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クエンカに「宙吊りの家」はない

イベリア半島のほぼ中心に位置するマドリッド(Madrid)の東南東、 直線距離で170㎞ほどの所に、クエンカ(Cuenca)と言う町がある。地中海岸のバレンシア(Valencia)からは西北西に約190㎞隔たった内陸の町だ。人口は55千、同名の県の県都である。
このクエンカには、”Casas Colgadas” と呼ばれる、他では見られない特殊な家屋群がある。”casas”は“casa”=「家」の複数形、 “colgadas”は過去分詞形容詞 “colgado”の複数女性形で、「吊るされた」との意味である。クエンカのこの家屋群を、だから日本では、「宙吊りの家」と呼称しているようだが、これは誤解を招きかねない訳かもしれない。家屋が宙吊りになってぶら下がっているわけではないからだ。実際には、家々はそそり立つ崖の上に建てられている。見上げるような高さの崖の上に、建物群が肩を寄せ合うようにずらりと居並んでいるのである。
写真や映像では目にすることの多いその”Casas Colgadas”(このリポートでは、誤ったイメージを抱かせかねない日本語「宙吊りの家」の使用を避け、スペイン語表記をそのまま使うことにする)を現場で体感することを目的に、私達夫婦は昨年の10月23日と24日の丸二日間、クエンカに滞在した。
冒頭に示した如く、マドリッドやバレンシアからなら車で日帰りが可能な距離にあるクエンカだが、私達が住んでいるバルセロナ(Barcelona)からだと事情が違ってくる。車を使うにせよ列車で移動するにせよ、バレンシアまでの350㎞を地中海沿いに南西に下った後、そこから今度は内陸部へと向かわねばならない。クエンカまでの合計距離は約540㎞だ。私達は列車を利用することにした。バレンシアまでは3時間前後かかるが、そこからはマドリッド行きのAVE(=スペイン高速鉄道。マドリッド・バレンシア間は2010年12月に開通)に乗れば、クエンカまでは1時間足らずである。乗換え時間を含め、5時間程度の旅である。
AVEの駅はクエンカの市外にあった。市内行きのバスが出ている。バスは、灌木が交じる草地や畑が広がる一帯を抜けて、クエンカ市内に入る。何の変哲もない普通の町だ。ところが、幅が10mにも満たない川に架かった橋を渡ってすぐに、道が上り坂となった頃から、印象が変わってくる。まず、バスが小刻みに振動し始めた。石畳の道を走っている証拠だ。狭い道の両脇には、古色蒼然とした建物が並ぶ。いわゆる旧市街に入ったことに気付く。つづら折りの坂道をしばらく上って、バスは大聖堂の前で止まった。ここが終点である。
そこから、小型車がすれ違うのがやっとの、緩やかに上り坂となった狭い石畳の道を、ほんの2,3分歩いた所に私達のホテルはあった。修道院だった古い建物がホテルになっている。割り当てられたのは3階の部屋。いかにも修道院っぽいその部屋の窓から眺めると、はるか下方に樹木で覆われた川の流れがちらちらと見える。川向うのやや開けた場所に建つ別の修道院(ここはパラドール系のホテルになっている)と教会も俯瞰できる。自分達がいるのがかなり高い所であることを実感するに足る眺めだ。
かように、クエンカの旧市街は周りより高い場所にある。それが小高い丘の上とか山の中腹なら珍しくはないのだが、この街は60mはあろうかという崖の上にできている。しかも、崖っぷちまで建物群が迫っている。
この特異な街の生い立ちを探るには、当然歴史的な背景を知らねばならぬが、その前にこの一帯の地理的な条件を頭に入れておく必要があるだろう。
まずは、ここに掲げた地図を御覧いただきたい。

