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オススメ配信映画「リプリー」~階級への鬱憤を精緻に描く高度なサスペンスの傑作~

 パトリシア・ハイスミスの小説「The Talented Mr. Ripley」1955年 に基づく映画化作品として、ルネ・クレマン監督「太陽がいっぱい」1960年があり主演はアラン・ドロン、モーリス・ロネ、マリー・ラフォレで、ニーノ・ロータの哀愁を帯びた主題曲とともに大ヒット、ドロンの大出世作でもあった。続いてアンソニー・ミンゲラ監督による「リプリー」1999年 が登場し主演はマット・デイモン、ジュード・ロウ、グウィネス・パルトローで、さらにケイト・ブランシェットそしてフィリップ・シーモア・ホフマンが脇で出演と言う豪華版、女優2人のプラチナブロンドの輝きぶりが上流階級を強烈に認識させました。どちらも素晴らしい出来だと記憶していますが、またまたここに新作が登場。

「カンヌで映画祭が開催されるから歩いてみたら。あなたほどの美貌なら、監督の誰かから声が掛かるかもしれない」と言われ、実行したら早速スカウトされてしまったとかの、ドロン様

 大きく異なるのはスクリーン映画ではなく配信によるドラマ版であり、全8回の大長編、そして全編モノクロの世界だと言う事。役者のバリュー的には前2作と比べれば見劣りするのは確かですが、1960年代のイタリア各地を描写するのに金を惜しまず、圧巻のロケーションが展開する。なにより微に入り細に入る丁寧な描写を、一定の緊張感をもって長丁場を描き切る。はっきり言って前2作とはまるで異なる世界観を提示された気分です。原作の何たるかも未読ゆえまるで知りませんが、リプリーの彷徨するコンプレックスを共有し漂う無力感がひしひしと伝わる大秀作です。

ジュード・ロウのエレガントな美貌、グウィネスは生まれからしてハイソの方、マットもトムの時とは異なりディッキーになりきりの際にはグンと上品に、最適なキャスティングです。

 言うまでもなく、持てる者持たざる者の階級コンプレックスを際立たせるに、対峙しようもない程のイタリアの文明資産の蓄積がそびえ立つ。無論、この圧巻の美をカラーで観られれば・・と鑑賞中に脳内に過る一方で、モノクロによる光と影のコントラストにいつの間にか酔わせられる不思議。同じNetFlixの名作「ローマ」の雰囲気に近く、悠揚迫らぬ泰然とした画面が素晴らしい。名脚本家だったスティーヴン・ザイリアンが監督に乗り出した(わずか2作目)にしては、上手過ぎるのです。ローマのアパートメントでの「猫」の扱いの見事な事。纏わりつくような粘着性の波の描写などは撮影監督ロバート・エルスウィット(過去にアカデミー撮影監督賞を受賞してます)の功績か。フレディ殺害のアッピア街道辺りの樹々が闇夜に浮かび上がる画なんて背筋が蠢く超一級の画造りです。「ローマ」同様に大スクリーンで観るべき映像美なのです。

カラヴァッジオ「David with the Head of Goliath」

 マット・デイモン版ではジャズがモチーフとしてフューチャーされてましたが、本作では16世紀の画家カラヴァッジオが重要なモチーフとして大きく取り上げられてます。本編中でもセリフにあるとおり、その素行から悪名高く犯罪者として逃げ惑っていたと、トムの行動と重ね合わされてます。のみならず肝要なのはカラヴァッジオの描く絵画に触発された一部のホモセクシュアルの解釈が反映されている事でしょう。明らかに本作でのトムはゲイを示唆されており、アイコンとしてのカラヴァッジオとして心象風景に含みを持たされております。イギリスのデレク・ジャーマン監督による映画「カラヴァッジオ」1986年 に推察されたものと言ってもよいでしょう。なにより「異人たち」を最近観たばかりで、本作の主演にアンドリュー・スコットがキャスティングされた事と繋がるわけで。ディッキーの部屋で彼の不在をいいことに彼の上質な服のみならず下着まで無断着用し彼に成りきるシーンに総ては明らかです。

トム・リプリー役のアンドリュー・スコット

 ディッキー殺害後は、一気にサスペンス調が前面に立ち、ヒチコック的技法を駆使し、殆どセリフを削ぎ落し緊迫のモンタージュが際立ちます。baccaratのロゴ刻印が一瞬見えた重量感あるガラスの灰皿が「お目が高い」と骨董品屋の店主に褒められもする。カメラが灰皿に寄り添えば緊張感が支配する、おまけにパートカラーの技法まで駆使して、鮮やかな映画的興奮を駆り立てる。エレベータの故障、バスタブの血痕、運河の苔、サインの際のペンの擦れ音、数々の彫刻の不穏なインサート、一か所だけ血が深紅に映し出される、そしてカラヴァッジオの絵画、等々サスペンスの熟成が圧巻です。

放蕩息子ディッキー役のジョニー・フリンと恋人マージ役のダコタ・ファニング

 しかしトムの犯行は行き当たりばったりなのは確かで、後から処置を考えればと。ほとんど表情を歪めることなく、嘘に嘘を重ね、偶然の幸運を引き寄せる。自ら抗しようもない階級への怨念が浮かび上がる。いわばこれは彼に課せられた階級への復讐でもあり、まるで罪悪感は感じさせず、むしろ観客に賛同すら与えてしまっている。終始苦虫を押し殺したようなアンドリュー・スコットの造形が深い悲しみを漂わせる。

「イコライザー3」での2人のスナップ、背景は本作とほぼ同じアマルフィ

 それにしても1961年のイタリアの各地、アトラー二からスタートし、ナポリ、サンレモ、ローマ、パレルモ、ヴェネチアの風情を見事り取り入れ、車からファッションに至るまで忠実に再現。観光名所がテンコ盛り、なのにウキウキ出来ない憂鬱な画として描かれる。アトラーニはかのアマルフィ海岸の近くとか、マージ役ダコタ・ファニングがすっかり大人の女として登場しますが、「イコライザー THE FINAL」2023年 でデンゼル・ワシントンを助けた舞台もまたこの景勝地、殆どそっくりなロケーションで、ちょっと混乱してしまいました。事件を報道する新聞の再現も半端なく、絶頂期のソフィア・ローレンが表紙のマガジンまで、相当に手が込んでおります。

 トムの借りるローマやベネチアでのアパートメントの凄まじさ、まるで美術館の壮麗さです。あちらのアッパー・レベルがいかに私達の抱くレベルとは次元がそもそも異なるかを思い知ります。服装のみならず万年筆やら指輪でその御仁のレベルが簡単に推察され、それに見合った扱いを当然のように享受する文化、真のハイブランドを支える人々が確かにいるのですね。

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