くるり・岸田繁の選民思考。くるりファンチです
8つ目の記事はくるりです。
初期の頃の話をするので、BGMはさよならストレンジャーを選びました。
先に言います。
私はくるりファンチです。
くるり信者の方からしたら、不快になるかもしれない内容を綴ります。これからするお話は、独断と偏見による、感想・憶測の域を出ません。根拠はありません。
ご容赦いただける方のみ先にお進みください🙇
今日から、くるりの「感覚は道標」発売記念ツアー「ハードにキマる!つやなし無造作ハッピージェル」が名古屋を皮切りにスタートする。
初期ファンからしたら久しぶりの、ワールドイズマイン以後のファンからしたら初めての、ドラムス森信行である。
初期メンバーのもっくんの久しぶりの登場を歓迎する声は大きい。もちろん私も楽しみにしていて、感覚は道標を聞きたいが為にApple musicに初課金して、東京公演のチケットも取っている。
これから書く話は、Twitterで2回くらい書いていて、多分岸田繁にも認知されているのではないかと思う(どうもエゴサしまくってるみたいだから)。
でも、140字を幾つも繋げてだし、私自身のガス抜きとして書いていたので、纏めて記事の形にするのは初めてである。
もし認知されてたとしたら、あの女また言ってるよ。飽きねーな。だと思う。
岸田さん、有名税だと思ってくれよ。
音楽を嫌いなわけじゃないんだよ。
私は1982年の生まれで、97年組と言われる3バンド(スーパーカー、ナンバーガール、そしてくるり)全てのリアルタイムリスナーで、97年は丁度高校入学の歳であり、どのバンドも東京でライブをするようになってから行きまくっていた。
中学でたまたまデビュー直後のスーパーカーを観たことがきっかけで、邦ロック、いわゆるオルタナと呼ばれる音楽に傾倒するようになった。
くるりもさよならストレンジャーから始まり、ファンデリアも聞いた。
くるりを最初に見た時のことを思い出せない。当時私はライブに行きまくっていて、なにかエピソードがないと、いついつ、どこで、観た!と言い切れなくなっている。大切に保管していたチケットの半券の束も、捨てられてしまうという憂き目にあった(あたしだって人生色々あったんだよ)。だから、20年以上も前の事であるし、ご容赦いただきたい。
ばらの花の女性コーラスに、スーパーカーのみきちゃんが参加した直後のライブ(多分赤坂ブリッツ)で、みきちゃんがゲスト出演し、袖でナカコーが腕を組んで見ていたのは、ハッキリ記憶に残っている。ばらの花の発売が2000年なので、その頃ライブには確実に行っている。
当時の私は、ライブ至上主義。特に、スパカ、ナンバガ(後のZAZEN)、くるりについては関東でやる公演ほとんどに行っていた。もちろん同じ会場でツーデイズなら2日とも、スリーデイズ(実際あった)なら3日とも行く。そういう見方をしていた。
そうやって、一つのツアーを何公演も観ると、千人以上の会場であっても、やはり人間のする事、その日の調子とか機嫌とか、不思議と感じるようになるものである。というか、そのくるりの公演を観て、こんなに感じるものかと思ったのをよく覚えている。
2002年のうんぽこどっこいしょというツアーだったようだ。場所はZepp東京。その日私は元夫とライブ会場に行っていた。チケットの番号があまり良くなく、前方に行くのを諦め、かなり後方で見ていた。その日、岸田はキレていた。スタートからめちゃくちゃ不機嫌で、観ている私も「え?なんか岸田キレてない?」と違和感を持った。ライブ自体もめちゃくちゃ短くて、アンコールもしなかった。とにかく不機嫌なのが伝わってきて、ライブを観ている私もすごく不快になってしまった。
「金払ってライブ観に行って、なんでこんなに不快にならなきゃいけないんだ…」
その日のライブの感想はその一言。
本気でそう思うほどだった。
とにかく、もっくんにあたりがめちゃくちゃキツかった。
ライブ終わりに元夫となんか変だったね、喧嘩でもしたんかね?短すぎるよね、くるりのライブは岸田の機嫌次第かよ等々、会話したのを覚えていて、元夫も違和感を口にしていた。
実際、セットリストを残してくれてるサイトに、その日のセトリも残っていて、三曲メドレーがあるものの15曲しかやっておらず、もちろんアンコールの記述はない。他のツアーでは20曲以上はやっていて、アンコールも二曲程度はしているので、比較して「なんかめちゃくちゃ短かった」という当時の私の印象は外れていないだろう。
とにかく、様子がおかしかった。
そしてツアーが終わり、もっくんの脱退が発表された。
「やっぱり」その一言であった。
そのライブを最後に、くるりを追いかけるということをやめてしまった。
