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広域連携、スポーツと政治、泥仕合、DMO〜日本の100マイルレースの未来

2017年10月発売号『RUN + TRAIL Vol.27 さあ、100マイルの旅に出よう。』の中で掲載した「日本の100マイルレース誕生と未来」を加筆修正して再掲載します。

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 国内で100マイルレースと言えば真っ先にUTMF(ウルトラ・トレイル・マウント・フジ)を思い浮かべる人は多いだろう。2011年の東日本大震災の影響もあって開催は2012年5月になるわけだが、そのおよそ1年前の2011年7月、日本”初"100マイルレースが開催されている。「OSJ ONTAKE 100」(開催当時「OSJおんたけウルトラトレイル」)だ。

ー日本”初"100マイルレースの裏側 
 開催経緯について、主催している有限会社パワースポーツの滝川次郎さんはこう話す。

「ずっとやりたいと考えて進めていたわけではなく、UTMFが震災のため延期になったというのもありました。100マイル開催を期待している人も多かったので、うちがやろう、と」

 それまで長野県王滝村を舞台にした「OSJおんたけウルトラトレイル100km」を開催していた。100マイルにするには「100kmに20kmを3つ加えただけ」と滝川さん。許可申請など森林管理署と村の行政範囲の中ででき、100マイルを取りやすい立地条件だったこともあって、準備期間もさほど必要なかったようだ。

 2007年にUTMBに初出場した鏑木毅さんが、心身ともに打ちのめされたと同時に「いつか日本で100マイルレースを!」と強く思ったこと、富士山とその周辺を飛行機に乗っている時に見て、インスピレーションを受けた話など、UTMF誕生秘話は各所で語られているが、そのUTMFの第1回大会の延期が滝川さんをその気にさせたようだった。

ー君は「ハコネ」を知っているか?
 さて、“箱根"を舞台に50kmのトレイルレースが行われたことを知っているだろうか? 『OSJハコネ50K』だ。もう10年も前の話になる。日本の100マイルレースの前夜とも言われる「ハコネ」、とりわけ2007年以前の動きから当時のことをよく知る㈱ゴールドウインの三浦務さんに話を伺い紐解いてみた。 

「2007年以前の国内において、7月のキタタンと10月のハセツネくらいがロングトレイルレースでした。別の見方をすると、そんな小さいなパイの中で選手も、メーカーも、メディアも一喜一憂していました。それに危機感を覚えていたんです。このままではマーケットが大きくならないなって」

 第1回UTMB(2003年)前後からシャモニーを訪れていた三浦さんは、トレイルランニングというスポーツの持つポテンシャルの高さを目の当たりにし、100kmのレース開催を考え始める。相談を持ちかけたのは既に「OSJシリーズ」としてレース開催を手がけていた前出の滝川次郎さんだ。

「滝川さんに出した条件は3つでした。100km、首都圏から日帰り可能、そして、誰もが聞いてすぐに分かる地名の知名度の高さです。100kmは難しいけど、残り2つを叶える場所ならあるよ、と。それが『箱根』でした」

 3年あまりの準備期間を経て、2007年5月『OSJハコネ50K』が開催。参加者は1000名を超えた。

 コースは箱根湯本をスタートし、箱根外輪山を反時計回りに進む。箱根最高峰の神山を登頂し、早雲山から強羅の町並みを経て、シャモニーの出迎えを意識した演出を施した「箱根彫刻の森美術館」でフィニッシュ。総距離55kmを完走したのは68%だった。

ーなぜ、「ハコネ」がUTMFにつながっているのか?

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