子どもに感情的に怒ったのは一回だけ〜理詰めで納得させていた
はい。
教育関連の有料noteを書きました。
今日もその広告です。
こちらになりますので、是非是非読んでください(っ ॑꒳ ॑c)
今日も子育ての記憶です。
バックグラウンドとして、私は父親にDVを受けて育ちました。理不尽な事で怒られて、人格否定、容姿否定、性格否定。何もかも否定されて育ち、年中あたりから、ボコボコに殴られ続けて来ました。
父親に何かしらの疾患(人格障害)がある事は、大人になった今だと分かるのですが、コレ!とピンとくるものがわからず、悶々としてたのですが、最近、自己愛性人格障害の描写を読みまして、コレだ!と判明した次第です。
リエゾンという、小児精神科医の話で、マガポケで読める漫画があるのですが、その113話からの自己愛性パーソナリティ障害を読んで、あーやっと分かった。となりました。
読んで頂くと分かるのですが、他責思考で、常に自分のみが正しく、尊重されなければ許せない。気に入らなければすぐ激昂するという人です。
自己愛性人格障害をそれから勉強したのですが、ググッてもらったらわかるのですが、本人は困ってないのですよ。
本人は自分が正しい、周りが間違ってるという認知の歪みなので、本人に日常生活に不都合はないんです。
困るのは、周りなんです。
この障害の一番の問題は、本人は困ってないので、それを本人が疾患として気がつく事が出来ず、病院などの医療機関や治療に繋げることが出来ないということです。
このリエゾンで自己愛性人格障害の夫を持つ、奥様が限界に達して、病院に来るという描写なのですが、どうなるんだろう?なにか出来ることはあるのだろうか?本人にどうしたら変化が出るのだろうか?と読み進めました。
結論としては、奥さんは離婚して、自己愛性人格障害の夫と離婚し、実家に帰る。
自己愛性人格障害の本人は何も変わらない。職場でも煙たがられて、早く定年になればいいのに、と言われる、という所でお話が終わりました。
正直、父親に何も望んでなくて、望む事があるのなら、1日でも早く死んでくれ、だけなんですが、リエゾンで、自己愛性人格障害の人の描写が出て、治療の可能性があるのか?と、とても楽しみだったんです。
共依存になってる母親も含めて、これから何かしら変化を望む事ができるなら、そんなにいいことはありません。
父親の具体的エピソードを上げればキリがないのですが、幼稚園児の私が、押し入れに入れられて、隣の壁から弟と親が楽しそうに焼肉を食べている会話の中、なんで怒られたのか覚えてないのですが(あったとしても毎回どうでもいい内容)1人泣き疲れて暗い押し入れの中で、すごく寂しくて、悲しくて、そのまま記憶がないので寝落ちしたんだと思います。
これが、私の1番幼い(記憶の中で1番古い)ものです。
すかいらーくに行けば、多分高校生のアルバイトだと思うのですが、後に注文した隣の席の方が少し提供が早かった程度で激昂して、出禁(恥ずかしくて行けたもんじゃないし)です。
新築の綺麗なマンションを買って、その部屋から花火大会が見えるので、家族を招待してくださった、母親か父親の友人がいました。1年目はとても楽しくていい思い出でした。
翌年、またご招待いただいて、私はとても楽しみでした。
向かう車の道中、近所のスーパーに寄って、差し入れを買っていこうという事になりました。
ちなみに、私は4人兄弟なのですが、女、2つ下に弟、6個下に弟、10個下に妹の4人兄弟の構成で、私は1番上です。
で、6個下の弟が赤ちゃんだったので、小一か小2の記憶ですね。
で、全員でスーパーに行くと買い物に時間が掛かるから、父親だけ店内にいく。全員車で待っとけとなりました。
で、車で待ってたのですが、二個下の弟がトイレに行きたいと言いだしました。
母親は迷ったのですが、車に私1人を残し、2人の弟を連れて、スーパーのトイレに行きました。
子どもがトイレ行きたいなんて生理現象だし、長くても10分も待てば帰ってきます。
で、車で私1人の所に買い物を終えた父親が帰って来て、なんで車に居ないんだと激昂。何故か私がぶん殴られました。
花火大会はドタキャン。そのまま家に帰って飲酒、ギャオン👹コースです。
私はリビングの端で二個下の弟を背中に静かに泣き続けました。声を出して泣くとまた怒られたり殴られるので。6個下の弟は母親が抱っこして酒を飲み怒り狂う父親の相手をしていましたが、私は二個下の弟を守らなきゃと、なってました。
当然翌年のお誘いはいただけなく、花火大会は1度で終わりました。
うちは自営業で、夏も繁忙期なので、夏休みにどこかに連れていってもらうというのが、中々ありません。夏休みも終わりかけのお盆明けのある平日、日本海側の海に海水浴に泊まりがけで行くことになりました。
出かけるときは、毎回恒例なのですが、父親は夜明けと共に(4.5時あたり)に先に起きて、自分の支度だけして、先に車に言ってしまいます。母親は4人の子どもを起こして、準備させてと、当然時間がかかります。で、1時間位車で無駄に過ごした父親は、「遅い!出かけるのはわかってるんだから、準備しておけばいいだろう!」と朝からギャオン👹スタートです。
これは標準装備。デフォです。
で、日本海側の民宿に予約をしていて、家族風呂がついていた所なので、父親は、海水浴から宿に着いたらすぐ家族風呂に入れるようにしておいてくださいと、予約時にリクエストしていたそうなんです。でも、宿としては夏のかきいれ時、そんなの到着順に使わせますよね。うち貸切じゃないんだし。
うちが宿に到着すると、うちより早く到着した、他の宿泊客の方が家族風呂を使われていたんです。
そんなの20分も待てばいいだけじゃないですか?
