岸田繁は嫌いでも、くるりのことは嫌いになれません!許してください!
前回、なぜ「くるり」⇒「上海蟹!」という層にアレルギーを発症する人が続出るのか?を書いた。
その続きである。
前回も例にあげた97年組と呼ばれるバンドが3つある。これはナンバーガール、スーパーカー、くるりの日本のオルタナティブロックを浸透させたバンドとして、一定数の支持があり、その3バンド全てが丁度メジャーデビューが1997年で揃っていることで、いつの頃からか、97年組と呼ばれることになった。誰が言い始めたのかは知らない。
私は、97年は15歳の年。中3から高一だ。私はたまたま中3の時に、あるバンドの前座で、緊張しまくる、クリームソーダでデビューほやほやのスーパーカーを見ることができた。
その直後、伝説のスリーアウトチェンジが発売され、私の支持する音楽は日本のオルタナティブロックと言われるジャンルになるのだ!と決定づける事になった。
スーパーカーには、機関となるファンサイトが早々にあった。ファンサイトの主さんはクリームソーダに衝撃を受け、スリーアウトチェンジの中の名曲から、サイト名を付け、運営してくれていた。私はそこで知り合った人と、スパカのコピバンも組んだし、ライブに行けばBBSで交流してる人と会えたし、小さな渋谷のあるクラブを貸切、スパカオンリーで1晩回すということを複数回催されていたり、とにかく、スパカの当時のファンなら、そのファンサイトを知らない人は居ないと言っていいくらい、しっかり運営されていた。
私はそこで知り合った人達に、ナンバーガールも、くるりも教わって、どれも行けるだけLIVEに足を運んだ。
大型ライブハウスの創成期といっていいだろう。どのライブにいっても、モッシュが起こり、ダイブなんで普通。モッシュピットの中で肘鉄され続けレバー(肝臓)を地味に攻撃されたり、痴漢はあったことはないけど、まあそれなりに、LIVEハウスは戦場であった。
ミッシェルの、LIVE中自分の命は自分で守れ!がまさにスローガンだった。
私は中ほどでモッシュも緩い中踊ってコケて、あーあたしここで死ぬんだと思ったことが2回あるくらい、当時のライブは戦場だった。その2回とも、気がついてくれる人に恵まれ、思いっきり引っ張り上げて立たせてもらたったことで、命拾いをした。あのままだったら、踏みつけられて、本当に命を落としていたと思う。
スーパーカーのスリーアウトチェンジにはいっぱい逸話があって、とにかく挑戦的だった。CDってMAXで72分だっけ?スパカは、デビュー曲のクリームソーダだけだろ、と思われることを嫌い、それいっぱいに音源を収録した。
最後のトリップスカイという曲があるのだか、後奏のどこで切断されてもいいように曲が作られていて、CDによって終わりの数秒が違うのでは?と噂される(比較したことがないので実際わからない)程にスリーアウトチェンジというアルバムにめちゃくちゃに、音源を畳み掛けた。
そして、歌詞カードにコードが付いていた。
歌詞カードにコードが付されているアルバムなんて、後にも先にも、私が知ってる中ではスリーアウトチェンジだけである。
当時はアルバムが出るとリットーミュージックからスコアが出るというのが定番コースで、そこに各曲解説とか、インタビュー記事ものっていた。私はスリーアウトチェンジのスコアを持っていて、確かスリーアウトチェンジの歌詞カードにコードを付けたのは、コピーしたかったら、好きにしたらいい。位のことが言われていた。
何度も引越しを繰り返す度に、スリーアウトチェンジのCD自体も、スコアもどこかにいってしまった…。(あー今ならコードわかるから、スリーアウトチェンジの歌詞カード欲しいよー)
普通楽曲を作る人はコード進行をできるだけ公にしたくない。その人の癖というか、曲作りの傾向がバレてしまうのだから、できればそんなに分かりやすくしないで欲しいし、レストランのレシピみたいなもので、そんな簡単にわかって欲しくないのだ。
