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湯けむりは暮らしの土台|ひかり

私の住む街は温泉の湧出が豊富で、自宅からおよそ5キロ以内の範囲に温泉浴場が20カ所ほどある、温泉好きにはちょっと有名な温泉地だ。

この地域に昔から住む人達は毎日、自宅の風呂代わりに温泉へ入りに行くので、日が暮れる少し前になると、温泉セットの籠を持って、ゆっくり歩く人が現れ始める。
これだけ温泉浴場があるにも関わらず、だいたいはお気に入りの温泉が決まっていて同じ所へ行くので、みんな顔馴染みである。
「お、今日は会えたねぇ」 「ここもういいから使って」と、湧出口に近い洗い場を譲りあったりして、 今日一日を労い合う。
時々しか夕方には行かない新参者の私は、湯けむりの中に互いに溶け合っていく姿を、浴槽の端から眺めながら、無意識に微笑んでしまう。

温泉へは自分だけの静かな時間を求めるから、私はなるべく人のいない時間に行く。
やっぱり私にも、お気に入りの温泉が数カ所あって、その日の気分で行き先を決める。
今日は気持ちを引き締めて、キリッとさせたい。 温泉へ向かう私は、すでに半分浮いている気分、車を運転しながら心地いい。
外から脱衣所にダイレクトにつながる扉を開けると、誰も居ない。
一定のリズムで流れ出る源泉の音のみが、しんしんと空気を作っている。
自然に波打つ湯の振動と、そこにある静けさをなるべく壊さないように、そっと湯の中へ滑り込む。
自然と深い呼吸が生まれ、吸って、吐く息とともに湯と一体化していく。
同時に五感が緩んだのか、窓の外から鳥の声や風の音が聴こえはじめる。
熱めの湯の温度が体へ浸透していくと、境界が滲み、体を忘れて意識も内へ向いていく。
そうして湯に入ると、何を考えるでもないけれど、軸を正す時間をもらう。

湯から上がったあとは無条件の幸福に包まれている、最高だ。
ありがとうございますと、温泉と浴場主に挨拶をして帰る私は、しっかりと地に足を着けている。

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HAKKOU(はっこう)/リレーエッセイ
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