その時感じた不快感を忘れる事ができなかったし、その感触はなにか気持ち悪いものを握り潰したみたいに、身体にべっとりこびりついてしまったのだ。
あんなに熱心に聴いていたのに、音源さえ買うのをやめてしまった。
そのくらいショックだった。
だから、アンテナ以後は歯抜け状態で、ポツポツ聴いているという感じ。最近やっと、アンテナもNIKKIも中古を購入して、車で聴いている。
さよならストレンジャー、図鑑、TEAM ROCK、THE WORLD IS MINEはもう擦り切れる程聞いた。ハワイ・サーティーンだって、葡萄園だって、口で歌える(どちらもインストで環境音の様な曲)。歌詞なんか当然そらで全部歌える。ダサダサスキャットでギターのリフも全部歌える。その位聴いてきたのだ。
だから、岸田の気性の荒さを目の当たりにして、本当にショックだった。
ジャケットの雰囲気とか、イメージ的には、牧歌的というか…多分わかって貰えると思うんだけど、そういう平和主義的な人なのかと思ってたんだよね。それも勝手な想像の押し付けだけど。
でも全然違ってた。
私は父親が関西人で幼少期からDV受けてて、暴力とか気性の荒さとかに辟易してて、そういう匂いを感じでしまうとシャットダウンするというのを無意識にしてたと思う。
だから、たった一回のライブでも、そういう匂いを感じてしまうと、離れてしまうというのは自然な事かもしれない。
最近、3年くらい前から、ある音楽アプリで遊んだことがあって、楽器をやっている友達ができた。くるりのリスナーもいて、離れてから久しぶりにくるりのリスナーとくるりの事を話した。その中の1人で、私より一回り以上若い男の子だったけど、彼の岸田評が「選民思考が強い」だった。それを聴いて、あ、あのライブを観てなくても、そう感じるんだ、と、なんか安心してしまった。
くるりというと、最近のリスナーはすぐ上海蟹という。彼も私も上海蟹はない、恥ずかしいと否定派で同意できたことも、価値観の共有に一躍をかった。
彼も決して、くるりや岸田繁を嫌いというわけではない。人生の三曲の中に「東京」を挙げていたし、音楽を創作をする人だったけれど「東京」を目指している、と言っていた。
それでも「あの選民思考の強い岸田繁」なのだ。
彼が教えてくれた、エピソードで、2009年の12月24日、フジファブリックの志村正彦が急逝してしまうのだが、翌25日にくるりはクリスマスライブを予定していたそうだ。そこで岸田が志村正彦に贈ると、ロックンロールを弾き語りしたそうで、Youtubeの動画があったそうだ。彼曰く「あの選民思考の強い岸田が、同世代の志村正彦に贈ると弾き語りしてたのが印象的だった」と言っていた。
私はフジファブリックをリアタイで聞いておらず(5人という編成は多いし、鍵盤が入るだけで聞く対象にならなかった)、その音楽アプリで知り合った別の人に勧められて初めて聴きハマったのだが、丁度ギターを再挑戦しようとしていて、岸田と志村正彦のエピソードがあるし、岸田が弾き語りしてるしと、最初の一曲としてロックンロールをそのエピソードと共に勧めてくれた。
私はそんな理由でくるりも熱心に聴いていなかったので、ロックンロールも未読だったが、メロディーもとても美しく、最高にいい曲だった。亡くなった志村正彦と、志村正彦を想い、現世にポツンと取り残された我々が歌う曲としては、こんなに秀逸なものはないと思う。実際何度か泣いた。
ショパンの命日に捧げされるのが、どれだけ経ってもモーツァルトのレクイレムなら、志村正彦の命日に捧げされるのは、くるりのロックンロールしかない。
検索すると「岸田繁から志村くんへ」というYoutubeの動画が本当に存在していた様なので、友人の話は嘘ではないようだ。志村正彦については、別記事を書こうと思うので、このあたりにしようと思うが、私だけでなく、岸田繁をしっかりと評価しているリスナーも、選民思考について指摘しているということである。
もっくんが脱退した当時、もちろんTwitterなんてものはなかったし、抜けていくバンドメンバーが個人の思いの声をあげる方法はなかったといっていい。だから、理由が表明されない限り、実際何があったのかはわけらない。
でも10月23日のもっくんのツイートで