スーパーカーは、1枚目のスリーアウトチェンジでそれをやった。
オーケストラのチューニングから始まるPLANETのせいで、クラシックのコンサートに行って、自由な音出しのチューニングを見ると私の頭の中はPLANETが掛かっている。もう病(やまい)と言っていいかもしれない。
とにかくスリーアウトチェンジのどの曲を持ってきても、それぞれ語れる位ハマって聞いた。97年組の中でもスーパーカーは1番わかりやすい音楽だった。
技巧的にすごく難しいことをやってる訳でもないし、これ!というハマりポイントがある訳でもない。フジファブの志村なら、ディミニュシュ使いが絶妙だよ!となるんだけど、スーパーカーとナカコーにそういう共通する特徴的なスパイスがある訳でもない。
当時まだマイナーだった脱力系のボーカル。ナカコーのいい感じに力の抜けたボーカルと、いい感じに重なる、癖のない女の子の声としてのみきちゃんのボーカル。今は男女ツインボーカルはそんなに珍しい手法ではないけど、当時は本当に新しかった。
音楽はノイジーで轟音なのにその中でしっかり響く、いい感じに力の抜けた2人のボーカル。
そして、今ではちょっと自分に酔すぎで寒いんじゃない?と言われてしまうこともあるけど、ジュンジの書く物語のような歌詞。
他を殺すことは絶対ない、でも、しっかりビートを刻み続けるコーダイのドラム。
どこをとっても伝説だ。
とにかく、15歳の私にとって、スーパーカーのスリーアウトチェンジを発売日に買って、その時にそれを聞けた経験は、どんなにお金を払っても買えることはできない貴重な経験だ。
私はテキストを書きながら音楽を聴くことができないので、今AppleMusicでスリーアウトチェンジ掛けてたんだけど、止めました。どっちにしろ頭の中ではかかってるんだけど。
スーパーカーにすっかりハマった私は、そのファンサイトにも入り浸っていた。SNSなんてものはなく、BBS(掲示板)と、そこで知り合った人とチャットサイトに移動して交流を深めた。
ライブに行けば、必ず知っている人が居たし、その人たちの勧めで、くるりもナンバガも聞いたし、村上春樹にも出会った。
97年組で、現存するのはくるりだけなのだ。
スーパーカーはナカコーの意向とジュンジの意向が噛み合わず、不仲で解散したと聞いている。
ラストLIVE。最後の曲はスリーアウトチェンジのラストと同じトリップスカイだった。
まずナカコーがギターをハウリングさせてステージを去った。それに続きみきちゃんもベースをハウリングさせてあとに続いた。コーダイはビートを刻むのをやめて、椅子から立ち上がり去った。ジュンジが最後に顔をあげるも、メンバーはもう誰もそこにいなかった。鳴らし続けていたギターを弾くのをやめて、ジュンジもギターを置いて、ハウリングさせてステージを降りた。
私は今まで、こんな切ないLIVEを見たことがない。ハウリングなんてノイズだ。こんなにもハウリングの音が切なく聞こえるなんて経験は、後にも先にもない。観客の歓声にメンバーが答えることはなかった。アンコールなんてもちろんない。しばらくのハウリングだけの音のあとthankyouSUPERCARというレーザーが照らされると、客電が付けられ「LASTSCENE」の音源が流された。
これが本当に最期なんだ。
観客はアンコールを求めること自体が、今はしてはいけない事なんだと、このスーパーカーの最期を見守ることしかできなかった。トリップスカイは最後轟音なのに、とても静かに感じた。そして私たち観客は静かに順番にスタジオコーストを後にした。
ナンバーガールの最初の解散は突然だった。ベースの中尾健太郎がナンバガじゃなくて、自分の音楽したいって言い出して、ツアーの途中で、解散が発表されて、その予定されてたツアーの最後の日程の札幌ペニーレインで解散した。私たち観客には、スーパーカーのような、印象的な最後は用意されてなかった。
