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ふりそそぐ光の粒、がらんとした静謐なところ | Kii

2025年を迎えて、あっというまに10日がたった。
 
1日24時間をたった10回しか繰り返していなくて、さらにそれらのおおむね3分の1はお正月の三ヶ日であったはずなのに、もうずいぶん前のことのように思えてしまう。その間に夫の故郷へもいつものように遠路帰省して、たっぷりと交流してきたにもかかわらず。
 
それにこのたびに至っては、昨年末の冬至の日が私にとっては大晦日のようで、そのタイミングですでにあたらしい年が明けていたようにも感じている。冬至以降、私の世界はとてもおだやかなところに在る。
 
お日さまの力が最も弱くなる日。私は朝から夕方まで働いたあとあわただしく車でいったん自宅へと戻ると、今度は子どもを乗せて、家から1時間半ほどかかる奈良の橿原へと車を走らせた。
 
近頃の私は、年齢を経て夜に運転をすることがすっかり不得手になってしまっている。とりわけ橿原へと向かうルートは、片側1車線の自動車道で逃げ場となる車線がなく、終始急きたてられるように走ることを余儀なくされたり、和泉山脈の南側から東側へと沿う道路は夜間とても暗く、さらに対向車のライトがまぶしくて積極的になれない。
 
師走も半ばを過ぎて、疲労もあり体調は万全といえないにもかかわらず、それでもどうしても足を運びたい特別な機会だったので、とにかく自分を奮い立たせて無事に御所ICまで辿り着き安堵できたのは、ちょうど冬至の極みの時間のころだった。
 
産道のように狭くて暗く、延々とした重苦しい時間を越えて、特別な機会での交流と施しを受けた向こう側へ来ると、私の世界はがらりといっぺんしていた。

その世界をたどたどしくも形容するならば、こまやかな光の粒子がふりそそいでいる、がらんとした静謐なところだ。さいわいなことに今のところ、私はまだずっとそのままその場所にいる。
 
ただ、それと同時に、なんだか頭が回らず思考できなくなってしまっている。

物事を深く掘り下げて考えるよりも、今はこの感覚に浸っていたいと願っているし、思っていることを上手く言葉にあらわすことがただでさえスムーズにいかないのに、光が眩しすぎて隠れてしまっているみたいだ。

そんな感じなので、このエッセイを書くことにもとても時間がかかってしまった。でもやはりそれでいいと思っている。
 
年初めの仕事がはじまって日常が戻りつつある今、これまでの普段の私をよく知る人たちと接していくなかで、ひょっとしたら自分が変わったところに出会える場面があるのではないだろうか。それが今、とても面白くて楽しみに思えている。

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HAKKOU(はっこう)/リレーエッセイ
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