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東から流れてきた二本の川が、地図の中央やや左上で合流しているのが見てとれる。北側を流れる本流をフカル川(Río Júcar)、これに南側から流れ込む小さめの川をウエカル川(Río Huécar)と言う。(私達を運んできたバスが渡ったのも、ホテルの部屋の窓の下方で見え隠れしていたのも、ウエカル川の方である) 二つの川に挟まれてサキソフォンのような形に細長く広がっている土地は、半端ない高さの崖の上にある。ここにクエンカの旧市街がある。崖は北と南の川側に続いており、南のウエカル川側の崖は優に60mはある。
この崖の上にある土地を、紀元1世紀のローマ人達は無視し、素通りして行った。ここに街を築いたのはアラブ人達で、10世紀のことである。彼らは城壁を築き、そして街を造り上げていった。砦を成すには最適のこの要害の地に目をつけたアラブ人達には、取水の技術が備わっていた。だからこそ彼らには、砦だけでなく街造りが可能だったのである。彼らにとって崖はハンディにはならなかった、と言うことだろう。この時代に建造された城壁のごく一部は、今も残っている。城壁が一目でアラブ様式とわかるのは、石が縦長に積まれているからだ。ヨーロッパ人の手になる城壁は、積み石が横長に置かれている。
12世紀後半になって、カスティージャ(Castilla)王国の王であったアルフォンソ8世(Alfonso VIII)が、アラブ人に代わってこの地域の支配を確立する。カスティージャ王国とは、当時スペインの中央部にあった王国である。尚、この時期にこの地域からイスラム教が駆逐され、キリスト教化が始まったことも、歴史的事実として付記しておきたい。
その後この地域では、王国の庇護の下で羊毛を材料とする織物業が勃興し、その隆盛期は15,6世紀まで続く。この時代にクエンカ旧市街の人口は増大し、16世紀には15,000人以上に達していたと言う。土地に限りがある崖の上の街で人口増に対応するには、家屋を上に継ぎ足していくしかない。13世紀以降、それぞれの住居の上に階が重ねられていく。かくて、縦方向に長い建物群が、その細い体を寄せ合うようにして崖の上に建ち並んだのである。建築機材も重機もない時代に、10階に及ぶような高さの建物を築き上げる技術があったということなのだが、この「高層」建築技術は元々アラブ人達が有していた工法だったようで、それが受け継がれたものらしい。
これらの「高層」建築群は、修復され増強されながら今に到るも残っており、それらがまさにクエンカの旧市街に特殊な景観をもたらしているのである。”Casas Colgadas” は、ウエカル川側の崖の上に並ぶそれらの建物の中で、特に崖の際に建っている家屋群を指す。
旧市街徒歩ツアーのガイドの説明では、これらの建物は今も住居として使われているのだと言う。建物の入口は、通常崖側ではなくその反対側の道沿いにあって、その入口のある階は崖側からすれば3,4階に相当するケースが多いらしい。この為、上り階段用と下り階段用に、入口が二か所別々に設けられている建物がかなりあるとのこと。(これは後刻自分の目で確認した) いずれにしても、上るにせよ下るにせよ階段のみということのようだ。確かに、どの建物にもエレベーター棟を新設するだけのスペースはとてもないように見える。
また、都市ガスが来ていない建物が多く、住人はプロパンガスをボンベで購入するのだと言う。冬場の寒気が厳しい(マイナス11°まで下がることもある。因みに私達の滞在中、日中の気温は20°程度あったが、明け方の最低気温は既にもう3°だった)この地域では暖房は必須なのだが、それを主に電気でまかなうとなると、コストが随分かさむのではないだろうか。
こうした住環境の厳しさもあってか、現在、この旧市街に居住するのは1,200人ほどとのことである。今のクエンカの市街は、ウエカル川の南の平坦な土地に広がっている。もっとも、平坦とは言え、この一帯は海抜で言うと平均で950mあるのだが。
“Casas Colgadas”を含む特殊な建物群のあるこのクエンカの旧市街(一般には「歴史地区」=”Casco Histórico”と呼ばれている)は、1996年にユネスコの世界遺産に登録されている。
その”Casas Colgadas”と約700年前の「高層」建築群が崖の上に居並ぶ様を観賞する、あるいはそれらを写真に収めるに最適のスポットがあると聞いていた。それがサン・パブロ橋(Puente de San Pablo)だ。16世紀からあった古い橋に代わって1903年に建造されたもので、床部分に木が用いられている歩行者専用の狭い鉄の橋である。大聖堂の裏手を起点に、ウエカル川が流れる崖下を越えて架かっており、向い側までの長さは約100m、川面からは60mの高さがある。前掲の地図の右上に見える茶色の短い直線の位置に、サン・パブロ橋はある。ところが・・・・・。橋が通行禁止になっているではないか! 聞けば、4月にこの橋の起点近くで崖の一部が崩落し、修復と補強の工事が今も続いているとのこと。
この橋が使えないとなると、崖上のパノラマを眺める為の次善のスポットは、橋が到達している向いの丘陵部だろう。崖下まで下りて別の橋を渡って行くしかない。いくつかの石の階段を右に左に方向を変えながら下(お)り、坂道を下(くだ)り、上りの大変さに思いを馳せつつひたすら下に向かう。なんとか下(くだ)り切り、短い橋を渡り、ウエカル川沿いの道路から見上げると、崖の上に載っている家屋群が木々の間に垣間見えるが、これじゃあ物足りない。目指すはサン・パブロ橋の到達点である。
川沿いからその丘陵部へと向かう道があった。勾配のややきついその坂道を、今度は上って行く。橋が見え始めた。左手の崖に目をやると、私達の目線より少し高い位置に、こげ茶色のベランダが付いた”Casas Colgadas”が、完全な姿を現している。その少し後方には、中世の「高層」建築群が、くたびれた色の壁面をこちらに向けて、その細長い体を支え合うようにして建ち並んでいる。前方の、まるで地中から生えてきたような奇妙な形状の崖の上には、大聖堂を始め様々な黄土色の建物群が秋の日射しを浴びて載っかっている。私達は歩を止め、眼前に180度広がるこの特異な景観に、しばし見入っていたのである。
こうして目的を遂げた為か覚悟ができていた故か、帰りの上り階段はさほど苦にならなかったことを付け加えておく。
一つ心残りなのは、あの家屋群の中に入れなかったこと。私は外観だけでなく、内部をも見てみたかったのだ。もっと言うなら、あの中で営まれている生活の臭いを感じたかったのだ。実現性に乏しい願望なのだろうが、何か方法があったのではないか、との思いもかすかに残っているのである。

