使う言葉を増やせば、思考力も感情も豊かになると思う
考える、というのは言語に頼る行為なので、言葉のバラエティがあればあるほど、考えは深まり、思考は自由になるのだと思う。
だから方言がある人や外国語を自由に操る人が羨ましい。
言語を切り替えると、頭のスイッチが切り替わる。
関西出身の友人は「東京弁だと面白いことが言われへん。東京弁をつこてる時は『真面目な人のコスプレ』をしてる感じやねん。ほんで、関西弁は自分のままという感じ」と言っていて。
これぞ言葉によるモードの切り替え。親戚一同関西人な私。その気持ちはすごくわかるよ…。
ちなみにうちは両親とも、厳密には東京弁(いわゆる共通語)を使えません。
本人たちが東京弁を使っているつもりでも全然全く、関西要素を包み込んで無くて、「え?カンペキ東京弁喋ってるやん」と言われる時のその「やん」はなんなん?
私は、残念ながら関西弁ネイティブとは言い難いけれど関西弁は他の言語を飲み込む、非常に感染力の高い言葉なので(インフルエンザです)必然、家庭内の会話が関西弁なことと、英語を勉強出来たおかげで、思考のバラエティが広がったように思います。
英語といえば。
昔、よく一緒に時間を過ごした人が「スポンタニアス(spontaneous)」という言葉をよく使っていました。
約束をしないで、それぞれの予定がちょうどうまくいったら、会おうね、みたいな時に「スポンタニアスに会おう」って感じで使ったりして「その時々の流れに応じて」「お互いに気が向けば」「カジュアルに」「適当になんとかなるっしょ」的ニュアンスという理解だったのだけど、
この間友達に「スポンタニアスに会おう」って伝えようとしたら「ファ?これは日本語ではなんというのだ??」と思って2秒くらい停止してしまった。
「予定が合えば会おう」というより、もう少し柔らかいし、意志がある。でも「予定が合って、お互いに会う気持ちがあれば会おう」ではなんとなく説明くさいし深刻だ。
偶然が一致したら会おう?会うべきタイミングで出会えるでしょう?そんな意味合いを全て含んだ「スポンタニアス」の適切な日本語訳とは…!?
辞書的には
『(外的な強制でなく)自発的な、任意の、自由意志で、自然に起こる、思わず知らずに生じる、自動的な自然な、流麗な、のびのびした』
という意味らしいけど「のびのび会おう」とか、もはやちょっとニュアンス違うでしょ問題。
今のところ、私の中で「スポンタニアスに会おう」のベスト言い換え表現は「場面で会おう」なのですが「場面で」はどうやら若者言葉らしく、本当に言葉って難しい。
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