私見 特撮ドラマ編 -自己紹介も兼ねて-

前置き

さて、今回は特撮ドラマに関して自分が思っていることをサラッと書いてみる。

というのも、現在「渡辺勝也研究」というnoteを書いているのだが、その前に自分のスタンスを表明しておいた方が伝わりやすいのではないかと思ったから。

その中で、少し自己紹介的な話題にもなっていきます。

前置きを長々と書くのも苦手なので、とっとと本題に入る。

呼称について

まず、呼称について一応の定義をする。
(読み飛ばしても差し支えないです。)

現在、仮面ライダーやスーパー戦隊、ウルトラマンや牙狼等の総称としては、「特撮」と括るのがメジャーだと思う。

しかし、稀に目にする「ゴジラと仮面ライダーでは別物だろ」という主張は、まさにそうだと思う。特撮は、まぁゴジラを始めとした、映画の方のイメージを強く想起させる言葉だ。

かといって、今更「特撮」というワードと切り離せるかと言えば、難しいだろう。

で、個人的に、これまでは「特撮ヒーローもの」と呼んでいたのだけれど、これも「じゃあブースカとかポワトリンはどうなる」という話になる。

なので、もっと良い呼称があるべきだと思うのだけれど、一旦「特撮ドラマ」と呼ぶようにしたい

まぁ、すでにそういうふうに呼んでいる人も多いだろうが、今後の私の文章においては、「特撮」と「特撮ドラマ」は別のものを指している、と考えていただきたい。

特撮ドラマをアニメから切り離すということ

本題に入る。
以前、あるラジオパーソナリティが、『ウルトラセブン』の話をしているのにそれを「アニメ」と括って話していたことがあり、複雑な気持ちになったことがある。

あるいは、こんな事例もある。

これは東京国際映画祭2022のラインナップ紹介動画だが、その中にこんな場面がある。

これまた『ウルトラセブン』についてなのだが、「ジャパニーズ・アニメーション部門」内の特集としてラインナップされている。
つまり、特撮ドラマはアニメとして世界に紹介されている。一緒くたにされている。


まぁ、しょうがないと思う。
一般的に、特撮はアニメの傍流と見做されている節がある。おまけと言っても良い。
なぜかと言えば、アニメの方がメジャーだからであろう。

これを、解消したい。アニメから切り離して、独立したものとして評価される土壌が醸成されてほしい。
これは、長く特撮ドラマを見ている私の、きわめて個人的な感情でしかないが…。やっぱり悔しさがある。もっともっと、特撮ドラマそれそのものとしての扱いを受けてもいいのではないか。

では、どういうアプローチがあるか。

ひとつは、特撮ドラマの学術的な研究というか、批評文化がもっと盛り上がっていけば良いのではないか。

アニメは、それに成功している。
大学にはアニメや漫画の講義が存在しているわけで、だから扱いが違う。そういう側面があるのではないか。(もちろん商圏の広さも段違いだが)

と、いうわけで、そういう嗜好を広げていけたらな、と考えている。
その端緒として、次項のようなアプローチはどうか。

特撮ドラマを演出で見る

インターネットを見ていると、特撮ドラマの楽しみ方も本当に人それぞれだな、と思う。
役者を見ている人もいれば、玩具好きもいるし、脚本にやいやい言うのが楽しい、という人もいるだろう。

ただ、そのメインの楽しみ方ひとつがダメなら視聴をやめてしまう、切ってしまうという人を少なからず見かけて、それも少し寂しい気がする。
上記のような要素を横断的に見ることができたら、面白がれる幅が広がる。

そこで、演出で見るという視点を加えてみるのはどうか。
すごく単純化すると、「誰が監督したか」で特撮ドラマを見るということ。

私はたまたま大学で映画学なるものを専攻していたので、監督で見るということに馴染みがあったのだが(作家主義に走るのにも問題はあるかもしれないが、今回は脇に置いといてください)、こういう楽しみ方をしている人はまだまだ少ないと思う。

演出に着目していくと、監督それぞれの個性が見えてきてすごく楽しい。
これは一例に過ぎないが、東映なら、田崎監督のスピード感とか、柴﨑監督のCGの使い方とか、本当に各々の個性が見えてくる。

そして、長く見ていると、この監督の演出は面白いとか、逆にこの人は物足りないとか、「最近この人ブランコ撮ってること多いな、なにか意味あるのかな」とか、そういうこともいろいろ見えてくる。

そして、もうひとつ重要なのは、ローテがあるということ

先述のように、見ていくうちに物足りない=合わない監督も出てくるはずだが、それも大体は2話ずつで交代していく。

脚本なら、最近はひとりで全話執筆する例も少なくなく、苦手だなと思ったら降りるしかないかもしれない。

他方、ある監督がひとりで全話演出することはまずない。これもメリットと言えると思う。


ということで最初に戻るが、役者にハマらなくとも、玩具のギミックは微妙でも、シナリオが退屈でも、演出は面白がれるかもしれない
だから是非、特撮ドラマを演出視点からも見てほしいのだ。

現在、東映も円谷も演出陣は粒ぞろいだと思う。それぞれがそれぞれの個性を以ってぶつかり合っている。
当然、過去の作品を見ていく楽しみにもなる。
視野を広げておいて損はない!と断言したい。

余談にはなるが、このあたりの考え方の入門編として、千葉雅也著『センスの哲学』を推したい。最近たまたま読んだのだが、ここに書いてある「リズム」の捉え方は大変参考になると思います。

最後に

まあ、特撮ドラマが好きだからこそモヤモヤを抱えているわけです。
どうでもいい、独りよがりのコンプレックスかもしれない。
でも、どこかの誰かに引っかかるといいな、と思いながら続けていきます。

よろしくお願いします!

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