是非オススメ映画「異人たち」~心の棘を収める自問自答の彷徨のレトリック~
なにより最初に記したい事は、原作小説と映画化は全く別物であり、それぞれ独立した作品であると言う事。原作と比較しての論評は何の意味もありません。本作はあくまでも監督・脚本アンドリュー・ヘイの作品です。私自身は原作を読んではおりません、あくまでも映画作品としてのレビューとなります。
本作の原題「All of Us Strangers」の Strangers は通常「見知らぬ人」と訳されるもので、転じて「よそ者」のニュアンスにもなる、にもかかわらず邦題が「異人たち」となってました。配給会社が敢えて異人と称した意図が判らないままの鑑賞でしたが鑑賞して初めて合点がゆきました。見事な意訳と言うべきでしょう。
漆黒が支配する闇夜が徐々に白み、光が射し始める画面の左側にぼんやりと40代と思しき主人公アダムが、ガラスに反射して見えるファースト・シーン。写し絵のような反射する虚像のシーンは、本作では幾度となく画面に登場する。自らのアイデンティティに彷徨うように自問自答の旅が始まる。どうやら男はライターを生業としており、些かスランプに陥っている事を匂わす。ほぼ曇天のロンドンの市中にそびえる高層マンションがベースですが、その殆どが空家状態の静寂が支配する。流れる現代音楽の無機質な響きがそれを強調し、まるでソラリスの宇宙船のような虚無が支配する。こうして「異人」の登場に相応しいお膳立てに観客を導く導入部は完璧です。
袋小路のアダム(アンドリュー・スコット)にコンタクトするのは彼の両親(父:ジェイミー・ベル、母:クレアフォイ)と同じマンションに住むハリー(ポール・メスカル)と言う男だけ。地下鉄と電車を乗り継ぎ郊外の実家へ行けば、両親が温かく迎えてくれる、ただしアダムの年齢よりむしろ若い容姿のままで。12歳で両親を交通事故で亡くしたアダムに、夢か現か定かでない異人との交流が始まる。
40代の息子に30代の両親が気を遣う濃密な空間が拡がり、時空を超えて心の棘をひとつひとつ取り除く工程が展開される。極めて映画的で心に沁みるシーンが続く。少年のようにはにかむアダムに、あっけんからんと母親は心に正直に振る舞う設定がいいのです。ゲイであったことをカムアウトしないまま両親を亡くしたことを悔いているのではなく、むしろ天国から息子に伝えきれなかった両親の心残りを異人として伝えに来たと思われる。「恐ろしい病気は大丈夫なの?」と案ずる両親に逆に「もう今では危険ではないよ」と説得するのがアダムなのですから。
ハリーに対してはむしろ逆で、最初の出会いで遠慮したのはアダムの方、しかし両親に再会した後で閉じた心も少し開いた結果、積極的にハリーを受け入れる。体を重ね、ゲイクラブにも出入りするアクティブな自分に驚く程。性の悦びがこんなにも希望に繋がるのを心に刻み、久しぶりのパートナーの出現と言う充実が身に沁みる。しかしこの関係を続けたいと思った矢先に悲痛な現実を知ってしまう。相変わらず孤独なままのアダムですが、夜空に輝く異人たちの煌めきに守られている事だけは確かなようです。
監督アンドリュー・ヘイは自身がゲイであることを公言しており、本作も自身の納得行くシチュエーションに翻案した事で、見事に内省を映像で表現することが出来たと思います。本作では主演にその微妙な感覚を埋めてほしくてゲイをカムアウトしているアンドリュー・スコットを選任したとか。もちろんゲイの役を実際にゲイ役者に限定する必要はさらさらないのは確かな事。演技とは役者の生身とはかけ離れていても、それを真実らしく振る舞える事こそが醍醐味ですから。事実、相手役のポール・メスカルは前作「aftersun アフターサン」2022年 でもゲイの役でオスカーにノミネートもされましたが、ゲイではないようです。
さらに、同性愛と言っても愛する心は異性愛者と全く変わりません。愛し合うシーンが男×男でも女×女でも、男×女と全く同様にその描写が必要なら当然に作者は描きます。本作でも結びつきの一体感の熟成が必要だから描いたまでで。もし生理的に苦手でしたら軽く目を細めていただくだけで結構です。逆にごく一部の同性愛の方でも男×女の絡みでそうされるとも聞いたことがあります。そうしてスルーさえして頂ければ十分ではないでしょうか?にもかかわらず「気持ちの悪いものを見せられた」などと叩くことは、それにより傷つく方がいる事をお忘れなく。なによりLGBTQの方々は、好んでそうなったわけではなく先天的にそう生まれてしまっただけ、と言う事実を切にご理解して頂きたいものです。少数派を認めてこその多様性のはずですから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?