今だったら、今の価値観だったら、何としても札幌ペニーレインに行っていただろう。最後の姿を目に焼き付ける為にペニーレインに行っていた。でも、その時、ナンバガが解散するのがどういうことなのか?どういう意味を持つのか?いまいちよくわからなかった。ナンバガのLIVEに行って、大騒ぎして踊り狂って遊ぶ。それが当たり前だった。それが無くなる日常がくるなんて、それが無くなる日常がどうなるかなんて、想像できなかった。今手にしているものが、なくなることがどういうことなのか、なくなって初めて知るみたいな愚かな人間だった。
最後にくるりだ。くるりは97年組で唯一現存するバンドだ。ただ、私にとっての最後のくるりがある。前にも書いたけど、その日岸田はキレていた。とにかく機嫌が悪く、短いLIVEをした。アンコールもなかった。肩透かしを食らったような嫌なLIVEだった。私は幼い頃から父親に激しくDVをされて育っていたので、人の暴力的な空気というものに敏感だった。その日の岸田繁にはそれを感じた。そして、そういうものから、離れようとする自分がいた。そういう空気を感じたら、どんなに関係性があってもシャットダウンする。あるグループで仲がよくても、その中の1人に、そういう感じを受けたら、そのグループごと関係を断つみたいなことを日常生活でもしていた。
そしてそのツアーのあと、ドラムのもっくんの脱退が発表された。
岸田繁の気性の荒さを目の前にして、もう追いかけるのをやめようと既に心に決めていた。
つまり、他の2バンドであれば、くるりもそこで解散していたのだ。
でも、岸田繁は、もっくん抜きでも、くるりを続けた。最初期のくるりは解散していると言っていい。でも、岸田繁はくるりという看板をおろさず、メンバーを変え、くるりという名称のまま音楽を続けた。
くるりは、そのまま、今27年キャリアがあるけど、この先も続けていくだろうなと思う。
追いかけてはいないけど、くるりはポツポツとLIVEに行っていた。
たっしんさん、クリストファー期も観て、いい思いもした。
なんというか、くるりという看板は変わってないんだけど、江戸幕府みたいな感じ?いい例えが、見つからないんだけど、岸田繁は中小企業の社長で佐藤征史は秘書みたいな感じ?そんで従業員変えて会社を続けてるみたいな…。
だから、くるりと一言で言っても、みんな聞いてる期間に寄って、何期だったかは違うのだ。
私が好きだったのは最初期のもっくん期になる訳だ。たっしんさんクリストファー期がいいと言う人も居るし、ファンファン期はちょっとねえ?になってしまう。
くるりは特に、アルバム毎に特徴が違う。どのアーティストもそうではあるんだけど、くるりは特にモチーフを感じる。1stのさよストなら、わかりやすいロックチューンを雰囲気壊さず、聞きやすくまとめてある。みたいな。間にインストの環境音楽みたいなのをうまく挟んで、1つの世界観を現している。
岸田繁は人としては正直嫌いなんだけど、作る音楽はやはり天才だ。
どの時期であっても、改めて聞いてみると、こんないい曲つくってたん?となる曲が確かにある。
特にアルバムとして世界観をまとめる能力が凄い。そして、個々の曲でもちゃんと聞けるようにできてる。
例えば、女の子シリーズというものがある。
男の子と女の子から始まって、すけべな女の子、さっきの女の子かな?
アルバムとしてモチーフをちゃんと表現してるのに、そのアルバムのその曲が好きなら、きっとあのアルバムの〇〇も好きなんじゃない?と言える曲がある。
ディズニーみたいな。
ディズニー映画って、各作品モチーフ違うけど、ディズニー映画ってわかるじゃん。ストーリーの組み立てとか、全然違うけど、なんていうか…ディズニー映画とわかるじゃん。
ピクサーでもいいんだけど、トイストーリーとモンスターズインクは全然違う作品だけど、ピクサーとわかるじゃん。
そういう感じ?
