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父のハムキュウリサンド | 莉琴

今でこそ、おなかが空くと何も手につかなくなるほどの食いしん坊だが、小さな頃は少食で親から心配されていたそうだ。

あまりにも食べないから、仙人のように霞を食べて生きてるんじゃないかと祖父母に言われ、「カスミちゃん」とも呼ばれていたという。

伝聞表現が続くのはわたしの中に少食の記憶はないからで、唯一覚えているのは親族で百貨店最上階のレストランフロアへ行ったときのことだ。

店の前に並ぶ様々なメニューの食品サンプルを見ながら、
「みてるだけで、おなかいっぱいになる」
と呟いたら、親戚のおじさんから、
「お金がかからなくていいね」と言われた。
お金がかからないことがどうしていいのか、幼心にはよくわからず疑問と共に残っている。


小学校に入学したばかりの頃、弟を出産するため母が産院に入院し、その時期だけ父が朝ごはんを作ってくれた。
薄切りのキュウリとハムが挟まれ、マヨネーズで味付けされたサンドイッチだった。

カスミちゃんに朝からサンドイッチは重い。
一口も食べたくないし、絶対に食べられなかった。
でも、残すと怒られる・・・困り果てたわたしは父がキッチンへ戻った隙にオーディオスピーカーの裏へお皿ごとサンドイッチを隠した。

朝食が不自然にごっそりなくなったことにいつ気付かれるか、玄関を出るときまでヒヤヒヤしながら背中に全神経を集中させて父の動向を伺った。

だから、なにも言われず家を出られたときはヒャッホーと開放感で飛んでいってしまいそうだった。


「どうしても食べたくなかったら隠さなくていいから、そのままテーブルに置いておけ。俺が食べるから」
帰宅後、呆れたような困ったような顔で父から言われたが、なぜか怒られなかった。
拍子抜けした気持ちと共に、ハムキュウリサンドを見ると今でも一連の出来事を思い出す。

娘が昼までお腹を空かせないようにと食パンに薄くバターを塗って、キュウリを薄切りにして・・・
朝から手間のかかる工程を経てわざわざ作ってくれたことも、
パサパサになったサンドイッチを見つけたときの気持ちも今なら想像できるから、父に申し訳ないやら、自分の幼さが微笑ましいやらで胸がきゅっとなる。

こうした暮らしの些細な出来事は一見なんてことない顔をしながら、剥がしても跡が残るシールのようなしつこさでこころに居続ける。
恐らく父はもう忘れていると思うが、わたしはこれからもずっとずっと覚えているだろう。

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HAKKOU(はっこう)/リレーエッセイ
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