「くるりをやめて一番最初に声かけてくれたのがエンケンさんでした 僕がこうしてまたくるりとやれたのは、この時のエンケンさんのお誘いがあったからこそ 魂の恩人です」と述べており、まあ正直メジャーデビューしてるバンドマンって、そのバンドに就職してるようなもので、脱退って、失業の他ならない事だと思うんだ。学生からのオリジナルメンバーだとしたら、学生ベンチャーの創業メンバーといえばわかりやすいかな。例えば、経理事務で大卒でどこかに就職してたとして、失業しても就職活動で知り合った企業だし、経理事務って専門性も、経歴も残るし、他で就職したらすむ。けど、学生ベンチャーの創業メンバーで、突然クビになったとなれば、その喪失感って計り知れないと思うんだ。もっくんは、ドラムを続けるわけで、さっきの例だと、経理事務職を続けたって事になるけど、正社員から短期バイトだよね。収入も不安定になるだろうし、精神的にもきついと思う。だから、この「くるりをやめて一番最初に声をかけてくれた」存在ってありがたかったと思うんだ。私は遠藤賢司さんのことも、くるりをやめた後のもっくんのことも、もっくんが居なくなったくるりのことも、全然知らないわけだけど。
何かを失う絶望を体験したことある人なら、一瞬ハッピーな状況になったとしても、それはずっと続くわけではない、必ず終わりがくる、と悟っているし身構える。
実際もっくんは昨日(12月15日)のツイートで「このツアー後、来年以降くるりライブで叩く予定はいまのところありません くるりのえいが 感覚は道標 を経て今年一年の集大成 感謝をこめて!! よろしくおねがいします!!」としており、このツアーにかける意気込みを感じる。わかっている通り、くるりの正規メンバーに復帰した訳ではないのだ。
でもこうして、もっくんが抜けた様子を見てきた者としては、この感覚は道標のプロモーションはえぐかった。もっくんを呼び出した経緯として「くるりのえいが」の撮影が決まっていて(新譜の創作と収録)、くるりの原点回帰としてもっくんの起用に至ったということだったが、感覚は道標のプロモーションは、一言でいうと「もっくんの無駄遣い」だと思った。まだTwitterにもYoutubeにも上がっているから「Qテレ くるり」と検索してみてほしい。Eテレのパロディをした企画なのだが、もっくんがブリーフ1枚の姿まで、無駄に晒している。パジャマでおじゃまのパロディで、ブリーフ一枚からパジャマを着て歯磨きをするのだが、この「ぱびゃまのおじさん」をやったのはもっくんだけ(ブリーフ姿を晒したのはもっくんだけ)で、私は正直引いてしまった。3人とも同じことをするならわからないわけではないのだが…(3人とも同じ尺でやったらかなりくどいが)このQテレの企画、もっくんの変な役どころでの出演頻度がやけに高く、なんで?という印象を持たざる終えなかった。笑えないし。もっくんが笑顔で居るからまだ救いがあるけど、通して見た印象はやはり、なんでもっくんだけ?である。もちろんくるりはお笑い芸人ではないし、笑いを求めるのはおかしいかもしれない、じゃああの一連の動画は何を目的としてるの?となってしまう。私の笑いのツボがみんなとズレてるだけかもしれない、でも、今後半永久的にメンバーとしてやっていこう、というわけでもなく、こういう形でもっくんを無駄使いするのは、違和感しか残らなかった。もっと言ってしまえば、相変わらず岸田は選民思考がつえーな、である。
くるりにいい思い出がないわけじゃない。確かに追いかける程ではなかったけど、その後も数回ライブには行っていて、アンコールをリクエストした曲をやってもらえた事があった。
たっしんさんとクリストファーのいた時で、場所はクラブチッタ川崎だった。その日のライブは最高に良くて、とにかく演奏が走っていて、モッシュピットでぐちゃぐちゃになりながら、この流れならオールドタイマーしかないよなー、オールドタイマーやらねーかなー、ってずっと思い続けていた。オールドタイマーは1stのさよならストレンジャーの三曲目でスピード感のあるロックチューンなのだが、その日のライブにぴったりだと思ったのだ。やがてセットリストが終了して、岸田が言った「僕たちはロックンロールバンドなので、アンコールを決めてきてません」その瞬間、私は持てる力を振り絞って間髪入れずに「オールドタイマー」と叫んだ。軽い打合せののち、なんとオールドタイマーが始まったのだ。打合せの最中、東京とかばらの花くれーとか有名曲をみんな叫んでいたけど、タイミングを逃さなかったあたしの勝ちである。その日買ったTシャツはくるりの文字がキラキラのビジューで打たれていて、めちゃくちゃ可愛かったのだが、ライブ終わりに汗だくのシャツを着替えてロッカーの奥に忘れてきてしまった。翌日ライブハウスに問い合わせたものの、そんなん取っといてあるわけないよね。あのTシャツを失ったのは痛手だったけど、クリストファーとたっしんさんの最高に走ったライブと、応えてくれたオールドタイマーは最高の思い出になった。多分一生言い続ける。くるり好きっていう人と会ったら自慢する(すでにしてる、しまくってる)。もっくん期も初々しくてもちろんすごく良かったんだけど、たっしんさんとクリストファー期もめちゃくちゃよかった(その一本しか見てないけど)。くるりはあんまりYoutubeで見せてくれないんだけど(すぐ純情息子専用チャンネルに誘導する、資源を守るためには賢い方法だとは思うのだけど…私はなんのファンクラブにも入らないので、コンテンツが見れなくてかなり残念)、たっしんさんクリストファーの武道館の映像は残ってると思う。変なカウントで始まるロックンロールがめちゃくちゃかっこいいのだ。さっきの私にロックンロールを薦めてくれた友人は、あまりライブに行く習慣がないそうなんだけど、たっしんさんとクリストファーの時を見たことあるらしくて、絶賛していたし、他で話した別の人もこの動画はしっかり認知していて絶賛していた。