くるりはアルバムごとに、全く違うようで、モチーフもちゃんとあるし、それを表現出来てるんだけど、でもちゃんとくるり、岸田繁の曲なんよ。
それを27年続けて来たってのはやっぱりまあすごいと思う。
さっきも書いた通り、スパカとかナンバガと同じ価値観なら、2002年のもっくんの脱退でくるりは終わってるんよ。でも、岸田繁は形を変えて、くるりという看板をあげ続けることにした。
5000字かけてやっと本題にはいるんだけど、そういう存在だから、音楽の話になったときに、この人オルタナ好きかな?とチェックする初手に「くるりの音楽好きなんだよね…好き?」と聞きやすいのだ。
「スーパーカー知ってる?」より「ナンバーガール聞いてた?」より、「くるり好き?」の方が話がわかりやすいのだ。
だってくるりは現存するし、新しいくリスナーになった人でも、オルタナ好きかも?って思った事がある人だったら、どこかで必ずくるりに触れる機会があるのだ。
だからくるりは私たちのリトマス試験紙みたいな使い方をされる。
「くるり好き?」に「あーくるりの〇〇は聞いたよ?」と言ってもらえればあーあのあたりからオルタナ聴き始めた人なのね、と、こっちもわかりやすいし、相手も答えやすいのだ。
だから、日本のオルタナ好きな人は「くるりチェック」をする事で、音楽の話をこの人とできるか?判断するのに使われ安いのだ。
上海蟹問題については、前の記事で1万字以上書いたから、まあ、そっち読んでもろて…。
だから人に「私、くるりの音楽好きなんだよね…好き?」には、額面以上の意味があって、ハッキリ言ってしまうと「日本のオルタナ聞いてる?」と同意義なのだ。
だから「くるりの音楽好きなんだよね…好き?」と聞かれたら、ちゃんと答えて欲しいのよ。リトマス試験紙で、酸性かアルカリ性か確かめてる訳だから。じゃあくるり好きって人を酸性としましょう。同じ酸性なら、別のバントの話にも話が膨らむのよ。スパカ聞いた事ある?ナンバガ好き?と深度を深めて行くことができる、スタートなのよ。
日本のオルタナ好きな人だったら、くるりは共通言語なのよ。1番わかりやすいひらがなみたいな。だから「くるり好き?」って聞く人がいるのね。それに「好き!」って答えるってことは、この先あなたと音楽の話でお話できますね!って事なの。そこで「好き!上海蟹!」と言われた時の絶望感わかって貰えました?
上海蟹勢についての文句はもう書いたんで、まあいいとして…。
くるり好き?に知らないって答えられたら、あーオルタナ聞かない人なんだって、分かるの。じゃあどういうジャンルが好きなの?って話題が変わる。
この人には、スパカもナンバガもゆら帝もはっぴいえんどもカネコアヤノもフジファブもandymoriも羊文学もきのこ帝国も分かって貰えないなって、話進めちゃいけないなって、判断できるのよ。
ヒット曲だけだったら、まあなんかわかる曲あるかもしれないけど、ヒット曲だけだよね。って層なのね、って、こっちは判断して、話を合わせるのよ。
んで、オルタナ聞いた事ないなら、ここから始めてみるのはど?って、みんなおすすめそれぞれあると思うから、そういう話の展開になる訳。
まあ勿論、リトマス試験紙で酸性って出てくれたら嬉しいよ。共通の話題ができるなって思えるから。
「くるりの音楽好きなんだよね…好き?」
の一言には、すごく意味がありますよって話。それに「好き!上海蟹!」はナンセンスなのよ。とても。失礼だし、マナーがなってない。
だから、「上海蟹!」に、温厚な人が、突然怒るんだと思うよ。
同じ「上海蟹!」と言いたいのなら「ごめんなさい、私は上海蟹を少し聞いた事があるだけなんです。なにかおすすめありますか?」が正解です!
そうやって言われれば、こっちも対処のしようがいくらでもあるんです。
あとそうやって「ごめんなさい、くるりは上海蟹を少し聞いた事あるだけなんです。」と言えば、誰も怒らないと思うよ。
「くるり好き!上海蟹!」が、なぜ地雷に見えるかわかって貰えましたでしょうか?
なんでも、表現の仕方によって、相手の対応も変わるもんです。
だから、あなたが上海蟹しか聞いた事ないのなら「くるり好き!上海蟹!」とはいわず、相手を立てて「ごめんなさい、くるりは上海蟹を少し聞いた事あるだけなんです」に言い方を変えて、接してください。そしたらなにも争いは生まれません。
↓↓↓岸田側からみた上海蟹を考察したのと、スパカの事ちょっと書きました。良かったら合わせてどうぞ。
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岸田繁に絡む記事が多くなっちゃったので、一覧にしました。合わせてどうぞ(꜆*ˊᵕˋ)꜆🍵
https://note.com/clean_cosmos816/m/m60433fd76ec0
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