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ガリシア風土記                                     その2:オレオのある風景

ガリシア風土記                                     その2:オレオのある風景

 ガリシアを巡ると、あちこちで目につくのは、屋根が切妻になった高床式の石造りの倉だ。その屋根の三角形の頂点には、建屋の規模とは不釣り合いなやや大きめの十字架が立っている。この倉の大きさはまちまちであるが、平均的には間口が2~3m、奥行きが4~5mと言ったところか。石の壁には、縦方向あるいは横方向いずれかに規則的に隙間が穿たれている。石造と木造の折衷のものは、側壁を雨戸のように覆った板に隙間が設けられている。

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 これはhórreo(=オレオ)と言って、ガリシア地方特有の建造物で、穀物や木の実を貯蔵する目的で建てられた倉である。
 このオレオの起源はいたって古いことが、ローマ人の残した文献によって確認されている。紀元1世紀にこの地に進出して来たローマ人が、この特殊な形態の倉について書き残していると言う。とすれば、オレオは当時この地域に居住していたケルト人の建築様式だったことになる。あの独特の形状は、穀物を貯蔵する上で、この地域の地理的条件に適った非常に合理的なものと言えよう。2,000年以上前のケルト人の知恵に感服せざるを得ない。雨の多いこの地域にあって、湿気対策が実にうまく施されている。切妻屋根だと、雨は屋根に溜まることなく全て地面に流れ落ちる。その地面からの湿気を高床式が防ぐ。この高床式にはそれだけでなく、ネズミ等の小動物の侵入を妨げる効能もある。壁面にしつらえられた隙間は言うまでもなく、倉の中の風通しを良くするのが目的だ。
 先人が編み出したこの「ケルトレオ」(“Celtorreo”=筆者造語)様式とでも言うべき建築スタイルは、この地方ではその後、脈々と継承され、あの独特の外観を有するオレオが各所に建てられていったようである。但し、切妻屋根の頂点に立つ十字架は、ケルトの文化ではない。十字架が設置されるようになるのは、この地にキリスト教が定着した4世紀以降のことだろう。
 現在、約33,000のオレオが残されている。貯蔵庫としての使命を終えて既に久しいが、歴史的な文化財として高い価値があるオレオは、条例等によって保護されているようだ。その為、私有地にあるものであっても、その所有者はそのままの状態で保全する義務を負っているとのことである。
 さて、こうしたオレオの中で最長のものとなると、いったいどのくらいの長さがあるのだろうか?
 ガリシア州西端のフィステーラ岬(Cabo de Fisterra)から入り江を回り込んで、更にリアス式海岸を35㎞ほど南下した所に、カルノタ(Carnota)と言う町がある。この町には900ものオレオが現存しているらしいが、ここに全長36mのオレオがある。

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 上の写真でご覧いただける如く、途轍もなく長い。が、これでもガリシアで最長ではないのだ。最も長いオレオは、ここから少し離れた所にあるらしいが、20㎝程度長いだけ、しかも保存状態が芳しくないようで、わざわざ見るだけの価値はない、とのことだった。
 こちらのオレオは、近くにある教会の命で18世紀に建てられた。オレオのバックに見えている鐘楼が、その教会の一部である。現在もこの教会が管理しており、おかげで良好な状態が保たれている。
 その長さに驚嘆しながらも、それだけで終ってしまいたくない私は思っている、「長けりゃいいってもんじゃないだろう」と。その長さ故に、このオレオはあたり一帯の主役になっている。が、オレオは主役を張ってはいけない。オレオは屋敷の内にあって、倉としてこの一家に貢献してきました、との「従」のたたずまいを醸し出すべきなのだ。ところが、このオレオはそうした倉のイメージから逸脱している。実用面から考えてみても、こう長くては貯蔵庫として使い勝手が悪いのではないだろうか。それに、あの空間を埋め尽くすだけの収穫が常にあったのだろうか、との疑問も浮かぶ。
 あまりに長いオレオを前に様々なことに思い至ったのは、今思うに、私があのオレオを少しばかり持て余し気味だったということのようだ。
 ところで、このオレオを主人公としたガリシア風土記の執筆の当たって、掲載すべき写真を選定していた時に、新たに気付いたことがある。どのオレオにも入口らしいものが見当たらないではないか! この風土記に掲げられた5葉の写真をもう一度見直していただきたい。
 例の全長36mのオレオには、入口らしきものがあるにはある。側壁の3ヵ所に取り付けられた板戸のようなものが、入口に見えなくもない。ただ、人の平均身長よりも高い位置にあるので、あの部位に到達するには梯子が必要だ。あの板戸らしきものが入口なら、人の出入りや物の出し入れのたびごとに梯子をかけねばならないことになる。そんな不便を常に強いる箇所が、本当に入口なのだろうか。
 百歩譲って、この長いオレオの場合は、あの板戸を入口だと見做すことにしたとしても、オレオの入口の謎が消えるわけではない。冒頭のページの4戸のオレオには、写真で見る限り入口の存在が認められないからだ。上段右の写真のオレオの左下には階段が設置されているのが見てとれるが、その上にあるはずの入口は特定できない。
 現地で幾つかのオレオを前にして、この入口に関する疑問が浮かんでこなかったのは、迂闊だったとしか言いようがない。現地でガイドに質問をぶつけていれば、と悔やまれてならない。謎が残ってしまった。オレオ・ミステリー。どなたかにこの入口の謎を解き明かしていただきたいものである。

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