そろそろ名古屋で1本目のライブが始まるかな…
すでに、6400字である。私のnote記事は4000字を目安にしているので、かなりボリューミーになってしまった。
なぜ私がこんなにもしつこく、くるりdisを繰り返すのかを書いて筆を置こうと思う。
さっきちょっと書いたけど、私は幼少期から父親にボコボコに殴られていた。幼い頃は反抗する術も持たず、ボコボコに殴られては何処かに1人追いやられて寂しさの中寝落ちする、を繰り返していた。でも、高校生になり、バイトもしまくって経済的にもかなり自立して、生意気で…。高2の時に決定的に父親と対立して、もう家を出ようとしたんだけど、同じ敷地内の祖父母の家に拾われて、そこから学校に通う様になった。とにかく親の言うことは一切聞かなくて、埼玉の田舎だったんだけど、バイトバイト学校デートバイトライブバイト読書バイトバイト、みたいな生活を送っていた。正直きつかった。音楽は一番の現実逃避だった。そんな中で聞いた音楽は一つ一つに思い入れがあるのだが、くるりはその私の琴線に強く触れる音楽だった。高校を卒業して、とにかくバイトしかしなかった高校時代だったので、全然卒業後の進路とか、勉強とか考えてなくて、とにかく実家を一刻も早く出ることって目標しかなかった。高校の卒業式の翌日には、風呂トイレ共同の四畳半畳のボロアパートに引っ越した。そこには、半年位しか住まなかったんだけど、私の冬の時代だった。(のちに、もっと極寒の時代も来るんだけど(笑))人生経験も未熟だし、なんていうか、寂しくて寂しくて、高校はなんとか卒業したものの、どこにも属してなくて、1人で、勉強はできないし…とにかく不安だった。バイトもしてなくて、勉強もしてなかった。文字通り何にもなかった。宙ぶらりん。中学から付き合ってた元夫とも近くなったり思いっきり離れたり…不安定だった。アパートは千駄木の団子坂の近くで、団子坂の途中に古い図書館があって、森鴎外の何かだったのかな…で、そこに毎日ふらふらと行っては、書架の本を手に取って自習室で読んだ。図書館にしては珍しく、大きく窓が開いていたのを覚えてる。機能的とは言えないけど、気持ちのいい風が入って、太陽の光が入って、ゆっくり時間が流れてて、すごく居心地が良かった。自転車で、なんのメーカーかわからないけど、とにかく安い五食入りの袋ラーメンを買い漁って、1日一食食べた。あんまりにも栄養が偏ってるから、目がよく見えなくなって、やばいってなって野菜を食べたのを覚えてる。体重も落ちて、多分生涯で一番細かった。無気力ダイエットと名づけて、毎日ひたすらにぼーっとしてた。くるりの音楽は、その10代の冬の時代と共にあった。特にTEAM ROCKを聴くと、その四畳半の部屋の風景とか、窓から見える景色とか、匂いとか鮮明に思い出す。
召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか…書き替えするか…
コンポを前に1人、ぶつぶつと念仏のように聞いた。
あーセーブしますか?しました、心の中で、今何時だろ?何時代だろ?眠れないんだろ…。
ちょっと狂った感じのピコピコ機械音の曲が多いんだけど、もうわけわかんなくなってる毎日とリンクして合っていた。
そんな感じで、一言でまとめれば、くるりは私の思春期の暗さの記憶と直結している。
あの畳の部屋で見た景色と、窓から入る風と、鼻に残る独特の匂いと、四方八方から迫り来る不安と…もう何もが怖いくらい鮮明に蘇る。
くるりはそういう私の負の感情を揺さぶるから、余計に鼻につくのだ。私は権力者の側に立った事はなく、選民思考を持つ人の前に立てば常に排除されて来たから、選民思考は嫌いだ。勝手な言い分だとわかってる。
くるりは琴線に触れるいい音楽だ。
だからこそ、私はそれに甘えて存分に反抗的になるのだと思う。
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岸田繁に絡む記事が多くなっちゃったので、一覧にしました。合わせてどうぞ(꜆*ˊᵕˋ)꜆🍵
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