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空白をくぐり抜けた景色 | Kii
先日スケジュールに「オフ」と入れた日は、無事に予定が入ることなく迎えることができた。
その日の朝、早々に朝練へ向かう息子を送り出すと、いつも作業をしている席について、まずは呆けることからはじめた。
「時間があるときに」と放っていたことの山から、あらかじめ何をするかを決めると、途端にそれは予定になってしまうので本末転倒だ。なにしろまっさらなところからはじめて、自由な時間を手のひらでくるみ、しばらく愛でるようにしてから、心の向く儘に過ごしたいと思っていた。
迫りくるものなくただ虚空を眺めている時間は、おどろくほど至福で、不思議なひとときだった。たとえるなら、自分のまわりにみっしりそびえていた壁がだんだん透けていって、消えていった、みたいな体験。
まぎれもなく、その壁を作って身動きを不自由にしていたのは私自身だ。壁を消すこと自体は、常日頃の中で少しの時間があればできることなのかもしれないけれど、要塞にいた時にはわからなかった。ある種の極まりを経たからこそ至れた境地かもしれないし、私にとってこのプロセスが必然だったように思う。
そんな時間の果てに思い立ったことは、ずっと長い間壊れたままになっていた、小さな行李の補修だった。
ふたの縁の軸になっている太い竹が何かの拍子に割れて、その竹にぐるぐると巻いてあった薄い竹もほどけてしまい、開け閉めする時はそれ以上ほどけてしまわないようにいつも、おそるおそる行っていた。
その行李にはおにぎりを入れていて、他の容れものはあるけれど、熱が籠りにくい行李は暑かったこの夏にはやはり代え難く、そのままで使いつづけていたのだ。
この状態になってゆうに1年は過ぎている。ひょっとしたら2年以上かも。開閉が不便であってもあたらしいものを買わなかったのは、愛着があって気に入っていたことと、いつか時間があるときに補修をしようと思っていたから。そしてこのたび不意にその時が訪れたのだった。
割れた竹は、もとの形状が保てるよう指で押さえこみながらホチキスで固定して、その上は薄い竹の代わりに麻のひもを、固定した竹の周りにぐるぐると巡らせた。
いびつな易い仕上がりだけど、ふたの開け閉めがスムーズになり、整えられてとても満足している。対処を考える時間を含め、作業時間は15分ほど。でもたったのそれが、ずっと私にはできなかったのだ。
その後も、それが呼び水となったように隅々に置き放っていたことが捗り続けていて、一掃にはまだほど遠いけれど、隙間があれば少しずつ片づけたいと気持ちが向き続けている。
駆け抜けた2024年の年の瀬。今、私はとても大切なことに気づきはじめているのかもしれない。
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