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絶対に私がなんとかする、という気持ちがないと何にも生まれない。(精神論万歳)

ご無沙汰してます、はーこです。(気づいたら最終更新は去年の5月でした。。)

アートアクアリウムに先日行きました。このご時世からかガランガランだったのですが、金魚・日本的美術が好きなので、うまく言えないですがなんかとても神聖な空間に癒されつつ、ちょっと感動したりしました。いわゆる「いんすたばえ」ってやつですかね。
※言葉うまく扱えてないんでひらがなですみません。

さて、久々にブログ書こうと思い、重い腰を上げました。いや、本当は色々形に残しておきたいこと、この1年でたーーーーくさんあったんですが、うまく言語化できなかったというか。でもひょんとした瞬間にスパンと言語化できたので、その記念に言葉を残しておきたいなと思い、ポチポチとタイピングをしてみたりしています。

最近はというと、実にタイトルの通りのことをものすごく感じています。“私が”という一人称がミソです。一人空回りして「なんで私だけが……」ではなくて、「まずは私が誰よりも強く気持ちを持つ!」の精神です。なんかそんなことを感じている日々です。

・やる気はあるのに、評価されない認められない
・空回りしている気がする
・やってみたいけど、自信がないから手を上げられない・提案できない

そんな人がもしこのブログで、ポジティブなきもちになれることが一ミリでもあれば、うれしいなと思いますので書き綴ろうと思います。​

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FBフィードにひょんと流れてきたのですが、
個人的にこれがものすごく刺さっています。
長田さん、お借りします。気付きをいただきありがとうございました。

目的意識と当事者意識の相関図です。
プロフェッショナルである人ほど、なんとなくイメージですが評論家になりがち、それって本当に正しいんだっけ?とかを自問していたりします。

これが、クライアントワークであれば分かりやすいのですが、

・それってそもそも正しくないですよ
・こうあるべきです
・そのリクエストはできません、現実的ではないです

こうしたキーワード、コミュニケーションってあるあるですし、そもそもその前提知識がないままなんでもYESは論外だとしても、基本的にネガティブなワード連ねても、結局何にも進まない。

社内に対してもそうで、
・リソースないからできません
・やったことがないのでわかりません
・それ私の範疇じゃない・把握してないです
とか、結構気軽に飛び交いがちな気がします。
それに対して「?」と思っていたところに、この図を見つけてとても思考がクリアになりました。

今自分の発言や言動って、評論家になってないか?
意見があるなら、反対するなら代案を出せ
まずは相手の意見・やり方を認めながら、守るべきルールの中でパフォーマンスを最大化するためにどうすればいいのか?

の思考にもっていった方が、圧倒的に建設的です。

この他、最近刺さっているキーワードとして、こんなのも見つけました。

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中学生の時よく読んでいた「アイシールド21」の名言ですが、時を超えて私の時系列における20年近く後に心の真ん中にどしんと響きました。

あぁ、これだなと。不平不満いっても、できない理由を並べも、意味がない。「誰が」責任もって旗を振るのか。旗を掲げる意欲はあるか?ないなら文句言うな傍聴人だよね、というビジネスの根幹すら感じます。

そうした想いの中で、タイトルの通り、結局は「絶対に私が何とかする」というある意味精神論、気合がまずは大事なんだという境地に最近たどり着いたのです。

当事者意識を言語化する書籍・コラムはたくさんあると思いますが、私の中の定義は下記です。

言い訳なしに、代案もって、その領域のKPIは社内評価軸であろうがなかろうが、「私」が責任もってやる。達成したら誰よりも「私」がうれしいぐらいの気合を持つ。「私」が意思決定をしてうまくいかなかったときでもケツをもつ「覚悟」を持つ。

実際には組織の一員として、うまくいかなかったときは上司や社長が責任を持ちます。ですが、そこに甘んじず、「私に任せてください。責任と権限をください」と言い切る覚悟が大事な気がしています。

とげのある言い方をすべきではないですし、そもそもビジネス信用貯金がない人がいっても戯言でしかないので、これを言うタイミングと自分のポジション・市場価値を正しく把握しておくことは大前提ではあります。何にも実績がないのにこんなこといっても「は?」となるだけですので。

ですが、そうした前提はあるにしても、私がもし会社のトップ・社長だったとしたら、そんなことを言ってくる部下・後輩がいたら任せてみたいなと思います。社長はスーパーマンに見えがちですが、ヒト科の動物であることを忘れてはいけません。語弊あるかもしれませんが、代表取締役社長を張っている人は、ビジネス人生の中のどこかで、このスタンスをもってチャレンジし、成功したからこそ今のポジションがあるはずなんです。

何が言いたいかというと、結局「私」という一人称、換言するとアイメッセージが結局は人の心を動かします。自分の心も鼓舞します。その覚悟がありますか?ないなら何にも文句を言うな、ということです。

不平不満を言って現状に甘んじるのか。

もっと良くしたい、私ならできると思ってチャレンジするのか。

極端な選択肢に見えますが、常にこの選択はビジネスマンに問われていると思いますし、とりわけ最近私はこの命題によく出会っている気がします。そのたびに、過去育てていただいた上司・先輩・同僚・パートナーから、「しのごの言わずにまずはやってみろよ、楽しいから」と勝手に声が聞こえてくるんです。

長くなりました、抽象的になりました。結局私も迷いがあって、私なんかでいいんだろうか。役に立てるんだろうか。という葛藤が常にありますが、誰かに背中を押してほしかったのかもしれません。ですがそれ時点が他力本願でしかないので、言語化することで、自分自身に「まずやってから言えよ」を鼓舞するために思考を整理してみたのかもしれません。

30歳を過ぎて、転職もして、環境も移り変わっていく中で、「慣れ」に溺れることなく、さらに自分を磨くこと。日々なんとなく過ごすのではなくて、チャレンジすることを忘れずに、道が二つあれば困難な方を選ぶような「ベンチャースピリッツ」に自分の存在意義を置きたい。そして、その大切さをしっかり伝えて共感いただける仲間と共に、社会的意義のある仕事と本当にいいサービスの拡販に努めていければ、この上なく幸せだと思います。

やるべきことを指定されて遂行するよりも、私が責任もってやりますと手を挙げて、困難な方をポジティブに選び、愚直に「やりきる」ことができれば、仕事はもっと面白く、生きがいを得られるのではないだろうか。そしてそれは一人じゃ無理なので、同じ理念を持つ仲間と一緒に推進できれば、達成感は分かち合えるのではないか。そんな理論武装をして、私は大きなプロジェクトに参画しようと思っています。頃合いを見て、皆様にまた「成功報告」ができるようにできればと、気を引き締めると同時に結びとします。

コロナで色んな環境が変わりゆく中で、どうぞ皆様が健やかな日々を送れていますように。ご縁の形は変わりゆくかもしれませんが、私はこれまで出会えた方すべてに感謝していますので、頃合いを見て機会があれば是非「仕事」の話を肴にして飲みに行きたいです。お誘いお待ちしています。(そして私も誘わせていただきます。)

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