫の実家へお盆の帰省をかねての夏の旅だった。
愛知から鹿児島までの道のり、名古屋駅の始発に乗り、福岡からは新幹線を使うが、上手くいけばなんとか深夜12時過ぎには着けるという旅程である。
だいぶ記憶が曖昧になってきてはいるが、なぜかこの旅の記憶を思い出す時は、車窓から見えた景色ではなく、車内での出来事ばかりが頭の中で流れるように思い出される。
始発に間に合うよう朝日が昇らないうちに家を出る。
何物もの気配がない無機質な街の朝の景色をタクシーの窓から眺めていると、未知の旅が始まるワクワクと相まって、どこか知らない世界へ向かって行っているような不思議な感覚になった。
電車に乗り込む前に一日の食料を買い込む。
途中下車をして美味しいものを食べられる時間の余裕はないからと、乗り換えの合間に食べられる行動食を朝昼晩の3食分バックに詰める。
いつも思うのだが、旅の始まりに電車や、車で食べる為の朝ごはんを買う瞬間って最もワクワクする瞬間かもしれない。
これから始まる一日のスタートをお祝いするような気持ちになる。
ガラガラの始発電車だったが、日が昇ると共にだんだんと増えていく乗客であふれ返るほどに混雑し始め、太陽が放つエネルギーのごとく車内も活気づいていくようだった。
そんな満員電車も、乗り換え、乗り換えて進むにつれ、乗客も散り散りになっていった。
そうすると、ずっと同じ顔ぶれの18切符仲間が振るいにかけられたように分かるようになっていく。
田舎の方まで来ると、2両編成の電車で2時間とか一緒に乗り続けることもあったりして、私が勝手に思っていただけだが、そこに醸し出される空気は言葉を交わさずとも、仲間である。
前に座って本を読んでいる男性は何度も乗り換えを共にした方だが、ずっと読んでいる本の哲学書っぽい表紙から、普段どんな考え方をされるのかなとか想像したり。
隣に座っている方に窓から入ってきたカナブンが止まり、虫が苦手なようでだったので取って逃がしてあげて、ゆるやかに言葉を交わしあったり。
うたた寝をしている間に見知った顔の方がいなくなっていると少し寂しくなったりさえした。
夜に小倉駅へ着いた時にはヘトヘトになっていて、我慢できずにかき込んだ立ち食いうどんは、乾いた土が一瞬で水を吸うように体へ吸収され、あまりの美味しさに、夫と同時に顔を見合わせた。
無事に予定の時間に鹿児島の実家へ着いた時には、体中の力を使い切っていたが、気持ちの良い疲労感で、最終地点とも言えるベットへ倒れ込み旅の締めくくりとなった。
夏になると思い出される、穏やかな18切符の旅である。
目を留めてくださり、ありがとうございます。 いただいたお気持ちから、自分たちを顧みることができ、とても励みになります! また、皆さまに還元できますよう日々に向き合ってまいります。