はい、ギャオン👹
予約の時に連絡しておいたじゃないかとブチ切れ。当日キャンセルで、泊まる所も無くなり(今みたいに携帯ですぐ調べられるって訳じゃなです)、あんまその後の記憶がないのですが、何軒か宿泊施設を周り、当然予約なしで泊まれる所もなく、海水浴で体がベタベタのまま、夜通し走ってどこにも泊まらず、帰ったんじゃなかったかな?
一事が万事こんな感じですよ。
怒るポイントがわからないでしょ?
で、私はもう耐えられなくて、高二の頭でボコボコにされたのをきっかけに、まじで一人暮らしをしようとしたんです。で、外で高校の制服引きちぎられる程に大騒ぎしてたら、同じ敷地の母屋のじーちゃんばーちゃんが出てきて、その日からそこで生活させて貰うのことになりました。
私が一緒に住んでた時ターゲットは私でした。
別棟に住むようになって、だんだん二個下の弟になりました。高校卒業した私が実家を出ると、完全に二個下の弟にターゲットが移りました。
弟は結婚と同時に家を出ます。
そしたら、母屋の母方のジジババにターゲットを変えました。
2人を殺した(病死なのですが、私は父親に殺されたと思ってます)あと、6個下の弟、10個下の妹と、順番に潰して行ったらしいです。らしいというのはほぼ実家と縁を切っていたので、リアルタイムで話を聞いてないです。
もう実家には母親しか居ないので、最後今、ターゲットが母親になってます。
どうしてもの用事があって、実家に10年振りくらいに寄らなくちゃいけなくなったのですが、母親から聞かされたのは「警察が入っている」という話しです。
母親が殴られて怪我をして、病院に行ったそうなのですが、今、本人が嫌がっても、警察に通報されるじゃないですか?、そのコースで、警察入ってるそうです。
他の記事でも書いてるので、まあ、読んでください。
自己愛性人格障害の典型みたいな人です。
リエゾンの場合、逃げる先の実家があったので、離婚して、逃げるって事ができてるのですが、母方の実家に婿養子として父親が入ってるので、逃げる場所がないんです。
私は幼い頃2回、母親に真剣に懇願しました。離婚して欲しいと。
でも、実家の自営業を回すのに男手が必要だからと断られました。
もう誰も実家に寄り付かないです。
じーちゃんばーちゃんは、地元ではちゃんと名前が通ってる人です。
その話はこっちでしてるので、興味がある方は読んでください。
そういう風に何に対しても、とりあえず怒る。怒るという程度ではなく、激昂する、という父親を持っているので、私のテキスト群を読んでくださってる人は、嘘だろと思うかも知れませんが、私は人に怒るということが出来なくなりました。
なにか不快に思ったとしても、この不快感は私のわがままなんじゃないか?ここで私が怒る事に正当性はあるのか?と考えてしまって、普通怒ってもいいシーンで、感情的になれないという特性があります。
若い時は、遠くに住む親友にいちいち電話をして、今日こういう事があったんだけど、これ私怒っていいのかな?失礼だよね?と毎回相談に乗ってもらって、確認してました。
んで、やっと今日の本題に入るのですが、子育て中も、子どもにも、元旦那にも、義父義母にも、何をされても怒れなかったんです。
私は7年で主婦クビになって、不倫されて、家庭乗っ取られて、捨てられて、子ども取り上げられるのですが、そこまでされても、感情的に怒れなかった。
子どもを持てば親の苦労がわかるとよく言いますが、私は子どもを持って、子どもってほんとに脆くて儚い存在で、ここまで脆く儚く、愛おしい存在に、何故あそこまで父親は酷になれたのか?全く理解できなかったです。今も理解に苦しみます。父親のバックグラウンドを理解しても、私や兄弟、母親にあそこまで酷になれる理由にはなりません。
子どもを産んで、赤ちゃんの時から強く意識してたのは、子どもは私とは別人格の別の人間であるということです。
当たり前の事なんですが、決して私の持ち物ではなく、別人格なんだということです。
だから、認識の共通点を探し、相違点を洗い、妥協点を探るって、他人に触れるのと全く変わらないコミユニケーションのとり方をしました。
幸い子どもは言葉で説明すれば理解してくれたし、癇癪持ちではなかったし、とても空気を読む子でした。
7年子育てをして、感情的に反射で怒ってしまったのは1度きりです。
よく覚えてます。
幼稚園が夏休みに入ったばかりのある日、雨が降って外に遊びにいけなくから、お昼ご飯にうどん打ちをしようとなったんです。
大量の小麦粉に少しの塩と水を加えて、粘土みたいにねって、最後、でかいゴミ袋に入れて、ふみふみして、楽しみました。
あとは延ばして切るだけ、という所で、私がトイレに行って、目を離したんです。
で、子どもは良かれと思って、そのビニールに水道の蛇口から水を足してました。
私は「だめー!あーあ」と反射的に感情的に言っちゃったんです。
子どものしゅんとした顔ったらなかったです。
今も忘れられない。
飛び出しとか命に関わる様なことには、言ってましたよ。でも家の中で、そういう風に怒ったのはその一度きりです。
おかげで子どもは2歳にして、私の寝てる間に勝手に1人はじめてのおつかいを敢行する程に自立心の強い子に育ちました。
その話はまた今度。
そんな私のしてきた子育ての全ての教訓は
全てこちらに書きました!
良かったら読んでください。
そもそも私が考えている、教育とはなんなのか?
本文から一部抜粋して、無料公開してるので、読んでみてください。
これを叶えるための今からできる最前案は全てここに書きました。
良かったら読んでね。