ズームの魔術師 - ロバート・アルトマン傑作選 -
同じ作家の映画を続けてみるといろんな発見がある。なのでなるべくそうしたいのだが、時間が取れなかったり、途中で味変したくなったりでなかなか続かない。
しかし今回のロバート・アルトマン特集は3本のみ。コンプリートしやすそうだったので行ってみるかと思い立つ。
アルトマンは随分前に『Dr.Tと女たち』をアマプラで見たっきりで、自動翻訳っぽい字幕だったのもあり全然覚えていない。というわけでほぼほぼ初遭遇。
今回は『ロング・グッドバイ』→『ロバート・アルトマンのイメージズ』→『雨にぬれた舗道』の順で見た。遡ってしまったが仕方がない。とにかくひとつずつ感想を書いてみようと思う。
*この文章には一部ネタバレがあります!ご注意を!*
『ロング・グッドバイ』(1973、112分、アメリカ、カラー)
どうやら代表作のひとつらしい。妻殺害の容疑をかけられたまま殺された親友の汚名を晴らすために、主人公・マーロウは奔走するが…というお話。
フラフラと定まらないカメラが印象的で、常に動くか何かに寄っていくかしていた。それはまるでこの映画の男たちの生き方そのものにさえ思える。
何よりも忘れられないのが、犬の交尾へのズーム・アップ。街を歩いているマーロウを追っていたかと思えば、カメラは突如として偶然そこで行われていた交尾に寄っていく。この行き当たりばったりなユーモア。思いついても普通やらなくないか?度胸にも感心する。
マーロウの調査は流石に手慣れてはいるのだが、病院へ潜入するシーン等行き当たりばったりでもなんとかしてしまう箇所もある。だからこのカメラワークはマーロウとシンクロしていると言っていい。この自由さが素晴らしいのだ。
『ロバート・アルトマンのイメージズ』(1972、101分、イギリス・アイルランド・アメリカ、カラー)
個人的にはこれが一番面白かった。というのもぼくは視線の映画が好きなのだが、これはそれに該当するからだ。
とても好きなシーンがある。主人公・キャスリンが夫とともに山間のコテージに向かう折、山の頂から眼下にあるコテージを見下ろすと、なぜかそこにキャスリンが現れる。すると彼女もカメラの方を振り返り、カットが割られて今度はコテージ側のキャスリン視点になって、山頂の彼女が捉えられる。
つまり、キャスリンの視点ショット(≒主観視点)であるはずなのに、その先に映っているのもキャスリン、という現象が立て続けに起こるのである。おそらくここで彼女が分裂してしまった、ということなのだろう。これをズーム・アップと適切な編集によってリズミカルに処理し、事態は複雑であるにもかかわらず、ちゃんと伝わるようになっている点に地力を感じる。
その後コテージでキャスリンが半狂乱となり、夫のカメラに向かって発砲するショットも凄まじい。ここでのカメラは視線の象徴であり、延いては観客自身と言えるだろう。
映画自身が意志を持って観客に牙を剥く。見事このショットに「撃ち抜かれて」しまった。
『雨にぬれた舗道』(1969、107分、アメリカ・カナダ、カラー)
さて、これまでの2本を経てこの監督はズームに特徴があるなと気付く。というわけでその辺りに注目して見た。
この映画のズームは他と比べて説明的なものが多い。分かりやすさに貢献しているという意味であって、悪い意味では決してない。
たとえば主人公・フランセスと青年が彼女の邸宅で目隠し鬼をする際、フランセスに目隠しをしたまま青年は立ち去ってしまう。なんとなくそれを察した彼女がおもむろに目隠しを取ると、カメラはグーっとズーム・アウトし、ポツンと部屋に取り残された彼女を捉える。
青年が部屋に閉じ込められた際の窓の釘へのズーム・アップや、あまりに強烈なラスト・ショットである青年の涙へのズーム・アップ等、こういうベーシックな使い方ができるからこそ、後年の個性的なズームが生み出されたのに違いない。
終わりに
というわけで、結局「アルトマン見るときはズームに注目してみよう!」という個人的な備忘録になってしまった感が否めない。
とはいえズームって極めてカメラを意識させる技法なわけで、使いどころは難しいはず。なのにこうもうまく乗りこなしているのって、本当に神業といっても過言じゃない。大変見応えがありました。
正直言って特集が組まれなければ一生見なかったかもしれない映画群。楽しんでみることができました。しかしこういうリバイバル上映にかまけて新作をあまり追えてないので複雑な気分でもある…笑
見切り発車で書き始めて、案の定頭でっかちな文章になってしまった。でも本当に面白い映画たちだったので、少しでも興味を持ってもらえたら嬉しいです。まぁもう特集終わるんだけどね…笑 ソフト化やら配信やらあるといいな。
ではまた。
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