日々に育まれる | saki
親の仕事の関係で引っ越しが多かったのもあり、家で動物を家族のように迎えるという経験はなかった。
近所に住む友人から「家の犬が赤ちゃんを産んだから見に来ない?」と動物に馴染みはそれほどないけれど、誘われるがまま行ってみることにした。
子犬は手のひらに乗るほど小さく母親から離れて寒いのか心細いのか、小刻みにプルプル震えている。一方でわたしの手は子犬の体温がつたって、あたたかい。
この地上に生まれたばかり。わたしの手がそばにあると目を瞑ったまま鼻をクンクンさせて指に辿り着き、おっぱいだと思って吸おうとするし(何だか、なま温かいな‥)と思ったら、うんちをした。
赤ちゃんは、そのまま、むきだしだ。子犬のあるがままの姿に心がキューンとなり、今度はわたしの心の熱が全身、子犬、全体へと血のように巡り、ぬくもりで世界は包まれた。
わたしはこのあたたかな光の世界、感触に憶えがあると思い遡ると、9歳下にきょうだいが生まれたときだ。
「うぇ〜ん!」と泣いて自分が求めることを全身全霊で伝えてそのほとばしるエネルギーの強さ、神々しさとは裏腹に、身体も衣も手足も何もかもが小さくこわれそうに柔らかい。ここに居ながらもどこかと、全体と溶け合っている。
一瞬として同じ姿はなく表情や仕草の一つひとつが自然の中に身を置き、おひさまの光でころころと景色が様変わりするように豊かで眩く、目まぐるしく愛くるしい。カメラに収めようにも収まりきらないほど多彩だ。
4歳下のきょうだいとよく人形をおんぶしたり布団に寝かせたりして、ごっこ遊びをひとしきりしたが、無表情で無感情の一見何も変わりないように見える無機質な人形をただ操っているのではなかった。
アイドルになったかと思えば学校の設定になったりと突拍子もない全く接点がなさそうなものも、やりとりしながら実にドラマチックに鮮やかに取り巻いて物語が展開していく。
人形を通して様々な人物、状況、状態を投影し夢と現実とのあわいのなか、いのちや魂を宿しているようにさえ感じたものだ。
9歳下のきょうだいは三歳の頃、検診に引っ掛かり障がいがあると診断された。
大波小波ほんとうに色々あったけれど、今では人との出会いに恵まれ支え合って仕事も何十年と経ており、雨にも風にも警報にも負けじと率先して出勤するほど。
家では料理で腕を振るい洗濯や掃除をして、歳を重ね老いを迎える両親と家族のために家をととのえてくれている。ちなみに焼き菓子は絶品だ。
いかなる、どのような時であっても部分的で点在しているようにみえるものは、ゆるやかにたぐり寄せられ繋がっていく。
「自分にしかないもの」「すでにあるもの」を磨き自ら立ち上がり生きることの尊さを、なにげない日々の家族の姿から学び、チカラをもらっている。
目を留めてくださり、ありがとうございます。 いただいたお気持ちから、自分たちを顧みることができ、とても励みになります! また、皆さまに還元できますよう日々に向き合ってまいります。