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      〈2枚とも〉”Casas Colgadas”(ウエカル川の南側より)

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       「高層」建築群(同)

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       崖の上に建ち並ぶ建物(同)

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     クエンカ旧市街。左端に”Casas Colgadas”とサン・パブロ橋     が小さく見えている。(旧市街の東側より)

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       奇妙な形状の崖の上に立つ建物群と”Casas Colgadas”     及びサン・パブロ橋。(同)

以上が私のクエンカ・リポートであるが、最後に冒頭でふれたスペイン語 “colgado” について、もう少し説明をしておきたい。
“colgado” は確かに「吊るされた」を意味するのだが、この単語は、吊り橋やブランコのように空中に吊るされている場合には使われない(その状態を表すのは”colgante”という別の形容詞である)。一方、窓から吊るされた横断幕のように、吊るされて動きがない状態なら”colgado”である。”colgado”にはさらに、「掛けられた」や「設置された」のニュアンスもあって、例えば、壁に「掛けられた」絵、また屋上に「設置された」ネオン、と言う時に「 」に相当するのは”colgado”である。
こう見てくると、クエンカの”Casas Colgadas”は崖の上に「設置された」あるいは「置かれた」家々の意味であることがわかる。ただ、この直訳では面白みに欠けるので、少しだけ想像を膨らませて描写するなら、「クエンカの崖の上に建ち並ぶ家々は、まるで天空から『吊るされ』そしてそこに『設置された』かのような印象を見る者に抱かせる」とでもなるのだろうか。いずれにしても、クエンカに「宙吊りの家」はないのである。



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