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フラットな関係と根っこ | Kii

母は日常的に私を名前ではなく「お姉ちゃん」と呼ぶことが多かった。そして3つ年の離れた妹のことは、単に「妹」という呼称がないだけで、他意などなかったのかもしれないけれど、名前で呼んでいた。

小さい時からそう呼ばれ続けて、まったくなんの疑問を持たずに育ったので「私はお姉ちゃんだ」と一層強く姉然としていたし、それがどこか誇らしかったのかもしれない。

「姉」という立場が強く刷り込まれての振る舞いからか、母から何かと頼りにされることが多く、そんな日々を重ねた結果、私はすっかり人に甘えられない頼れないステレオタイプの長女に仕上がった。

大人にさしかかる頃には、それゆえの悩みやコンプレックスを抱え、未だに払拭されずというより最早これは根っこのようなものなんだろう。

その教訓から漠然と、もし兄弟の親になったとしたら、対等な関係のために名前で呼び合うようにしたいと思っていた。家族というはじめての、そしてベースとなるコミュニティでの関係がフラットなことで、なるべく先入観や前提をなくせたらとの願いがあってのことだ。

のちに随分経ち、30代半ばを過ぎた頃、私はついに親になることになった。

息子が生まれる少し前、お腹がまるまると大きくなったくらいに、日常的な会話の中、ささやかな決意表明として夫に伝えたことがある。「私は親ではあるけれど人として仲良しでありたい」ということを。

親の立場で守り育てていくそのベクトルは、上から下へではなく、大きなものから小さなものへでありたい。

結局子どもはひとりで、兄弟関係への想いを形にすることはなかったけれど、ひとりっこであるからこそ一層、親の私たちと息子はフラットであるよう心がけてきた。

特に、家族3人揃って夕食の時間を過ごすことは特に大切にしていて、夫の帰りが遅れたとしても極力待つことを優先してきた。

私も夫も口数はそんなに多くないし、ダイニングにはテレビもないので静かな食卓ではあるけれど、テーブルを囲んでぽつりぽつりとその日あったことや思っていることを話しながら過ごした時間は、私たちをより家族にしてくれたと実感している。

4月から週3日、息子は塾に通うため早めに夕食をとるようになり、揃うのは週の半分ほどになってしまった。まだ遠い先とは言え、それは巣立ちの準備がはじまったようで少し寂しく思っている。

とは言え、大切にと子育てをしつつ、私と夫は何かやりたいことがあれば抑えずに振り切って動いてきた方で、割といい加減で適当なところもある。そんな私たちは息子からどう映っているのかはわからないし、きっと息子にも言い分があるとは思う。けれど、やるからには振り切る方が楽しいと言うことは体現できているのではないかと、そう信じている。

重ねて来た日々は、彼の中でどんな根っこになっているのだろう。一緒に暮らせる時間はきっともう折り返しを過ぎている。目を細めながらどうか見届けていきたい。


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HAKKOU/リレーエッセイ
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